ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-03(Thu)

 この夜は満月。最近は満月のたびにその横文字の呼称も報道され、そのうちにすべて横文字で呼ばれるようになり、「十五夜」とか「十三夜」とかいう呼び方も忘れられてしまうのではないかと思ったりするが、今宵の満月は「Harvest Moon」なのだ。だったらBGMはニール・ヤングだろう。
 出勤の時間で家を出ると、まだ中天に美しい月がかかっているのが見られた。雲も出ているけれども、うまい具合に月にはかかっていなかった。

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 「夜景モード」の撮影では月が明るすぎ、クレーターも映らずただの白い円盤になってしまったのが残念だ。

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 今日は10時ごろ、勤め先のあたりはとつぜんの激しい驟雨におそわれたようだ。外を歩いていた人はびしょ濡れになってしまったようだが、雨はあっという間にやんでしまったらしい。雨のあとは、また陽射しの強い晴天になってしまった。
 今ではこういう雨のことも「ゲリラ豪雨」とくくられ、「驟雨」などという言葉も消滅してしまうのだろうか。

 わたしは昼前に仕事を終えて帰路につくのだが、いつも乗るメトロの電車はそのうちに、わたしのウチに近づいてくると地上に出る。窓の外の青空の「青」が濃く、「碧空」とか「蒼空」の文字が似合いそうだ。
 地上の駅に着くと、ドアが開いて外の空気が車内に入ってくる。それがふと、スイカの匂いがわたしの鼻に届き、いっしょに過去のわたしの夏の思い出がよみがえる。このスイカの匂いはどうしたのだろうと思うが、ひょっとしたらこの駅で乗車してきて、わたしの並びに座られた年配の女性の方についてきたのだろうかと思う。
 スイカの匂いというのは、ピンク色をしている。それが窓の外の蒼い空の色と夏らしいコントラストをなして、どこか子どもの舐める大きなキャンディを思い起こさせる。

 自宅駅を降りて家に向かうとき、雲がきれいにまっすぐに空を切り裂いているのが見えた。今日もやはり暑い。

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 今朝はエアコンをつけたまま家を出たので、帰宅するとニェネントはリヴィングでくつろいでいたようだった。「これでいいのだ」と思う。

 わたしは「ひかりTV」をどうするか、昨日に引き続いて考えているのだけれども、部屋の隅に「画像安定装置」という小さな機器があり、どうも以前「ひかりTV」のHDDからDVDに焼く際、この画像安定装置をあいだに挟んだのではなかったかと思う。ただやはり、ウチのDVDレコーダーの「外部入力」がうまくいかない状態では、そのやり方で問題ないのかどうかの確認ができない。ちょっとこの件は週末にまたトライするとして、今日はそのHDDの中の映画から、テレンス・マリック監督の『天国の日々』を観ることにした。

 メディアではすでに菅氏が新首相になるとしての報道ばかりなのだが、アンケート調査でも、次の首相には菅氏がふさわしいという回答がトップだったらしい。ちょっと前の調査では菅氏を支持する声などほとんどなかったのに、つまり多くの国民は「テレビでそう報道してるんだからそれでいいんじゃない?」というところなのだろうか。
 ひとつにはそうやって「テレビの報道をうのみにする」人々がいかに増えてしまったかということにおどろくのだけれども、まあそれも安倍政権8年間の「成果」なのだろうか。
 そして何と言っても、(特にテレビで、特にNHKで)政権批判の放送がほとんどなくなってしまったこと。もちろんこれも安倍政権8年間の「成果」なのだろう。
 しかし、別に人々をバカにする気はないが、何もかもそうやって外から入ってきたこと(特に報道)をうのみにしてしまうというのは、どういうことなんだろう。ものごとを批判的にとらえるということをしなくなってしまっているし、そもそもそういう「ものごとを批判的にとらえる」ということ自体が忌み嫌われているようだ。今では政府などの提示する「日本の進路」を批判すると、「反日」などといわれてしまうのだ。これはもう「全体主義国家」なのだけれども、もちろんそのようにすべてを肯定する人々には自分が「全体主義国家」への進路をフォローしているなどとの意識はなく、多くの人が、日本は世界でも有数の「民主主義国家」だと思っているようだ。ところが国際NGO「国境なき記者団」が毎年発表している「世界報道自由度ランキング」で、日本は今年は対象180国中66位なのだ。「報道の自由度」は「民主主義」のひとつの測定目安と言ってもいいと思うのだが、これでは日本は胸を張って「民主主義国家」だなどと言えるものではない(もちろんこのことも、安倍政権8年間の成果であることは言うまでもない)。これでは日本人は北朝鮮の人々が「わたしたちは自由な国に住んでいて幸せです」と言うのを、とても笑ってはいられない。
 今は、そんな<「世界報道自由度ランキング」の決定基準がおかしい>との声が起こっているようで、もうどうしようもない。絶望的な気分になるしかない。