ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-08-26(Thu)

 夜中に夢をみていて目が覚めた。そのときに「面白い夢だったなあ」と思い、メモしておこうかと考えたのだが、まだ真夜中でもっと眠りたい。頭の中で見た夢のストーリーを反芻して、「これなら記憶しておけるだろう!」と、また眠ったのだった。
 今までに何度もやったことである。その顛末は誰もが予想する通りで、朝に目覚めて「夢をみていたな」という記憶はあったけれども、あれだけ「憶えていられるだろう」と思った夢の内容は、もうこれっぽっちも思い出せないのだった(ただ、夜中に「これだけ何度も思い返したのだから、きっと憶えていることだろう!」と思っていたことだけを、ちゃんと記憶していたのが悲しいのだ)。

 早朝、空は晴れていて、今日も暑くなりそうだ。勤め先の駅で降りて勤め先まで歩くけど、その途中の芝生にいつもスズメがいる。たいていカメラを向けて写真を撮ろうとするけれども、いつもいつもうまく撮れない。この朝はめずらしく5~6羽のスズメが集団で芝生に降りていた。シャッターチャンス!とカメラを向けたけど、やはりうまい具合には撮れない。まあせいぜい2~3分、カメラを構えるだけのことだし。
 なんとか1枚、1羽だけだったけど、ピントもばっちりというのが撮れた。ただ、肝心のスズメくんが無表情だし、もうワンポイント写真としてのアピールが欲しいところだ。まあ最近はスズメの「バッチリ」の写真も撮れていないから、このあたりでも「善し」といたしましょうか。

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 今日は、先日新しく買った布マスクと黒のニット帽、そして黒のTシャツといういでたちで仕事に出たのだけれども、この装い、先週となり駅のスーパーで女性店員に手を振ってもらったときとまったく同じだった。実は自分でもそのことは意識していて、「先週はこの格好でイイ気分になったな」ということは思っていた。もちろん、そんなことをずっと思いながら外を歩いていたわけではないが。
 しかしそれが、仕事の帰りに駅のそばのショッピングモールを通り抜けるとき、通路脇の店の女性店員が、わたしを見て微笑んで、お辞儀をしてくれたのだった(!)。
 今まで数え切れないくらいにこのショッピングモールの中を歩いてきたけれども、こ~んなことは初めてのことだ。やっぱりそこで「今日の格好は先週と同じなのだ」と思い出したわけで、アレですね、つい「わたしのこの布マスク、ニット帽、Tシャツのコーディネートというのは<人を魅了する>のではないか」などと、ものすごくうぬぼれたことを思ってしまい、ちょっと楽しくなってしまった。
 まあやはり実は、「つい笑ってしまう」滑稽な格好なのだという可能性は排除できないが、気分は悪くない。「これからは毎日、このいでたちでお出かけしようかしらん?」などとは思ってしまうおバカなわたしではあった。じっさい自分でも、この新しい柄の布マスクは気に入っているのだけれども。

 それで帰宅してテレビを見ると、あのスカ首相が昨夜の記者会見で「明かりははっきりと見え始めています」とのたまったということを知って、冷や水を浴びせられた気分になった。部屋は朝から(ニェネントのために)エアコンを付けっぱなしで冷えてるし、涼しいぜ!
 これはわたしの「このコーディネート、万能!」などという妄想のはるかに上を行く「妄想」だろう。ひょっとしたら彼は、何か訳のわからない「神の声」とかをお聞きになられて、これからは「宗教」の世界に行ってしまわれるのだろうか?という危惧まで浮かんでしまう。「わたしの見た<神>を皆で敬うように!」とか言って、国民全員に石っころとか買わせるようになるのではないか、などと危惧してしまいますね。「この石を床の間に置いて毎日しっかりと磨けば、<明かり>が見えるようになります!」とか。
 現実には医療体制はひっ迫し、ニュースでは「救急車を呼んだけれども搬入先の病院がない」などという報道がつづいている。いったいどこに「明かり」が見えるというのだろうか?
 昨日になってようやく、スカ首相は自身のツイッターで、先日柏市で妊婦さんが入院出来ず自宅放置され、早産した新生児が亡くなられた「事件」に触れた。
 「先日、自宅療養中の妊婦さんが受け入れ病院の調整に困難をきたし赤ちゃんを亡くされるという大変痛ましいことがありました。感染した妊婦にも対応できる高度な医療体制についても地域での確保を進め、迅速な搬送を行えるよう、病院、都道府県と消防機関の情報共有と連携の強化を徹底します。」という内容。
 正直、「書いてるだけ」という感じだ。文章にこころがこもっていない。もちろん、スカ首相当人がこんな原稿を書いているわけもなく(原稿が読めない人間がどうして原稿を書けるだろうか?)、秘書官とかが書いているのだろうけれども、そこで原稿の書き手はもちろん自分はスカ首相ではないから、出しゃばって「オレ、首相」みたいな意識を出してはいけない。自分のことを「非人格」としなければならず、結果としてこんな「こころのない」文章になるのだろうが。つまり、こういうところに「原稿の読めない・書けない」スカ首相の、「人間味のない」人格が形成されているのだとも言えるだろう。哀れなことでもある。
 だいたい、この「事件」からすでに一週間が経過しているわけで、わたしはこの件をスカ首相は問題にしないのかと気にしてはいたが、「ようやく」である。こんなことでいったい何が「迅速」なのか。どこに「明かり」が見えるのか。事態はまったく改善されている気配はないではないか(おそらく、スカ首相は新聞は読まない<読めない>し、テレビのニュースも見ることはないのだろう)。

 わたしもこのところ、本は読み進められないし、DVDなども観ない日がつづく。日々がただ過ぎ去って行く。今は通勤時とか、ちょっとずつ『ランボオの手紙』という古い角川文庫を読んでいて、これは薄い本だし、明日には何とか読み終えるだろう。ミヒャエル・ハネケのDVDを「観なくっちゃ!」とは思っているのだけれども、なかなかに観ようとはしない。

 昨夕につくって、「これは失敗したなあ」というおじや風のパエリアだけれども、まだいっぱい残っていたのが一晩放置しておいたらそこまでにひどい味でもなくなり、「フードロスをなくしましょう」というのがわたしの生活標語でもあるので、今日は昼食も夕食もその「パエリア」ですませた。次回はちゃんと「作り方」をよく読んで、もっとマシなパエリアをつくろうと思う。