ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2022-01-25(Tue)

 昨夜は当然、病院で左目につけた眼帯のまま寝た。それは違和感(異物感)はあったけれども、もともと左目はほぼ何も見えていなかったので、視覚的には昨日までとそんなに変わったわけでもない。痛みがあるわけでもない。
 この日は午前中に眼科医に行けば眼帯は取ってもらえ、手術後の新しいレンズで外界を見る生活が始まる。

 朝、家で軽く朝食をとり、テレビで「カムカムエヴリバディ」を見てから家を出るつもり。そうしたらこの日の「カムカムエヴリバディ」は物語の大転回の回で、トランペットを吹けなくなったオダギリジョーが入水しようとするのを、深津絵里が海に入って引き留め、二人での新しい生を誓うという展開だった。おかげでわたしの目からは涙が噴き出してしまい、「これはちょっと涙が乾いてから」と、出発を遅らせたのだった。

 9時半ぐらいに眼科医に着き、診察待ちのロビーで座っているとき、看護士の方が左目の眼帯を取ってくれた。
 それで、両目が見える状態でロビーの中を見て、実は相当にびっくりしてしまった。なぜかというと、すべてのモノに「奥行き」があるのだ。まあ「飛び出して見える」ともいえるのだろうか。それは初めて「3D映画」を映画館のスクリーンで観たときの「驚き」に匹敵するものだった。
 まあこれまで10日間ぐらい、ほとんど左目の視力がないような状態だったので、つまりは右目の視界だけで生活していたわけだ。それで「特に生活に困るわけでもないな」とは思っていたけれども、片目で見る世界と両目で見る世界とは大ちがいだった。「平面視」と「立体視」がここまでに差異があるとは思わなかった、というか、これは実体験しなければわからない。
 この、「奥行きのある世界」はあまりに魅惑的だったので、つい病院のロビーの中をグルグルと見回してみたりしてしまった。

 昨日の手術のときには「コレは『2001年宇宙の旅』みたいだと思い、今日手術後に両目で見られるようになると「3D映画みたいだ」と思ったわけだ。やはり「人生は映画を模倣する」というのは真実のようだと思った。

 術後の診察を受け、特に異常も認められないので診察もちゃっちゃっと終了。病院を出て帰路についた。
 この日は抜けるような青空の好天だったけれども、それにしても外は明るく感じられる。右目を閉じて左目だけで見渡してみたり、逆に右目だけで見てみたりして比べてみたけれども、右目に比べて左目は明らかに青みが強いというか、逆に右目から見ると視界内は相当に黄色味を帯びている。これは青空に目を向けると歴然としたものがあり、左目から見た青空の青さには感動的なところもある。このことは先日ネットで読んでもいたことで、やはり何十年も生きて使ってきた「眼」のレンズは、知れずに変色しているということ。

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 帰りは、南のドラッグストアから「ふるさと公園」を通り抜ける道を選んだ。この日の「ふるさと公園」では、シラサギ、コブハクチョウ、そしてオオバンなどの鳥が見られたけれども、今はもう、圧倒的にオオバンたちの数が多い。

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 公園を出るところで木の枝にとまる「ツグミ」の姿も見たけれど、また写真のピントはボケてしまった。眼の手術を終えても、こういうのはダメなままのようだ。

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 読書は『金井姉妹のマッド・ティーパーティーへようこそ』はもう読み終えていて、今はパトリシア・ハイスミスの短篇集『風に吹かれて』を読んでいる。「マッド・ティーパーティー」の感想は書かなくっちゃいけないのだが。