ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ホフマン短篇集』E・T・A・ホフマン:著 池内紀:訳

ホフマン短篇集 (岩波文庫)

ホフマン短篇集 (岩波文庫)

●「クレスペル顧問官」
●「G町のジェズイット協会」
●「ファールンの鉱山」
●「砂男」
●「廃屋」
●「隅の窓」

 よくホフマンのことは「おばけのホフマン」と呼ばれるなどと書かれているけれども、わたしが読んだホフマンの作品で、じっさいに「おばけ」の登場した作品というのは記憶にないな。それよりもわたしがホフマンの作品で記憶に残るもの、この短編集の多くの作品でもそうなのだけれども、「夢」にとり憑かれた夢見がちな主人公が、素性のわからぬ魔術師のような男に導かれて破滅してしまうというようなものが多い気がする。そこに主人公を魅了する女性も登場するのだけれども、この女性がまたわけがわからない。そういうのの典型的な作品が「砂男」だろうか。
 ホフマンは時代的にはドイツロマン派の後期に属する作家で、それまでの「ロマンティストの夢は叶えられる」という志向から先に行くというか、「ロマンティストの破滅」みたいなテーマが描かれる。そこに「望遠鏡」だとか「自動人形」だとか、時代最先端の科学への描写も取り入れられるのも特色だろうし、「ドッペルゲンガー」を扱った作品もある。

 この短篇集で興味深かったのは「ファールンの鉱山」で、描写が両義的というか、登場人物それぞれが「はたしてこの人物は主人公を救うのか、それとも破滅に導くのか?」ということがすぐにはわからない。例えば主人公を雇い、娘のいいなずけにすることを承諾する鉱山の所有者の言うことなど、ほとんど新興宗教の教祖というかヒッピーの教祖というか、今読めば怪しくってしょうがない。こんな男についていけば主人公も破滅だな、という読み方も出来てしまう。
 こういうところに「ロマン派」とかの「古典文学」を超えて、現代性を感じさせられるところが、ホフマンの面白いところだと思う。今はホフマンの『牡猫ムルの人生観』が読みたい気分。