ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ポオ小説全集2』(創元推理文庫)エドガー・アラン・ポオ:著

 収録作品は以下の通り。

・ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語(The Narrative of Arthur Gordon Pym of Nantucket) 大西尹明:訳
・沈黙(Silence) 永川玲二:訳
・ジューリアス・ロドマンの日記(The Journal of Julius Rodman) 大橋健三郎:訳
・群衆の人(The Man of the Crowd) 中野好夫:訳
・煙に巻く(Mystification) 佐伯彰一:訳
・チビのフランス人は、なぜ手に吊繃帯をしているのか?(Why the Little Frenchman Wears His Hnad on a Sling) 宮本陽吉:訳

 それと、この巻の巻末には「解説」として、シャルル・ボードレールの『エドガー・ポオ その生涯と作品』(小林秀雄:訳)が掲載されている。

 わたしは、前に日記にも書いたが、この冒頭の、ポオ唯一の長篇『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』にすっかりしてやられ、実はちゃんと読まずにいて多少軽くみていたこのエドガー・アラン・ポオという作家が、時代を越えた卓越した才能の持ち主だと認識したのだった。
 まあ第1巻を読んだとき、『ベレニス』『モレラ』そして『リジイア』などの独特の耽美的な作品に強く惹かれたわけだったけれども、この巻の『ゴードン・ピムの物語』はまた別の、一種独特の「海洋冒険物語」&「SF(?)」という切り口での作品で、特にわたしが惹かれたのは「ラストの顛末」を書かないですませてしまっていることで、そこにひとつの文学作品としての「奥深さ」を提示していたと思う。
 この『ゴードン・ピムの物語』の結末は、第1巻冒頭の『壜の中の手記』と同じようなシチュエーションを描いているのかと思うけれども、主人公が「驚異の体験」をして、そのことを手記に書いて壜に封入したものが作品となっているのが『壜の中の手記』で、主人公の行方はもうわからなくなっているのだけれども、『ゴードン・ピムの物語』では主人公はそんな「体験」からしっかりと生還したと書かれてはいるのだけれども、主人公のアーサー・ゴードン・ピムが「どうやって生還できたのか」ということは作品にはまるで書かれていない。
 そのことは「肝心のことを書かない」手抜きではなく、むしろこの作品を「文学作品」として奥行きを深めることになっていると思う。そういう意味で、今この作品を読んでも「現代性」を感じるのだ(あとで日記に書いたように、この作品の構成は、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に近似してもいる)。

 この第2巻には、その長編『ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語』とバランスを取るかのように、「アメリカ西部冒険譚」の『ジューリアス・ロドマンの日記』という中篇もあり、こちらはそういう「文学的仕掛け」はないのだけれども、わたしは「自然観察」も好きなもので、この作品に描かれた「ビーヴァーの巣(ダム)の修繕」のありさまをとっても楽しく読んだし、「リアルな」冒険譚を楽しんだ。ポオ自身が西部に旅したわけもないし、この作品には典拠となる『ルイスとクラークの探険日誌』というものがあったらしいが、その典拠からどういう「取捨選択」「書き換え」をしているのか、ちょっと知りたいと思った。

 その他の作品では、やはり『群衆の人』が心に残る。一方で「大自然を旅するフロンティア」の冒険を描きながらも、並行してこうやって19世紀中期(1840年発表)に、「都会の孤独」ということを「観察者」の眼から描いているわけだ。「さまざまなジャンルを横断し」、ジャーナリストとしての眼も持っていたポオらしさのあふれる作品だ。

 エドガー・ポオと「ドイツロマン派」のことも書こうと思ったけれども、ちょっと今は力尽きてしまった。