ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『11の物語』パトリシア・ハイスミス:著 小倉多加志:訳

 1970年に刊行された、ハイスミスの第一短篇集。ハイスミスが『見知らぬ乗客』でデビューしたのは1950年だから、第一短篇集を出したのはけっこう遅く感じられるけれども(このあとは5冊の短編集を出している)、けっこう単行本未収録の短編は多かったようで、この時期にそんな作品をまとめてみたのだろう。
 すでに作家としての評判を得ていたハイスミスらしく、この短篇集にはなんと、グレアム・グリーンによる読みごたえのある「序」が掲載されている。

 掲載された作品は以下の11編。

・かたつむり観察者
・恋盗人
・すっぽん
モビールに艦隊が入港したとき
・クレイヴァリング教授の新発見
・愛の叫び
・アフトン夫人の優雅な生活
・ヒロイン
・もうひとつの橋
・野蛮人たち
・からっぽの巣箱

 ハイスミスお得意の、人間の心理的歪みを描いた精神病理学的な作品も多いのだけれども(分類すれば「恋盗人」「モビールに艦隊が入港したとき」「愛の叫び」「アフトン夫人の優雅な生活」「ヒロイン」あたりだろうか)、ここで特徴的なのはやはり「かたつむり観察者」「クレイヴァリング教授の新発見」「からっぽの巣箱」あたりの、動物を主題とした<怪奇幻想譚>めいた作品だろうと思う。
 特に「かたつむり観察者」と「クレイヴァリング教授の新発見」に登場するのはハイスミス自身が飼育していたらしい<かたつむり>で、前者ではあまりにかたつむりを飼育しすぎて飼育室にあふれてしまうという<悲劇>だし、後者は海の孤島に棲息するという巨大かたつむりを追い求めた生物学者がその巨大かたつむりを発見するものの、狭い島の中でかたつむりに追い詰められて犠牲になるという、トポールのアニメーション『かたつむり』を思い出させられる「ウルトラQ」的な作品。このあたりはまさにハイスミスの趣味性が全開というところで楽しませてもらう。
 また、「からっぽの巣箱」ではイタチみたいな正体不明の生物があらわれて夫婦を悩ませるのだが、その生物を退治するために近所から借り受けたネコまでが、「謎めいた」生物に見えてきてしまう。わたしの大好きな気味が悪い作品だ。
 <動物譚>ということで言ってみれば、「すっぽん」だって、母が料理用に買ってきた生きたすっぽんが契機になって、少年が普段から抱いていた母への不信感を増大させ、惨劇へと発展していくという作品ではある。この作品もいかにもハイスミスらしくもあり、わたしの好きな作品だ。
 ハイスミスは当時はそういう<動物譚>に興味があったのか、彼女は1975年になって、『動物好きに捧げる殺人読本』(Animal-Lovers Book of Beastly Murder)という短篇集を刊行している(わたしも昔読んで持っているが、次に読んでみようと思っている)。

 先に書いた「精神病理学」的な作品でいえば、「ヒロイン」は彼女の雑誌に掲載された「文壇デビュー作」で、ちょっとヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』風な味わいの作品。そしてグレアム・グリーンのお気に入りという「モビールに艦隊が入港したとき」は主人公の一人称で、一人の女性の「夢」が壊れていく過程が残酷なまでの筆致で書かれている。

 あとの、そういう分類にあてはまらない、いってみれば「純文学的」な作品にも惹かれるのだが、「もうひとつの橋」は、旅先で主人公の<善意>が空転していくストーリーで、ラストの主人公の喪失感が重く心に残る。そして「野蛮人たち」にはどこか傑作『変身の恐怖』を思わせるようなところがある。「自分の生活の平和を壊す」野蛮人の頭の上から大きな石を落とし、そのあとになって「わたしはどれだけあの男を傷つけたのだろうか?」と心に病む過程が興味深い。

 ウチにはまだ数冊ハイスミスの短篇集が本棚にあるのだが、先に書いたように『動物好きに捧げる殺人読本』から始めて、もうちょっとハイスミスの短篇を読んでみようと思うのだった。