1日の夜から2日の朝にかけてみる夢が「初夢」。最近は夢をみても記憶していないことがほとんどなのだけれども、この「初夢」は記憶していた。ある意味みっともない夢なのだが。
わたしは夢の中でメトロの駅構内のようなところにいて、自販機で缶コーヒーを買おうとしているのか、財布から小銭を出そうとしているのだが、その小銭を落してしまう。前を歩いている人の足元に硬貨が転がって行き、その人の足のかかとのところに、わたしの落した5円玉がくっついているのが見えた。その先にはきっと百円玉が転がり進んでいるだろう。わたしは「それ、わたしのなんです」と拾おうとしてかがむと、その先のベンチの下にビニール袋に入ったお金が目に入った。硬貨といっしょに、折りたたんだ一万円札があるのがわかる。それを見つけたわたしは「ラッキー!いただいてしまおう!」と思うのだ。‥‥情けない夢だった。
朝、いちど起きて朝食をとり、しばらくパソコンにかぶりついていて、そのまままたベッドに行き、本をちょっと読んで寝てしまった。わたしがベッドに寝るとわたしの上に飛び乗ってくつろぐのが日課のニェネントは喜ぶのだが、目が覚めたら12時に近かった。「ま、いいか」とまた寝てしまったら、次に目覚めたら1時に近かった。「これは一日の過ごし方として良くない」と思った。
考えたら、このところすっかり「初詣」ということをやらなくなった。この千葉に来てからやっていない。別に信心深いわけではないけれども、以前は「ま、正月だから行ってみようか」みたいな軽い気持ちで初詣に行っていた。そう考えると、去年の暮れのたび重なる「不幸」は、「初詣」をやっていないことが原因ではないのかと、旧的な迷信ともいえるような思いにとらわれ、「今日こんなに無為に過ごしているのだから、初詣にでも出かけたらいいのではないか?」と考えた。
このあたりの初詣スポットといえばやはり「成田山」なのだろうか?と調べてみたら、意外とけっこう近くの弁天さまがスポットらしい。いつも買い物に行くときなどに看板を見ていて、「そうか、弁天さまが近くにあるのだな」とは思っていたが、行ってみようとは思ったことはなかった。でも今は初詣で神社関係は行きたくないし、そういうのでは弁天さまは最適かもしれない。「この際、行ってみようか?」と調べたら、先日行った市民病院への道をとちゅうで右に折れてまっすぐに行ったところで、市民病院への道のりとそんなに変わらない。まあ地図で見た感じでは4~50分の道のりだろうか。「いい散歩コースではないか?」と、歩いて行ってみることにした。
市民病院へ行くまっすぐな道を進み、とちゅうの信号で右への道を取る。すぐに小学校があり、その校門の前には、まるでバオバブの木のような、見たことのない木が生えていた。不思議な木だ。いったい何という木なんだろう?
歩いていくと、火事で焼けてしまった家の残骸があった。いつ頃焼けてしまったのか。テープが貼られているから最近の火事だったろうということはいえない。かつてのわたしの住んでいたアパートの火災を思い出した。
さらにその道をまっすぐ、20分ほど歩くと、その弁天さまへの道を示す看板がみえた。ほぼ「到着」であるが、その少し先に長く続く土手が見えたもので、「あの土手を越えると、きっと利根川が見えるのだろう」と思い、ちょっと寄り道してみた。
ところが、土手の上にあがってみても、ただ見えるのは広大な田んぼばかりで、川はまだまだ先の方のようだ。おそらくは近年に耕地されたのだろう。遠くには筑波山も見えたが、大きな川が見たかったのでちょっと残念。
道を引き返してすぐそばの「弁天さま」に到着。まだ正月二日だし、ここは近所の「初詣スポット」。参拝の人たちが境内への入場に列をつくっていた。しばらく並んで階段を上り、境内に入ると「奉納呼魂太鼓」の太鼓の音が境内に響いていた。
本堂で参拝し、新しい年の安泰とさらなる発展、そしてニェネントとの幸せな生活を願い、そのあとで白蛇のお守りを購入した(こういうところ、わたしは保守的なのだろう)。
時間は4時を過ぎ、少し待てばバスも来るようだったが、やはり歩いて帰ることにして、帰り道にスーパーに寄って「買わなくっちゃな」と思っていたシェービングジェルなどを買って帰った。
家への道はすっかり夕暮れに包まれてしまったが、そこまでに寒くもなく、「出かけてよかった」と思うのだった。
帰宅してニェネントに遅くなった夕食をあげ、わたしの夕食は、年末に買ってあったハンバーグでちゃっちゃっとすませるのだった。