ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-07-22(Fri)

 朝起きて、仕事に出る前にケータイで今日の天気予報を確認すると、勤め先のあたりでもウチのあたりでも、朝の9時から11時にかけて雨になるような予報だった。わたしは11時に仕事を終えて帰路に着くので、ひょっとしたら雨に降られるかも知れないと、折りたたみ傘をバッグに入れて家を出た。

 外に出て空を見上げると、半分ぐらいは白い雲に覆われている空の中天に、雲を透かして三日月が浮かんでいるのが見えた。月を見るのも久しぶりのことだと思い、写真を撮ろうかとカメラを取り出すと、そのあいだに月は雲の陰に隠れてしまった。

 勤め先の駅から外に出ると、すぐにセミが鳴いているのに気づいた。セミが鳴くのはこの朝が初めてではないのだろうが、わたしが今年初めて認識した「セミしぐれ」ではあった。
 さらに歩いて行くと、通りに並行して流れている「お濠」に沿って、白鷺がこちらに優雅に羽ばたいてくるのを見た。ゆっくりと、羽根を上下に動かしながら、ビルの谷間を飛ぶ姿は美しいと思う。これも写真を撮りたかったが(「動画」ならベストだろう)、やはり間に合いっこないのだ。

 勤め先のビルの、駐車場の隅で何かがうごめいていた。「何だろう?」と近寄ってみると、大きな、丸々と太った「カブトムシ」の雌が、ひっくり返ったまま起き上がれないで、もがいているのだった。「あらあら、こういうのって、もう寿命が近いのかしらね?」とか思ったのだが、そのあとわたしも仕事をはじめ、また外に出てみると、そのカブトムシはまだもがいていた。
 持っていた道具をそのカブトムシに差し出してみると、しっかりとしがみついてきたので、そのまま持ち上げて、すぐそばの植え込みのてっぺんに乗せてやった。
 10分ぐらいしてその植え込みのところへ行ってみると、もうそのカブトムシの姿は探しても見つからなかった。むむ、飛んで行ってしまったのだろうか?
 わからないが、カブトムシというものは、いちどひっくり返ってしまうと、まるでカメさんと同じように自力で起き上がるのが困難なのだろうか? ひょっとしたら今朝、わたしは「カブトムシ助け」をやったのかな? とか、勝手に思うのだった。
 しかし、こ~んな都心にも、カブトムシも棲息しているわけだ。昨日もアオスジアゲハに出会ったし、わたしのこの日記はこのところ、「昆虫(動物)観察日記」みたいになってきた気がする。

 仕事をしていると、まさに天気予報の通り、9時ごろに雨が降り出した。「天気予報の言うことを聞いて、傘を持ってきて良かったかな?」とは思ったのだが、この雨はわずか30分ぐらいできれいにやんでしまった。
 そしてこの雨は、しばらく前にわたしが調べた「打ち水の最悪例」みたいなもので、けっこう気温が上がっていたところに、ちょびっとだけ水を撒いてすぐにやめてしまったわけで、雨がやんだあとはもう、やたらと蒸し暑くなってしまった。せめて1時間も降りつづいてくれたらいくらかマシだっただろうに、もう仕事を終えて帰るときもずっと、外の世界はムシムシしているのだった。けっきょく、この日持って出た「折りたたみ傘」は、いちども開くこともなかった。

 「昆虫観察日記」はまだつづき、自宅駅から帰る途中、ウチのすぐそばの電柱にセミがしがみついているところを目撃してしまった。「アブラゼミ」である。

     

 「電柱にすがっても樹液は摂取出来ないだろうに」とは思ったが、好きにさせておくしかない。
 そんなセミを放置して先に歩くと、そのセミがいたところから5メートルぐらいの塀に、「セミの脱け殻」が貼りついているのを発見した。

     

 ただの想像だが、さっき電柱にしがみついていたセミは、この「セミの脱け殻」から羽化したばかりの、同一の個体なのではないかと思ったりした。まだ世の中に出たばかりだから、電柱でも何でもしがみついて、気もちを落ち着かせていたのだろうか。これから子孫を残す大仕事が待っているし、残りの命は短い。がんばらなくっちゃね。

 しかし、これからはそこらじゅうで「セミしぐれ」を聴くようになるのだろう。「夏本番」というところだろうか。

 帰宅して、予定通り昼食も夕食もつくり置きのカレーですませ、ようやくカレーを完食した。さて、しばらく「今日は何をつくろうか?」などと考える必要はなかったが、また明日からは、「何をつくろうか?」という思考をしなければならない。

 読んでいた『ポオ小説全集2』を読み終えた。実はポオのことは今の今までちゃんと読んだことはなかったけれども、これはあまりに「偉大な作家」であるだろう。
 あまりよく知らなかった彼の「生涯」もざっと読んだが、まあこういう「天才型」の作家は長生き出来ないことだろう(彼の「死」は不可解だが)。