ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『父と私の桜尾通り商店街』今村夏子:著

父と私の桜尾通り商店街

父と私の桜尾通り商店街

 「白いセーター」「ルルちゃん」「ひょうたんの精」「せとのママの誕生日」「モグラハウスの扉」「父と私の桜尾通り商店街」の6篇を収録した、著者初の短編集(まあ『あひる』も「短篇集」かもしれないが)。

 今村夏子の作品には、どこか「世間」の価値観とは異なる世界が闖入してくるという作品が多く、それが多くの場合「子どもたち」を介して闖入してくるケースが多い気がする。例えば『こちらあみ子』ではそんな「異世界」を体現するのは主人公のあみ子自身であり、読者はそういうところでは「あみ子」の体現する世界に自分の世界をゆすぶられてしまう、というところもあっただろう。『あひる』ではまさに「あひる」を見に来る子どもたちが「異世界」で、だからこそ終盤で家に戻って来た父の弟(常識世界の住民だった)によって排斥されてしまう。『あひる』に収録された『おばあちゃんの家』も、『森の兄妹』も、それはまさに「子どもの視点」からの「異世界」か描かれていただろうか。そして、『むらさきのスカートの女』でも、その「むらさきのスカートの女」と遊ぶ「子どもたち」の登場がポイントでもあっただろう。

 この短編集では、まずは冒頭の「白いセーター」に「子どもたち」が登場し、主人公と外世界とに「亀裂」を生じさせることだろう。「モグラハウスの扉」にも「子どもたち」は出てくるが、ここでは「子どもたち」の異世界に行ってしまって戻って来られない女性が登場するだろう。「子ども」自体は登場しないけれども、「ルルちゃん」のルルちゃん人形はまさに「異世界」への入り口として置かれていた。「ひょうたんの精」はまさに、「ひょうたん」の中に覗かれる「異世界」の話だろう。
 「せとのママの誕生日」、そして「父と私の桜尾商店街」はちょっと異質かとも思うのだけれども、「せとのママの誕生日」はどこか『こちらあみ子』に収録されていた「ピクニック」に通じるところもあるのだろうか。