ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-10-06(Thu)

 ルイス・ウェインという人物がいて、この人は19世紀末から20世紀初頭にイギリスで活動された画家、イラストレイターとして知られているのだけれども、この人物の「伝記映画」が、もうじき日本でも公開されるという。
 それでわたしは、その映画がどのようにルイス・ウェインを描いているのか、(まだ観てもいないのだから)知らないのだけれども、その映画の紹介では「イギリスで大人気を博した伝説のネコ画家」とし、それまでは顧みられなかった「ネコの魅力」を最初に発見した「ネコ画家」ということらしい。

 しかし、わたしはこの「ルイス・ウェイン」のことはそれなりに知っているのだけれども、この方はその晩年に「統合失調症」とされて病院に隔離されることになり、その時代に彼が描いた「ネコ」の絵は、「統合失調症」が表現にあらわれた格好の例として、精神病理学の書物に掲載されたわけで、わたしもその縁で何かの美術書だか文芸書で彼の「ネコの絵」を観ているわけだけれども、このルイス・ウェインの伝記映画の紹介で、そのようなこと(統合失調症とその絵画への影響)がまるで語られていないことがいぶかしく思うのだった。
 気になって、そのあたりのことを調べてみたのだが、まあその映画でどのように(「統合失調症」のこととかが)描かれているのかはわからなかったが、どうも近年の評価では、ずっと「統合失調症」のあらわれと見られていたルイス・ウェインのネコの絵も、今ではそういう見方は否定されてもいるようではあった。

 下の絵が、そのルイス・ウェインが晩年に描いた「ネコ」の絵。こういう「絵」がまさに、「統合失調症」が「表現」にあらわれた「格好の例」と思われたのだった。

       

 まあ、映画として「統合失調症」がこのように絵にあらわれたということを前面に打ち出すのも「マズい」のではないかとも思えるし、はたしてどのような映画なのか、観てみたいとは思うのだった(主演はベネディクト・カンバーバッチだし)。

 それでこの映画のことを知ってから、この映画のことが多少気になっていたのだけれども、それが昨晩はついに夢で見てしまった。
 わたしは「ルイス・ウェイン」が男性なのか女性なのかもあまり考えていなかったのだけれども、その繊細なタブローの感覚から、わたしは「ルイス・ウェイン」は女性だろうとも思っていたのだろうか(「ルイス」ならば男性だろうが、「ルイズ」ならば女性だろうか?)。わたしが見た夢はまさに、この「ルイス・ウェイン」の映画についての夢だったのだけれども、そのわたしの夢の中での映画で、「ルイス・ウェイン」を演じているのはなんと、キーラ・ナイトレイなのだった。
 ま、ただ「そういう夢をみた」というだけの話だけれども、やはりその映画はちょびっと観てみたい。

 今日は天気予報で「本格的に寒くなる」と言っている。つい先日は最高気温は25℃を超えていたのだけれども、この日は最高気温は15℃にも届かないのではないかということ。一気に11月下旬の気候になるというのだ。
 わたしはそのあたり無頓着に、昨日と同じように半袖Tシャツの上から長袖シャツを羽織って仕事に出ようとしたのだけれども、「さて、家を出よう」というときにさすがに「ちょっと寒いか!」という感覚で、あわてて引き返して、半袖Tシャツを脱ぎ捨て、引き出しから、ちょっと厚手の生地の長袖Tシャツを引っぱり出して着るのだった。
 う~ん、建物の中にいるときとか電車の中とかはそこまでに「寒い」などとは思わないのだけれども、やはり外気に触れると「うわっ!寒い!」って感じではあった。

 この日も昨日と同じように、仕事を終える頃には雨になっていて、やはり昨日と同じように、自宅駅に着くと雨は降っていなかった。でもこの日は「野良ネコ通り」にネコさんたちの姿は見かけなかった。

 帰宅すると、昨日注文した泉鏡花の文庫本がもう郵便受けに届いていた。早い。
 で、梱包を解いてみると、あらららら、むき出しの文庫本だけで、カヴァーも何もついていないのだった。

       

 むむむ、昨日注文するときにまるで確認していなかったのだけれども、この「ちくま文庫」の『泉鏡花集成』はとっくに品切れだか絶版で、Amazonでもマーケットプレイスで「中古」を求めるしかなかったわけで、わたしが注文したモノでも1500円ぐらいしたのだけれども、これが「その次」の候補、2番目のマーケットプレイス出品の品は一気に2700円とかだったわけで、価格差が大きい。
 どうもこの<第1巻>は今は入手困難なのか、この「ちくま文庫」の『泉鏡花集成』全14巻の中でも、この<第1巻>だけが飛び抜けて高値、なのだった。

 まあわたしにとっては本なんか基本「読めればいい」わけで、カヴァーがなくってもそんなに気にはしない。
 もう、今読んでいる『キャッチ=22』は途中で切り上げて、明日からはこの泉鏡花を読み始めようかとも思ったのだけれども、その「なかなかに読み進められない」『キャッチ=22』が、今日読んでいるあたりからけっこう面白くなって来てしまったのだ。やっぱいちおう『キャッチ=22』を読み終えて、そのあとに「泉鏡花」ということにしようかと思う。ちょうど「金沢日帰り旅行」をするときに、新幹線の中で「泉鏡花」を読むというのも「粋」なモノではないかなどと、わたしらしくもないことを思ったりしたのだった。