ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-04-24(Fri)

 Stay Home18日目。体温は36.0度。今日は思いっきりダラダラとした一日をおくった。本もほとんど読まず、映画も観なかった。

     f:id:crosstalk:20200422050034j:plain:w500

 政府は、COVID-19収束後の経済対策で「GoToキャンペーン」なるものに今から力を注いでいて、1兆4千万とかの予算を組んでいるという。どこまでも「経済」のことしか考えていない今の日本。そんなことに金を使うより、今は医療対策に力を注ぎ、ひとりでも多くの感染者の命を救い、過剰労働などというものではすまない医療従事者の負担を減らすことに尽力すべきだ。
 だいたい、毎日のように感染者が増加している現状で、どうやったら「COVID-19が収束したら」との考えで、観光とかの消費喚起のことを考えられるというんだろう。わたしにはその神経がわからない。
 オリンピック/パラリンピックもそうだ。開催時期を1年ずらせて、来年の7月から開催の予定にしているのだが、これも「見込み」で来年には開催できるだろう、などとするのではなく、もうサッサと「中止」を決めるべきだろう。4年に1度のビッグ・イヴェントに賭けるアスリートの方々は残念無念だろうけれども、ずるずると結論を先延ばしにすべきではない。また、よく言われているように、「中止」と決めれば、晴海の選手村をCOVID-19感染者の隔離病棟に転用することができるのではないか。
 そもそもが、マラソンコースの問題であるとか、トライアスロンの水泳コースの水質汚染問題などがあるし、ほとんど<学徒動員>のようなボランティア募集の件もイヤな話だ。そういうオリンピックはやらないとした方がすっきりする。

 「来年の話をすると鬼が笑う」というが、まさに今の情況こそにぴたりのことわざで、それはもしかしたらワクチンとか特効薬が開発されて今年の夏にもすっかりウイルスは根絶されるのかもしれないし、もしかしたらさらに大規模なパンデミックとなり、収束が見られるまでに何年もかかることになるかもしれない。今はもう、まるでわからないのだ。

 ただひとつ、COVID-19で人類が滅亡しなかったとすれば、それからの人々の生き方には変化があることだろう。どういう変化なのか、人の生き方にはいろいろな側面があるけれども、どうも、保守であれリベラルであれ、どんな人にせよ「排他的」になってしまうのではないだろうか。逆に言えば保守的な傾向が強くなるだろうか。リベラルな意識は「内向的」になり、ムーヴメントを生みにくくなるような気がする(今でもすでにそうか?)。

 わたしはといえば、確実に大きな変化があることだろう。わたしの場合はCOVID-19の前に「慢性硬膜下血腫」での手術、入院という体験があり、そのことだけで「自分は以前の自分ではなくなるだろう」とは思っていた。それが退院すると同時にCOVID-19への警戒下の世界に編入され、1週間すると「緊急事態宣言」ということになってしまった。
 自分がこの疾病後に「どう変化してしまうのか」を見つめる前に、大きなうねりの中に呑み込まれてしまった感がある。ただ、それは入院体験の方がはるかに、わたしの身体/精神的には直接的、ダイレクトなことであって、本来であれば今は「これからどう生きるのか」ということが問われ、そういう生き方を探していたことであろう。
 そのような模索は別に「宙ぶらりん」にされたわけではなく、いま現在でも、わたしのCOVID-19感に大きな影響を与えている。つまりは、「入院体験」と自分の罹った「病気」とからCOVID-19を見ているのだと思う。そういう意味では、わたしはいくらか落ち着いて情況を見ているのではないかと思う。

 今日は夕方から、駅の向こうのスーパーへ買い物に行った。料理で「生姜」を使いたく、このスーパーがいちばん(圧倒的に)安いのである。
 家を出ると少し雨が降り始めた。傘を取りに家に戻って再出発する。駅への道はまた、先日の散歩で歩いた裏道を歩き、今日は、駅の手前にある線路を越える架橋を初めて渡った。橋をあがったところから西の空を見ると、雲の向こうに明るい太陽が光るのが見えた。遠くでは雷が光っているのも見えた。

     f:id:crosstalk:20200424164146j:plain:w500

 雨はほとんどやんでいたのだが、振り返ってみると太陽の反対側には「虹」のかけらが見えた。見ていると虹はだんだんと伸び、空に大きな「弧」を描きそうになった(そこまでの「虹」でもなかったが)。

     f:id:crosstalk:20200424164512j:plain:w500

 帰宅して夕食にして、ちょっと休んでいるとまた外で雨が降り始めた音がしたが、その音が何だか「バラバラ」とうるさく、これは「ひょう」でも降っているのではないだろうかと思って窓を開けて外を見ると、わたしの顔にまで冷たい氷の粒、「ひょう」が降りかかってきた。

     f:id:crosstalk:20200424190236j:plain:w500

 天候の変化の大きな一日だった。わたしは何もやらなかったわけだが、まあこういう日があってもいいだろう。