ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-03-24(Sun)

 四連休も今日でおしまい。けっきょく何もやらないで過ぎてしまった感じだけれども、やはり四日連続して休むのはそれだけで気もちがいい。今日は風も強くなくておだやかな天気なので、午後から図書館へと歩いた。
 図書館への道の、マンションの立ち並ぶ合間の道にはちょっとした桜並木があるのだけれども、もう開花した桜の花が目につくようになっていた。すぐそばにはモクレンの花が満開で、もう散り始めている。

 今日図書館に来たのは、ジョセファン・ぺラダンのことを書いた澁澤龍彦の『悪魔のいる文学史』を借りるのが第一目標なのだが、けっきょくお手軽な中公文庫版は絶版だし、図書館にも置かれていないから、「澁澤龍彦全集」で借りるしかない。ン十年ぶりに澁澤龍彦を読むかね、みたいな感じである(今のわたしが澁澤龍彦をどう思っているのかを書くと長くなるので、そのことは別の機会に)。
 そのほか、美術書の棚のところに行くと新潮の美術文庫の『クリムト』の巻とかが目について、クノップフクリムトの関係とかもあるし、とにかく来月からは大規模な『クリムト展』が上野で開催される。ニコラス・ローグの『ジェラシー』の思い出もあり、この本を借りる。
 同じ美術書の棚にヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』の大判の本があるのが眼にとまり、取り出して本を開いてみるとやはり魅力的なので、いっしょに借りて帰った。

 帰宅してネットをあれこれ閲覧していると、日本の某人気作家がナボコフの『ロリータ』を読んだ書評というのが某新聞社の記事としてアップされていたのだが、この人はあくまでも<被害者>であるロリータの視点からこの本を読んだようなのだが、「わたしは本書を読んで、移住者が身寄りのない少女を、つまり、弱いものがさらに弱いものを、支配し搾取する構図に、現代性を見るように思った。」という記述には大いに<疑問>を感じた。
 たしかに、ナボコフには<被害者>の視点を見捨ててその判断を読者にゆだねるようなところがあり、それは『アーダ』の中にもそういうところはあるのだけれども、この件に関してはアーザル・ナフィーシーの『テヘランでロリータを読む』という、非ヨーロッパ圏(イスラム圏)からのすばらしい読解が存在する。この朝日新聞の記事の執筆者は、『ロリータ』の語り手のハンバート・ハンバートも<移住者>という<弱いもの>という見方をしているのだが、それは違うと思う。わたしの記憶ではハンバート・ハンバートはヨーロッパ的知性を身につけた語り手で、そんな視点から「英米文学(だけでなくヨーロッパ文学全体)を包括した視点」からの、まさにペダンティックな語り口の中に、まるでケルアックの『オン・ザ・ロード』みたいに、アメリカ横断の旅の中に自分のアイデンティティを見つけようとして、それでも結局見失っていく男の物語なのだ(はたして、ナボコフはケルアックのことを知っていただろうか?*1)。そこに、アーザル・ナフィーシーのような批評眼が入り込むところが面白いのだ。
 しばらく前にTwitter上で、やはりこの『ロリータ』に関してアメリカで『The Real Lolita』という本が出版されたことを受け、「そのころスランプだったナボコフは、新聞沙汰にもなった実際の事件を受けて『ロリータ』を書いたのだ」みたいなことを書いていた人もいて(その書いた人も英米文学者というか、翻訳者だった)、『ロリータ』なんて『羊たちの沈黙』みたいなものよ、などということを書いていて「この人は何を読んでいるのか」とあきれたものだけれども、この朝日新聞の記事も、素直にナボコフを読むということからは程遠いというか、いや、まあ「素直にナボコフを読む」ということも難しいことだけれども、ただストーリーだけを読み解こうとするとこういう感想になってしまうのかと思う。
 ‥‥本を読むとき、その<ストーリー>だけを理解すればいいという読み方は「大きな間違い」で、このことは映画の観方と同じなのだけれども、「作者は何を描いているのか」ということを、<ストーリー>から離れて読み取るべきだと思う。わたしはそういう読み方をしている。そういうところで『ロリータ』と『羊たちの沈黙』との差異(ギャップ)はあまりに大きく、いやそのことは『羊たちの沈黙』がつまらないということではなく(わたしだってこのトマス・ハリスの原作は好きですよ)、「同列に語るなよ」ということである。
 こういうことはまだまだ書けるけれどもこのあたりでやめておいて、とにかくはまた『ロリータ』を再読してみたくなってしまった。今週はパトリシア・ハイスミスの『死者と踊るリプリー』もすぐに読み終えるので、そのあとは『ロリータ』を読んでみようかと思う。

 今日はもうひとつ。こうやってパソコンでWindowsを使うようになったなら、つい先日Macでダウンロードに失敗したAdobeの"Illustrator"と"Photoshop"の(無料)旧ヴァージョンをダウンロードできるのではないかと、トライしてみた。若干試行錯誤もあったけれども、意外とすんなりとダウンロードに成功し、使えるようになったようだ。うれしい。すっごくうれしい。

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 昔は"Illustrator"も"Photoshop"もMac専用ソフトで、当時は無料だったから、わたしは"Illustrator"と"Photoshop"とを使って、わたしのイヴェント「crosstalk」のチラシをつくったりしたものだった。そうやって、自分でチラシをつくれたりしたからこそ、わたしは「crosstalk」みたいなイヴェントを実現できた。とても懐かしい。
 もう今では使い方、オペレーションとかすっかり忘れてしまっているが、少しずつでも使って行って、多少でも使いこなせるようになりたいものだと思うのだった。
 

*1:『ロリータ』の発表は1957年、『オン・ザ・ロード』は1957年発表だから、知るわけないか。