ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『近代科学とアナーキズム』ピョートル・クロポトキン:著 勝田吉太郎:訳(世界の名著『プルードン/バクーニン/クロポトキン』より)

 アナーキズム無政府主義)というものは一般にプルードンによって思想として成立し、バクーニンが運動を発展させ、クロポトキンによってまとめられたもの、という見方ができるだろうか。ただ、プルードン以前のロバート・オーウェン、サン=シモン、シャルル・フーリエの「空想的社会主義」においてもアナーキズム的要素は強く、イギリスのウィリアム・ゴドウィン(メアリー・シェリーの父である)こそが最初にアナキズム的思想を確立したという見方も一般的である。

 クロポトキンは政治思想家である前に地理学者であり生物学者であり、その科学者としての思考法がアナーキズムというものの理論化に大きく影響している。この『近代科学とアナーキズム』においても、科学での「帰納法」に絶対的な信頼を置き、観念論、ヘーゲルの「弁証法」という思考法を排除する。これよ、ここにこそクロポトキンの<欠陥>があるというか、「民衆に理解できない論旨は役に立たない」という視点を取ってしまう。そういう意味では彼のアナーキズム理論は<素朴>といってしまってもいいものだと思うけれども、さすがに<科学者>というか、この『近代科学とアナーキズム』執筆時にはまだまだ<現在進行中>であったアナーキズム運動を、非常にわかりやすく説いていて、「アナーキズム入門」としては最良の書物になっているだろうか。

 しかし、この本に書かれている次の一説を読んでみよう。

十九世紀の過程では、国家は、工場所有権、商業、銀行を富める階級の手中に独占させ、農村の共同体から土地を収奪し、農民を重税によっておしつぶし、これらの富裕階級のために、安価な「労働力」を提供することによって、強大となっていったのだ。

 『近代科学とアナーキズム』はまずロシア語で1901年に書かれ、1912年に英語版、1913年にフランス語版が書かれたようなのだが、ここで書かれている「強大化する国家」の姿とは、まさに今の安倍政権下の日本ではないかと思ってしまう。つまり安倍政権は今の日本を百年前、いや、もっと以前の姿に逆行させようとしているわけだ。まさか百年以上前のこの本が、こうやってストレートに今の世界を読み解くよすがになるとは驚いてしまうではないか。

 クロポトキンの思想は<性善説>、<楽観主義>に裏打ちされていて、「クロポトキンさん、そうはいかないでしょ!」と思わせられてしまうし、例えばこの今の日本でアナーキズム的思想を展開している柄谷行人が、カントの至上命題「他者を手段としてでなく目的として扱え」ということばから出発しているわけだけれども、クロポトキンはそれを「われわれの理解を越えるものであり、われわれにとって、全く無縁のものである」と言ってしまうのである。ここに、クロポトキンの大きな大きな<限界>がある。
 それでもなお、「アナーキズムとは何か」と問うとき、まずはこのクロポトキンの著作から取り組むというのは「正しい選択」ではないだろうか、とは思う。