ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-03-21(Sat)

 わたしの罹患した「慢性硬膜下血腫」というのは、主に頭部の外傷や強打してから、頭蓋骨の下で脳を覆っている「硬膜」というものと脳とのすき間に血(血腫)が徐々にたまり、その血腫が脳を圧迫してさまざまな症状を起こすもの。わたしのように「歩行障害」を起こすケースもあれば、認知症と同じような「精神障害」を起こすケースもあるらしい。「記銘力」の低下により、新しいことを覚えられないこともあるようだ。一般に頭部外傷後3週間から数ヶ月以内に発症し、それまでは無症状の期間がつづくという。まさに年末の交通事故の「後遺症」にまちがいないだろう。さらに飲酒すること、バイアスピリンという血液をサラサラにする抗凝固剤を服用することも、発症に影響を与えるという(これは双方ともわたしに当てはまったわけだ)。
 手術は頭部の局所麻酔で頭蓋骨にドリルで穴をあけ、硬膜の下の血腫を洗浄するというもので、わたしの場合は前頭部に2ヶ所の穴をあける手術だった。手術後は症状は急速に改善されるということだが、10パーセントほどの再発があるということだけれども、その再発しやすい条件にはわたしはいちおう当てはまらない。とにかくは、まずは術後一ヶ月でまたCTスキャンを受けてチェックしてもらわないといけない。そういうことをケータイで調べて知ることが出来た。そういうわけで、今わたしが入院しているのは、「脳神経外科」の病棟である。

 入院して3日目になるが、今のわたしの状態については娘から聞いたことだけで、わたしの記憶では担当医師からわたしへの直接の説明がないと思った。
 これは後日になって、手術当日の手術後にも、手術翌日の午前中にも担当医はわたしと話をされていたらしいのだが、その記憶はすっかり失われていた。それでわたしは看護士に「担当医と話がしたい」とずっと訴えていたのだが、ちょうど今は3連休。さいしょの看護士の話ではこの日の土曜日に担当医は来られるかもしれないということだった。しかし、けっきょく来られないことがわかり、明日の日曜には来られるのではないかということだった。
 わたしは入院生活の不安もあるわけで、そのあたりの入院生活の説明も受けたいと思っていたし、術後に1週間ほどで退院できるのなら、来週中にも退院できることになるのではないかと思い、そのことも担当医に聞きたかったのだが、そういう記憶の減退もあり、精神的にも感情が不安定だった。それに対する看護士らの応対はあまり愉快なものではなく、たとえば食事を食べ終えたあとに病室に戻ろうとしたら「もうちょっと待っていられないのですか」と叱りつけられるように言われ、ナースステーションの前で待たされた。その待っているあいだについ頭に手をやるとそれを見とがめられ、「この患者さんが手術箇所をさわっている」と大声で看護士皆に伝えられる。わたしには手術の箇所をさわる意識はなく、ただちょっと頭に手をやっただけのことだから、「手術箇所はさわらないで下さい」と言えばいいだけの話ではないのかと憤慨もする。
 おそらくはわたしが入院したときに「この患者は<側頭葉てんかん>で通院している」との看護士への通達もあったのだろうが、何かのときに看護士に「てんかんの発作が起きている」と言われたこともある。わたしは長いことてんかんの発作が再発したことはないし、自分で発作のあとに「さっき、発作を起こしていたかもしれない」という自覚は持てる。もしもこの時期にてんかんの発作が起きればそれはわたし的にも<一大事>ではある。はたしてその看護士はちゃんとした「てんかんの発作」についての知識があってそのような発言をしたのか、ただ<側頭葉てんかん>への先入観でそのような発言をしたのか。もしも後者だったら医療に従事する上で問題のある発言だし、じっさいにわたしが「てんかんの発作」を起こしたとしても、「あなた、発作を起こしましたよ」と当人に告げるだけでいいものなのか。そういうことは担当医に話してちゃんと処置してくれないと困るのである。これは以後<てんかんクリニック>に通院したときに問題になるではないか。「なぜ発作を起こしたと言うのか?」とは問うてみたが、ただ「記憶が錯乱していた」と言うだけで、それは単純に「てんかんの発作」とはいえないのだ。思い込みで診断をされると困る。はたしてわたしの記憶の錯乱の理由は何だったのか。
 別の看護士は、わたしを車椅子から降ろして立たせ、歩かせるときにわたしの腕をひっぱる。これは介助行為としては不適切だろう。たとえば目の不自由な方を介助して道を案内するとき、その方の腕を取ってひっぱるように自分が先に立って歩くと、目の不自由な人は不安になるし、精神的に落ち着かない。わたしは「引っ張らないで下さい」と訴えたのだが、「引っ張っていませんよ」という答えなわけで、じっさいにわたしの感覚ではぜったいにひっぱられているのだが。
 ということでいろいろと不快なこともつづき、それは自分の精神の不安定さにもよるものだっただろうけれども、一時は「病院を変えてもらおう」と本気で思う状態だった。

 手術後の傷口はそれほどに痛むわけではなく、普段は気にすることもないのだが、就寝時、特に目覚めたときには鈍痛がする。昨日は夜中に同じ病室内のよそのベッドから、年配の男性らしい声で「おかあさん、おかあさん」という声が聞こえてきて、余計にやり切れない気もちになった。
 明日はまた娘が見舞に来てくれるという。もうすぐ今読んでいる本も読み終えるので、「本を買ってきてちょ!」とお願いしてしまった。しかしちょっと大きな本屋にしか置いてない可能性があるので、無理なお願いをしてしまったかと思った。