ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『フェルマーの最終定理』サイモン・シン:著 青木薫:訳

 わたしだって「フェルマーの最終定理」という、証明不可能とも思われていた「難問」が数学の世界に存在することは知っていて、おぼろげながらその定理がついに証明されたということも伝え聞いてはいた。
 この本は、その「フェルマーの最終定理」とはどのようなものか、どのような経緯で提出されたものなのかということから、330年の時を経てイギリスのアンドリュー・ワイルズによって証明されるまでの「歴史」を述べた本。わたしのような数学の知識といえば中学生程度の読者であってもよくわかる、平易な文章で書かれている(一部、まったくイメージできない事柄もあるにはあったが)。

 著者のサイモン・シン氏はイギリスのBBC製作のドキュメンタリー『フェルマーの最終定理』に関わったのち、この本を執筆したという。やはり「数学に強い」と一般に思われているインド人の血をひくことが、このような書物の執筆の影の力になっていたのだろうか、などとは思ってしまう。この本のあとも、いろいろと理数系のベストセラーを書かれているようだ。
 日本語版翻訳の青木薫という人も面白い人で、多数の理科学系の翻訳をやられているのだけれども、本来京都大学の理学部を卒業された理論物理学の理学博士でいらっしゃるらしい。

 さてわたしは、その名だけは知っていた「フェルマーの最終定理」なるもの、この本を読むまではいったいどのようなものなのか知りはしなかったし、「どうせわたしには理解できないような定理なのだろう」という考えもあった。ところが、この本にわたしだって理解できる「ピュタゴラスの定理」と絡めて紹介される「フェルマーの最終定理」というもの自体は、わたしにだって理解可能な設問だった。

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 しかも、「そのような自然数は存在しない」という、「答え」までが出されているわけで、ただあとはその「答え」が正しいということを証明すればいいということなのだ。この「問い」を提示したフェルマー自身は、「ふん、わたしは証明したもんね~。でも、書くスペースがないから割愛するね~」などと書いてるものだから、さまざまな数学者が「だったら証明してやろうじゃないか」とがんばるのだ。そしてその「証明」は、1995年にアンドリュー・ワイルズによってついに完成されるという話。

 この本がとにかく面白いのは、いちおう「フェルマーの最終定理」に絡んでいるとはいえ、数学・数論の歴史を包括して述べていることで、その中にはレオンハルト・オイラーや、女性数学者のソフィー・ジェルマン、決闘で死ぬ前夜に重要な遺書を遺したエヴァリスト・ガロアなどのことが語られる。
 「フェルマーの最終定理」の証明には「谷山=志村予想」というものが大きな影響を与えるのだけれども、このあたりの「モジュラー形式」あたりから、わたしの頭脳ではついていけなくなったようではある。そもそも数学・数論の歴史で、20世紀になってからのバートランド・ラッセルやクルト・ゲーデルの登場、彼らの理論というのはどこか通常のイマジネーションの届かないところにあり、ただこの本を読むぐらいの「にわか勉強」では「それはムリ」という感覚は受けた。

 ただ、本文のあいだにときどき挟まれる「補遺」としての「数学パズル」的な設問とその解は、問題を考えるのも回答を読むのも楽しく、「数学」への入り口としての楽しさを感じさせてくれた。しかしやはり、「数学・数論」で使う頭脳は、例えば小説を読んで使うのとはまた異なったところの「頭脳」だろう、とは思った。