ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』(2021) 金井久美子・金井美恵子:(ホステス?)

 この本(鼎談集)は、かつて1979年から1981年にかけて、雑誌「話の特集」に不定期連載されていたモノ。それがどういう経緯でかは知らないけれども、40年とかの歳月を経てこうやって単行本化された。すべて、金井久美子と金井美恵子の姉妹にプラスしたゲストとの3人での鼎談。全9鼎談のうち、さすがに現在4人のゲストの方はお亡くなりになられているが、5人の方はご存命。皆さんご長寿であられる。
 今でこそ、金井姉妹はまるで『毒薬と老嬢』に登場するおっそろしい姉妹みたいに、毒薬ならぬ「毒舌」を駆使され、文壇・論壇では恐れられている(のだろう)けれども(?)、この1979年から1981年、金井姉妹はまだまだ30代前半なのである。したがって、今のようにそこまでに妖怪のごとく「毒」を吐き散らす(失礼!)ということもないのだけれども、相手によってはけっこう辛辣な発言も楽しめる。それでも、基本的にはゲストに対する「リスペクト」はいっぱい読み取れるだろう。
 この鼎談のゲストは以下の通り。本の末尾には、この鼎談を振り返って、2021年末に行われた金井姉妹の対談も掲載されている。

蓮實重彦
武田百合子
西江雅之
大岡昇平
山田宏一
・フィリス・バンバウム
篠山紀信
・巌谷国士
平岡正明

 この9人のうち、一般に知られていないだろうフィリス・バンバウムという人はアメリカの作家/翻訳家で、当時、「日本の女性作家5人」を選んだ翻訳書の中で、金井美恵子の『兎』を翻訳された方である。
 「安倍公房のファン」だというこのフィリス・バンバウムさんとの鼎談は、この本の中では唯一といっていいぐらいの「文学談義」になっていて、「そもそも<文学>とは何か?(そもそも、人は<文学>から何を読み取ろうとするか?)」というようなシビアな話になっていたかとも思う。わたしはやはり、ここでは金井姉妹の意見に同意したいところだったけれども、このフィリス・バンバウムさんの「文学の読み方」というものをかんたんに否定しようとは思わない。読みごたえのある鼎談だった。

 意外と、蓮實重彦氏との鼎談は、さいしょっから最後まですべて「野球」の話ばっかしで、40年前の話ではあるし、わたしにはチンプンカンプンではあった。
 わたし的に面白く読んだのは、この日記にも書いた巌谷国士氏の「視力」の話(ちょうどわたしが「白内障」になったときだったし)と、あとは篠山紀信氏の「激写!」の話とか。アントニオーニの『欲望』のデヴィッド・ヘミングスの演技のおかげで、「激写!」っつうのもああやって被写体の女性モデルに馬乗りになって撮るんだろうと思い込まれていたという話。

 全体に、「やっぱり<1980年>だよね」というような空気感はただよっていて、金井姉妹にせよ、けっきょくは当時の<インテリゲンチャ>ではないか、みたいな発言も読み取れ、つまりは「毒舌」というものでもない。
 そういうので「あららら」と思ったのは最後の平岡正明氏の鼎談で、ここでは平岡氏は<鼎談>というのではなく、当時のサヨクっぽいというか、平岡氏流のアジテーションを繰り広げられ、そこに金井姉妹の「ちがうんじゃないの~」という反撃で「あ、そうかもね」とかんたんに持論を訂正しちゃうのだ。
 まあ平岡氏の場合、いかにも今で言う「サヨク」的な論説で、「そんなの常識じゃん!」っていうような、「さだまさし批判」、「高橋三千綱三田誠広批判」とかをやっていて、笑ってしまう。こういう人物もまさに1980年代的なアジテーターという気もするが、今でも左派にはまだまだこういう論調の「生き残り」のような人物はいらっしゃる。
 まあ、ちゃっちゃっと読んで、「ふんふん」と本棚に放り込んで(並べて)おけばいい本だろうか(読む必要がないとは思わないが)。