ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『山荘綺談』シャーリイ・ジャクスン:著 小倉多加志:訳

 シャーリイ・ジャクスンのことを知っていようが知るまいが、英米の「幽霊屋敷」モノのゴシック・ロマンでは相当に有名な作品。主人公の「霊視」の背後に、主人公が妄想を生む心理が要因ではあり、その「屋敷」で過去に悲劇があったということでも、ヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』と並べられることも多いと思う。
 その『ねじの回転』が1961年にイギリスのジャック・クレイトン監督によって映画化され(邦題『回転』)、評判も良かったことを受けてか、この『山荘綺談』も1963年にアメリカのロバート・ワイズ監督によって映画化されている(邦題『たたり』)。ロバート・ワイズ監督といえば『ウエスト・サイド物語』や『サウンド・オブ・ミュージック』のミュージカル映画の巨匠という感じだけれども、実はこういうB級センスのサイコホラー映画やSF映画演出の名手ではあったという。わたしはその『たたり』をまだ観ていないのだけれども、機会があればぜひ観てみたいものだ。
 また、1999年には、あのヤン・デ・ボン監督(そういう人がいたのだった)が『ホーンティング』として『山荘綺談』を映画化しているが、こっちは「なんやねん」と、悪評ふんぷんたるありさまのようだ。

 この、古い屋敷に霊が棲みつき、訪問者を取り込もうとするともいえるストーリーは、スティーブン・キングにも気に入られ、つまりはあの『シャイニング』が生み出されるきっかけにもなっているという。たしかに、読めば「ここのところはそのまんま『シャイニング』ではないか」という場面もある。

 物語は、「超自然現象」というものを科学的に解明しようとするモンタギューという哲学博士が、いわゆる「霊感の強い」という2人の女性を選び、「幽霊屋敷」とも言われる人里離れた大きな屋敷に、その屋敷のオーナーの親族のルークという若い男と共に、4人で「合宿」のように住み込む。それで博士は「何が起こるのか?」「2人の女性の反応は?」などと観察するわけだ。

 2人の女性とは、幼い頃に住む家に小石が降るという現象を体験した32歳になるエリーナーと、カードを見ないで当てる名人というセオドラと。
 エリーナーは実は長いこと母の面倒をみつづける生活をつづけ、外の世界のことをほとんど知らなかったし、「今の孤独な生活から逃れて外の世界に出会いたい」という、過剰に強い期待感を持っている。それはほとんど「妄想」を産み出すほどのものだろうか。
 「屋敷」に到着したエリーナーは、出会ったセオドラに過剰な期待をするのだが、そういうところではセオドラは機転は効くものの、「調子を合わせているだけ」なのかもしれない。エリーナーはあるときはセオドラに気もちを合わせて「いちばんの友だち」と思いもし、「ここを出たらあなたといっしょのところで生活したい」とも思うのだが、あるときは彼女のことを「顔も見たくない」というほどに憎み嫌うことにもなる。この感情の変化は、エリーナーの中でネコの目のように起こる。
 そして、3日目の夜だかに、ついに「怪異現象」が起きるだろうか。エリーナーは自らの「妄想」の中に沈みこもうとするのだろうか。

 作品は基本的にエリーナーの視点からのみ進行し、エリーナーの「内面」のうつろいこそが、「ひとり語り」に書かれて行く。その彼女の内面の「揺れ」こそが、屋敷の中で起こっている「超自然現象」よりも、よっぽど怖いわけだけれども、実はそんなエリーナーの心の「揺れ」とは、この「屋敷」の「意志」、「意図」にあやつられているとわかるとき、尋常ならざる恐怖感を感じることになるだろう。
 どんどんとエスカレートするエリーナーの意識は、過去のこの屋敷の住人の「悲劇」を追いなぞるようであり、まさにヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』のラストのように(もしくは『シャイニング』のように)、ついには「同化」してしまう。

 まあリアルな視点から言うと、この「合宿」の企画者であるモンタギュー博士は、さいしょに屋敷に「超常現象」が起きたとき、「これは人命にかかわることだ」と、合宿を中止すべきではあっただろう。でもまあ彼は「研究」したかったのだからしょうがないが。

 わたしは小説作品としては、オールドミス(これは今では「禁句」だろう)家庭教師の、自らのコンプレックス、妄想を取り込んで外界の古屋敷とリンクさせてしまった、ジェイムズの『ねじの回転』の方が一枚うわてだという感想はあるけれども、やはりヒロインのコンプレックス、妄想を取り込んで「幽霊屋敷」というものをストーリーに活かしたということでは、この『山荘綺談』にも一日の長があるとは思う。うん、どっちもいいよ!

 なお、現在はこの『山荘綺談』という文庫本は絶版で、今は「創元推理文庫」から『丘の屋敷』というタイトルで翻訳者を変えて刊行されているようだ(ちなみに、原題は「The Haunting Of Hill House」ではある)。