ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『八月の濡れた砂』(1971) 藤田敏八:監督

 この作品が藤田敏八監督の「代表作」というわけでもないと思うが(藤田監督はもっと時代を切り取るような映画を撮られていたと思う)、この作品はひとつの「時代」を象徴するような、「アイコン」的な映画ではあるのだろうと思う。
 わたしはまだまだ若いころ、封切り時にではないが「名画座」あたりでこの作品を観た記憶はかすかに残っていて、今回観ても若干なりとそのときの記憶は残っていたみたいだ。

 観始めて、「うわぁ、粗い演出だなあ」とは思ったし、奇妙な長回し移動カメラの連続に違和感もあったのだが、観ていると「こりゃあ、全篇カメラ1台でこなしているんだな?」という感じだったし、全篇すべて「アフレコ」でもある。今の映画の撮り方とはまるっきし違う(それでもヘリコプターからの「空撮」とかはやってのけていて、単にローバジェットというのでもないようだったが)。
 そういうことで考えて、複数のカメラをしつらえて撮影していれば、一種役者たちのドラマは「演劇的」に進行するのを複数の角度から撮影し、あとの「編集作業」で組み立てればいいわけだけれども、カメラ1台でやるとなると大変だ。しっかりストーリーボード(絵コンテ)を描き込んでから撮影に臨まなくってはならないし、出演者も同じシーンを何度も演じし直さなければならないとも言えるだろう。この映画の一面の「面白さ」は、そういうことが実に「あらわ」に見て取れることかもしれない。

 映画は湘南の「海水浴場」の「夏」が舞台で、夏らしい開放的な気分になった若者の「暴走」という作品かというとそういうのでもなく、実は冒頭から終幕まで、男性が女性を「レイプ」するという展開が「これでもか!」というくらいに連続する。そんな中で男性側の鬱屈した心情も描かれ、そこに観客がどのように感情移入するか、というあたりの問題になる。
 わたしはそれなりに、主な主演二人の男性の心理的鬱屈、抑圧はわからないでもなかったが、女性側への演出がないわけでこれは本質的に「マチズモ」映画という空気は感じる(まあそれでラストがあるわけだが)。

 車でまんま海に突入してしまうという、「そりゃあまさに『気狂いピエロ』やんか!」という演出もあるが、夏の湘南のウダウダした感じと、それと対比されるような「ハイソ」なヨット族、その中間に位置する湘南の絶壁から海に飛び降りる男たちの心象は気もちよく定位されていたと思った。
 まあグダグダ(といってもいい)な演出の中で、終盤に主役二人&女性二人がヨットで海に乗り出す展開が、この映画を救済していると思った。
 ヨットという狭い、閉ざされた空間に登場人物が閉じ込められての展開というのはある種の映画の基本というか、ポランスキーの『水の中のナイフ』とか、あの『太陽がいっぱい』とかにつながるわけだ。
 まあそこまでの卓越した、ラストへの展開というわけでもなかったが、「空気感」というものは伝わった。

 ただ、わたしとしてはどこまでも、ぜったいにラストに流れるであろう石川セリの主題歌をどこまでも楽しみにしていたのだが、「ついに」となったとき、実はその主題歌がイントロ部を外しての「フェイドイン」だったことには、ちょびっとガックリしたのだった。
 しかしこの曲はしっかりと(とてつもない)「名曲」で、日本の60年代後半、70年代前半の「夏の海」というのは、すべてがこの曲に収束されてしまうのである。
 ‥‥おお、ちゃんと最初っから聴こうではないか!

 さいごのクレジットを見ていて、出演者の中に「原田芳雄」の名前を見つけて驚いたのだけれども、「ああ、あの男だったか!」と思い当って笑ってしまった。