ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ガラスの独房』パトリシア・ハイスミス:著 瓜生知寿子:訳

 ハイスミスの長編9作目で、1964年発表の作品。物語はすべて、主人公のカーターの視点のみから語られていて、「これはカーターの認識はまちがっていて、ほんとうの現実は違ったものなのではないだろうか?」という興味が、読んでいてずっと付きまとってくる。

 フィリップ・カーターは妻子のある建築技師だったのだが、不用意に上司の領収書にサインしてしまうことから「横領罪」で逮捕され、えん罪のまま6年の刑期をつとめる。刑務所では同室の男にはめられてふたりの看守からのリンチを受け、両手親指に治療困難な大ケガを負い、痛みを抑えるためにモルヒネに頼ることになる(このことは退所後も彼を悩ませるのだが)。フィリップは所内でマックスという男と(ちょっと同性愛的に)親しくなり、彼からフランス語を学んだりする。ところが刑務所で囚人たちによる大きな暴動が起き、フィリップにリンチを加えた看守のひとりが殺されるのだが、同時にマックスも殺されてしまう。怒ったフィリップはそのあたりにいた囚人のひとり、もしくはふたりを殴り殺してしまうが、混乱の中で彼の行為は人に知られることはない。
 妻のヘーゼルはひんぱんに面会に来てくれるのだが、そのうちに彼女が弁護士とデイヴィッドとあまりにひんぱんに会っていることに、疑問を持つようになる。
 刑期を終えて出所したフィリップはデイヴィッドとも会うのだが、フィリップの息子があまりにデイヴィッドになついていることにショックを受ける。同時に、前の会社の副社長で、横領に関わっていたとしてデイヴィッドに執拗に調べられ、デイヴィッドに恨みを持っていたグレゴリー・ゲイウィルという男がフィリップにコンタクトを取って来て、「デイヴィッドはお前の妻のヘーゼルと関係を持っている」と告げるのである。
 パーティーでヘーゼルがデイヴィッドとあまりに親しげにしているのを目にしたフィリップは家でヘーゼルを問い詰め、ヘーゼルはたしかに関係はあったことを認めるが、もう今は肉体関係はないという。グレゴリーからは現在のヘーゼルとデイヴィッドとの関係で執拗に連絡があり、フィリップも「まだ関係はつづいているのだろう」と思わざるを得ないのだった。デイヴィッドへの殺意が芽生えるが。

 まあこのあとの展開はモラル的にもできるだけ書かないで進めたいのだけれども、ひとつには刑務所の服役によって、「殺人」などとはまるで縁もなかった人物が「殺人者」になってしまうという、刑務所の本来の目的である「更生」からは程遠い結果を生んでしまうということではある。ハイスミスの作品にはこういう警官や看守など、法の側にいるはずの人間によるリンチが描かれる作品がいくつかある。それは1960年代という時代的なこともあるかもしれないけれども、ハイスミスの「権力を忌み嫌う」気質のあらわれでもあるだろう。ひとこと書いておけば、フィリップとマックスとの同性愛に近接した友情もまた、「ハイスミス的」なところだろう。
 もうひとつ、フィリップを動かしているのは単に「憎しみ」という感情ではなく、妻と子どもの、とりわけ妻のヘーゼルの「愛情」を取り戻したいという、ヒューマニスティックな願望からのものであるということで、さいごにそういう感情を救い出すという点では、パトリシア・ハイスミスの作品でも「異色」なのかもしれない。つまり、読み終えても「いや~な気もち」にはならないだろうということか。ヘーゼルはおそらくはすべてを了解した上で、「これからはすべてうまく行くわ」とフィリップに語る。ここにあるのは「正当」な世界ではないかもしれないが、フィリップとヘーゼル、そしてその子どもは今後、ずっとうまくやって行くだろう。そのことのどこに「不都合」があるだろうか?

 さいしょに書いた、この作品の徹底した「一人称」による描写も効果的で、こういうのって映画化に向いているんじゃないかと思った。それがじっさいにこの作品は1977年にドイツのハンス・W・ガイセンデルファーという監督によって映画化されていて、日本でも1980年に公開されたようだ。主演は『ルートヴィヒ』にも出演していたヘルムート・グリームで、妻の役はブリジット・フォッセーが演じているようだ。さらに、撮影がロビー・ミューラーだということで、「これは観てみたい」という気もちにさせられるのだが、当然この作品はDVDなどにはなっていない。
 でもネットをみると、この映画版『ガラスの独房』のあらすじが結末まで書かれていて、それは多少原作から改変されているようなのだけれども、特にラストなどは「いいじゃないの」という結末だった。ハイスミスの作品というのは、こういう「改変」を許す融通性みたいなものもあって、そのことも彼女の作品の映画化が多いのではないかとも思った。
 このハンス・W・ガイセンデルファーという人はトーマス・マンの『魔の山』なんかも映画化しているようだけれども、ハイスミスの『イーディスの日記』も撮っていた。しかしアチラのWikipediaをみると、ハイスミスはその映画化された『イーディスの日記』のことを、「がらくた」だと酷評しているようだった。