ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-06-26(Sun)

 休日なので、時間を気にせずに朝寝をする。いちど4時頃にいつもの習慣で目がさめるのだが、せっかくの休日だし「まだまだ寝ていよう」と二度寝する。そのうちに「ん?」という気配を感じて目覚めると、ニェネントがベッドに上がってきていて、わたしの頭のところで右往左往しているのだった。時計をみるともう6時を過ぎている。
 そりゃそうだ。平日ならば4時前にわたしは起きて、すぐにニェネントに朝食を出してあげるわけだから、今日はそういう平日に比べて、2時間以上も食事が遅いのだ。そりゃあ「メシくれえ~!」と訴えてくるわけだ(実は、昨日の朝もおんなじ展開だったのだが)。
 「ごめんごめん」と起き出して、ニェネントに朝食を出してあげる。
 しかしわたしは食欲もなく、リヴィングで一時間ぐらいうだうだしてから、「やはり朝食を食べるのは大事だよね」と、インスタントコーヒーとハムをのせて焼いたトーストで朝食にする。まったくおいしくはない。

 テレビをみても、パソコンをみても、今日も「猛暑」になるだろうと、皆がわたしを脅しつける。昨日は一歩も外に出なかったが、今日は日曜日で、北のスーパーに買い出しに行くことになっている。
 あまり暑くならない午前中に買い物をすませてしまおうと、意を決して早くに家を出る。ドアを開けて外に出ると陽射しが強く、視覚がハレーションを起こしたような気分になる。もう歩き出してもフラフラしてしまうようだけれども、それでも北のスーパーへの道すがらには、このところ毎週ウォッチングしている「ツバメの巣」があるので、元気を出して道を歩く。

 そのツバメの巣では、先週にはもうヒナ鳥もけっこう成長していて、「もう今週は巣立ちしているかもわからないな」という気分でもあったのだけれども、じっさい、その巣のあるところに行ってみると、やはりもう巣はからっぽのようだった。

     

 それでも、その「巣」がある建物のとなりの、アーケードのある商店のところに、ツバメが飛びこんで行くところが見えた。
 そのアーケードの下へ行ってみると、そこのパイプ支柱に3羽のツバメがとまっているのだった。そのうちの、いちばん右側にいた1羽が、アーケードから出たり入ったりしているのだけれども、左側の2羽は、けっこうわたしが近づいても逃げて行こうとしないのだ。

     

 しばらく見ていたのだが、どうやらその右側の1羽が親鳥で、残りの2羽は、まだ巣立ちしたばかりのヒナ鳥なのではないかと思った。きっと、その「空き家」になってしまった「巣」から巣立ちしたばかりのヒナのツバメで、まだ自由に飛び回ることも出来ないのだろう。それで、親鳥が「さあ、飛び出しなさい」とうながしているようにも見える。下の写真では、下のパイプにとまっているのが親鳥。

     

 もうヒナ鳥も親鳥もまったく同じぐらいの大きさで、そういう「動き」の差がなければ、親鳥だとかヒナ鳥だとかの差異はまったく認められない。ここまで来たらヒナ鳥たちが自由に飛び立つ日も近い感じで、もう来週にココに来ても、ツバメの姿は見られなくなっていることと思う。
 Wikipediaによると、「巣立ちを終えたヒナと親鳥は河川敷や溜池(ためいけ)の葦原(アシはら、ヨシはら)などに集まり、数千羽から数万羽の集団ねぐらを形成する」ということだ。おそらく、わたしが行ったこともない遠方まで飛んで行き、そこで成長するのだろう。そのあと、自分の生まれて育った「巣」のことを思い出し、このヒナ鳥たちがこんどは「親鳥」として、このわたしの目の前にある「巣」に戻って来るのだろうか。

     

     

 この日は、その近くで、スズメが電線にとまって「吠えるように」鳴いている姿も見られた。ちょっと逆光だけれども、あんまり動かないでくれたのでうまく撮れたと思う。

     

 2週間後には「参議院選挙」の投票日。買い物から帰ると、テレビでは各党の幹部による討論会が行われていた。
 争点は「上昇するばかりの物価問題」、そして「外交、防衛問題」というところなのだろうが、「物価問題」に関しては、自民党以外の党はいずれも「消費税の減税・もしくは廃止」を訴える。当然であって、たとえば一つの家庭(もしくは一個人)が一年間に百万円のモノを買ったとしたら、そのうちの8万円~10万円は「消費税」として、税金として持って行かれるのだ。これは収入の少ない人にこそ不利な税制であることはまちがいなく、またその徴収された税金の使いみちも不透明で、今の(これからもつづく)物価上昇に対して、こ~んな税制を見直すのは当然のことであろう。
 「防衛問題」は、保守党はみ~んな「防衛費の増額を」というわけで、まあこの一点でもどの党が「保守」なのか、かんたんに見分けがつくわけだが、そんな保守連中が声をそろえて合唱するのは、「武器をいっぱい持ってれば、<あいつは強いからケンカするのはやめておこう>となるではないか」という、いわば「ヤンキー理論」で、いい歳をしたいい大人が言うことではない。
 仮にこの日本がどれだけ武器を貯め込もうが、どこかの国が「よ~し、日本をやっつけようぜ!」と思えば、そんな「正面衝突」なんかしないでも、日本各地に散在する「原子力発電所」に狙いをつけてミサイルでも打ち込めば、それで日本は「アースジェット」を噴射されたハエや蚊のように、それこそ「イチコロ」なのである。当然、「平和」を目指した外交に力を注ぐことが、日本の進路なのである。
 「日本も核武装を!」ということも、元首相あたりがしつっこく言ってるようだけれども、このことは前にも書いたが、今の日米安保条約下で、仮に日本が核保有したとしても、その「核ボタン」スイッチを押すというときには当然アメリカの了解を得なければならず、つまり日本独自の考えで「核ボタン」を押すことは出来ず、それは当然日本にも核を持ち込んでいるアメリカに、最終的に頼ることと同じであり、日本独自で「核保有」するということは、21世紀最大の「笑い話」なのである。

 なんて言いながらも、今の革新系の政党もみ~んなフニャフニャで、「対保守」というパワーをどこも持たない。例えば「夫婦別姓」問題や「同性婚」、「LGBTQ」問題など、日本では「議論」の前に無視されている問題があまりに多い。もう今の既成政党には期待できないとして、もっと「市民運動」が巻き起こらないものだろうか。わたしは言ってるだけで何もやらない人間と思われているだろうが、加担できることがあれば力を尽くしたいとは思っているよ。