ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『スプリング・ブレイカーズ』(2013) ハーモニー・コリン:脚本・監督

 「スプリング・ブレイク」とは「大学の春休み」のことだという。たいていの大学の女子学生たちはさっさと春休みを満喫するためにキャンパスからいなくなってしまうけれども、4人の女の子は「ノー・マネー」で取り残されてしまう。「わたしたちも<スプリング・ブレイカーズ>になるだね!」と、この4人はファスト・フードの店に強盗に入り、見事に成功。「夢の<スプリング・ブレイカーズ>の旅」に出る。レイヴ・パーティーに参入し、ダンスと酒と音楽、そしてドラッグに酔い痴れるけど、そこに警察の手入れ。4人は勾留されてしまうが、そこにパーティーで彼女らを見てインスピレーションを感じたらしい地元のギャングスタ―があらわれて保釈金を払い、彼女らを救うのである。

 自称「エイリアン」と名乗るそのギャングスター(ジェームズ・フランコという俳優が演じているのだが、いい役者だ)は、まあ「金こそはすべて」というつまらない哲学の持ち主だけれども、その4人の女の子に性的関係を迫るわけでもなく、彼女たちにピアノを弾きながらブリトニー・スピアーズの曲を歌って聴かせたりする(名シーン!)。ここで、この男が「根っからの悪人」というわけでもないという感じにはなり、女の子たちが彼と行動を共にする意味もわかる。しかし、女の子のひとりは「わたしは<自分探し>のつもりだったけれども、今はどんどん自分が見失われていく気がする」とグループから離脱し、バスで帰って行く。

 一方、「エイリアン」には宿敵というか、かつては恩師でもあったらしいアフリカ系のギャングスタ―が立ち向かうことになる。こっちはステレオタイプに「女性を性的に従属させる」タイプの男ではある。
 まずは互いの抗争での撃ち合いがあり、それでけがをした女の子のひとりがまた離脱していく。彼女たちのグループからメンバーが離脱するとき、どちらも「バス」に乗って去って行くのが、いかにも「体制に戻って行く」という感じがする。
 さて、残った二人は「エイリアン」と共に、宿敵のギャングスターとの闘いに挑むのだが‥‥。

 全体に映画の中で長いパートを占める「レイヴ・パーティー」での手持ちカメラ、映像後処理なども印象に残り、これは一種、1960年代の「ドラッグ・パーティー」のさま(「サイケデリック?」)、そこに参加した連中の「ドロップアウト」意識をそれから40年後によみがえらせたかという感想が浮かぶ。まあ女の子たちはみ~んなほとんどのシーンでなかなかのビキニで、そんな彼女らの参加するレイヴ・パーティーも「あと一歩で<ポルノ乱交パーティー>」っていう微妙な線の展開になるけれども、そこを「寸止め」にする演出も、なかなかに見事である。
 わたしとしてはやはりこの映画は、その1960年代のヒッピーらの「ドロップアウト」精神を2013年によみがえらせた作品ではないのかとも思った。(たとえこれが「幻想」だと片付けられようとも)「バッドトリップ」に陥らなかった1960年代がここに描かれている。