ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-01-21(Fri)

 今日から5連休ということになる。日曜日まで3日休むと、月曜日の午後から目の手術だ。しかし、仕事とかやっていると左目が見えないこともあまり意識されず、つい忘れてしまうこともあるのだけれども、家にいて何もしないでいると目のことが意識され、気分が重くなってしまう。
 特に「食事の準備」、「自炊」とかがやっかいで、ウチのキッチンはたいていのポイントが左側に位置しているわけでもあり、キッチンに立ちたくないという気分になる。それで出来るだけ食事はかんたんにしようと、昼食は野菜と肉を炒めて入れるだけの「3分で出来る」ちゃんぽんにして、夕食は前に買ってあった「カレー味」というカップ焼きそばにした。このカップ焼きそばはまったく美味しくなかったが。

 ニェネントくんは、昨日買った「クッション」をそれなりに気に入っているというか、わたしがリヴィングにいるときはニェネントもわたしのそばにいたいからリヴィングに来るのだけれども、そんなときにクッションの中に入って丸くなって寝ていることが多い。「ココは気もちイイね」と思ってくれていればいいが。

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 大手町の書店から、先週注文したシャーリイ・ジャクスンの『日時計』が入荷したとの知らせがあり、ウチでゴロゴロしていても気が滅入るばかりなので、その本を受け取りに出かけ、「ただ電車に乗って大手町まで往復する」というのも、電車の中で本を読んだりしていれば気が紛れていいのではないかと思ったが(本を読むのは、まったく目の負担にはならない)、けっきょく動くのが面倒で出かけないで終わってしまった。

 それで今は、その大手町の書店で先週買った『金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』を読んでいて、今日明日にも読み終えそうだ。
 シュルレアリスム研究の巌谷國士氏を交えての鼎談を読んでいて、巌谷氏は右目と左目の視力のバランスが悪く、モノが二重に見えてしまうという話をされていたわけだけれども、それを読んで「わたしもそうだ」と気づいた。

 実はわたしはこの鼎談を読むまで「誰でもモノを凝視しようとしたら二重に見えたりするものだろう」と、思い込んでいた。例えば夜空の月などを見つめると完全に二重に見え、その二重像をなんとかひとつの像として認識するのに苦労するのだけれども、つまり右の目で見るものと、左の目で見るものとがズレるということ。下の「月」の写真は、ネット上から見つけた、そういう「乱視」の人が見る「月」の像。わたしもこういう感じだったわけではある。わたしは、「誰もがこういうモノだろう」とは思っていたのだった。

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 ただ、巌谷氏はそれで細かい数字が読めないというけれど、わたしにはそういうことはなく、けっこう距離の離れたモノを眺めたときにそういうズレが生じるのではないかと思う。って、今は左目が見えなくなってしまって「どういう現象だったのか」確認ができなくなってしまったが、そういわれてみれば今回最初に訪れた眼科医に3年ほど前に行って、メガネをつくるための視力検査を受けたとき、「あなたの右目は単純な近視だけれども、左目の方は近視と乱視とがいっしょになっていて、それでは左右の視覚のバランスを取るのが難しいのではないか」と言われたのだった。そう言われたときは実感がないというか、どういうことかよくわからなかったけれども、そうか、わたしは巌谷國士氏ほどに強度にではないけれども、「左右の視覚にズレがあった」のだろうか。
 しかし、「白内障」で手術をおこなうということは、つまりは眼球内の濁ってしまった水晶体(レンズ)を除去して、代わりに人工のレンズをはめ込むということだから、それまでの「近視」だとか「乱視」などという状態は、これから除去しようとする水晶体の持っている「症状」だから、そんな水晶体を除去する手術のあとは、すっごい視力が良くなってしまうのではないだろうか。それはちょっと楽しみだが、読んだところでは「人工のレンズ」であるからピントを合わせることは出来なくなり、つまり単一焦点になってしまうらしい。
 そこでその人工レンズのピントを遠方に合わせれば「遠視」と同じ状態になるのだろうし、ピントを近くに合わせるレンズにすれば、「近視」になるだろう。わたしの右目は「近視」なわけだから、ここで左目を「遠視」状態にされると、またややっこしいことになってしまいそうだ。ココはやはり、左目の新しいレンズも「近視状態」のものにしていただきたい。手術の前に、「近視」と「遠視」とどっちがいいですか?とか聞かれるのだろうか?