ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-11-20(Fri)

 今日はついに、佐倉の「国立歴史民俗博物館」へ『性差(ジェンダー)の日本史』展を観に行く。世間はCOVID-19の大規模なまん延もあり、政府の主導する「Go To キャンペーン」への批判も強まっているというのに、わたしはこうやって「プチGo To トラヴェル」みたいなことをやるのだ。
 まあ佐倉へはウチから電車で一時間ぐらいのものだし、「トラヴェル」などといえるようなものではないのだけれども、都心方面ではなく、今まで行ったことのないスポット(佐倉自体は去年にいちど訪れてはいるが、「国立歴史民俗博物館」は初めて)へ行くのは、わたしの中ではちょっとした「旅」気分ではある。
 とにかく今年はわたしの入院療養もあったし、「COVID-19禍」も継続中だし、こういう遠出(というほどではないのだが)というのは今年初めてのことだし、おそらくはこれが今年さいごの、というか当面はずっと将来にわたってさいごの「遠出」になるのではないかと思える。

 天気予報では今日は曇り。雨が降ることもあると。気温はやはり昨日のように上昇し、23度ぐらいになると言っていた。「では」とシャツ一枚で出かけることにし、かんたんな朝食をとって7時半ぐらいに家を出た。
 たしかに空は暗い雲に覆われていて、「今にも雨になりそうだ」と思ったとたん、ポチポチと雨粒が落ちてきた。

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 傘をさすほどの雨でもなく、そのまま駅へと歩いているうちに止んでしまった。
 駅からは成田線の電車に乗って成田まで行き、そこで京成線に乗り換えて京成佐倉の駅まで。車内は危惧していたような混み方ではなく、たいていは通学の高校生らしい乗客だった。
 9時すぎに京成佐倉駅着。博物館は9時半オープンだからけっこうちょうどいい時間。博物館のサイトからプリントアウトしたマップが役に立った(なぜかわざわざ遠回りしている箇所があったけど、どうも国道沿いの情緒のない道を避けているようだった)。

 国立歴史民俗博物館佐倉城址公園の中にあり、ゆるい坂道をのぼって行く。行きかう車も人の姿もほとんどなく、道の両側には色づいた木々が連なっている。正面にでっかい箱のような建物が見え、あれが博物館なのだろう。

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 国立歴史民俗博物館に到着。

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 チケットを買う前におでこで体温を計測し、さらに氏名と電話番号を用紙に記入して提出する。COVID-19への対処なのだろうけれども、けっこう厳格な印象だ。
 入場してみるとそれなりの数の観客。中年ぐらいの女性客がほとんどで、平日ということもあってか、若い人はほとんど見かけない。そして、女性客よりはちょっと年配の人の多い感じの男性客は、女性客にくらべてもかなり数が少ない印象だった。

 全体を7つのセクションに分けた展示は、予想していた通りに文書関係の資料の展示が多くもあったけれども、わかりやすい解説もあって要点は理解できる(しかし資料は読めない)。
 展示を観ているうちに暑さを感じ、着ていたシャツを脱いで半袖のTシャツ一枚でちょうどいい感じになった。しかし肩からぶら下げたバッグが重いし、とにかく展示を観る(読む)のに時間がかかる。ようやく展示をすべて観終えて外に出ると、けっきょく3時間近くかかっていた。

 ミュージアムショップに行き、まずは図録を買い、その他にもいろいろと面白そうなグッズが売られていたけれども、「どうせ買っても放置してしまう」と思って何も買わず。

 実は同じ博物館で並行して開催されている展示、『日本の食の風景 そとたべの伝統』というのも観たい気もちもあったのだけれども、もうヘトヘト。みてみると、その展示のけっこう充実した無料パンフレットが置かれていて、「これでいいや」ということにして、いただいて帰った。

 外に出るとそこはつまり「佐倉城址公園」で、広いスペースに色づいた木々が見られ、芝生には落ち葉がたまっていた。ちょっとばかり散策してみたが、ほとんど人の姿もなく、「COVID-19禍」からの逃避行として心も和らいだし、美しい景観に目も休まる思いがした。「来てよかった」と思えたひとときだった。

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 食事がしたい。公園を出て駅への道を歩きながら、昼食を食べられるところを探す。ちょうど道沿いに蕎麦屋があったので、「蕎麦屋のカツ丼が食べたい」と店に入った。何の変哲もない、おしゃれでもアンティークでもない蕎麦屋で、「こういうところに来たかった」と思う。まかないは、このような蕎麦屋では決まって「蕎麦屋らしいおばさん」なのであって、それでちょっとばかし雑談をする。「今日は暖かいですねえ」。ビールとカツ丼を注文した。

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 いつも思うことだが、蕎麦屋のカツ丼が他の食堂とかのカツ丼よりおいしく感じるのはなぜなんだろう。蕎麦屋特別のレシピでもあるのだろうかと思う。この店では特に味噌汁が抜群に美味で、ひとくち口をつけてそのおいしさに「あ~!」と声が出てしまった。至福のひとときであろう。

 あとは家に帰るだけ。帰路の電車の中から、それまでの曇天が青空に押しのけられて行く感じが目にはいり、「美しいものだな」と思う。

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 駅からの帰りにスーパーに立ち寄り、お留守番のニェネントくんへのお土産のつもりで「刺身の盛合わせ」(このスーパーのお刺身はおいしいのだ)を買い(まあ半分はわたしが食べるのだ)、わたしはわたしで「天ぷらの盛合せ」を買う。帰り道も、ちょっと遠回りの空がよく見える道を選んで、空の雲を見ながら帰った。

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 ちょうど帰宅するとニェネントの夕食の時間で、ネコ缶のトッピングにお刺身をいっぱいのっけてあげた。ニェネント喜べ。
 わたしも夕食にそのお刺身をいただいたが、やっぱり近隣のスーパーではこの刺身を買ったスーパーの刺身が飛びぬけて美味で、「どうしてスーパーによって、こういうとんでもない味の差異があるのだろう」と、あらためて思うのだった。
 わたしの、今年さいしょでさいごの「旅」が終わった。疲れたが心は休まった。
 

『ザ・ウォード/監禁病棟』(2010) ジョン・カーペンター:監督

ザ・ウォード 監禁病棟 [DVD]

ザ・ウォード 監禁病棟 [DVD]

  • 発売日: 2012/03/02
  • メディア: DVD

 「あのジョン・カーペンターの監督作品だ!」などと思っても、わたしの場合、記憶障害もあって、カーペンター監督の過去の作品をな~んにも思い出すことができない。それで現在のところ、この『ザ・ウォード』がカーペンター監督の「最新作」ということらしい。というか、もう10年も新作を撮っていないのか。

 だから、「カーペンター監督の作品だから」とかどうのこうのとかいうのではなく、ただ虚心に映画を観る。とにかく、「絵」がカッコいい。これは「ドラマ」を見て行く作品というよりも、ヴィジュアル的に観て行った方が良さそうだと思う。
 タイトルからして「The Ward」(病棟)なわけだし、冒頭のタイトルバックの写真からも、これは精神病棟を舞台とした映画なのだと想像がつく。そういうところで、薄暗い閉鎖空間の撮影、特にくり返し映し出される病棟内廊下の一点透視的な絵が、その画面内の消失点の奥にヒロインの目指す「自由な世界」が存在することをヴィジュアル的に示していただろう。

 ただどうも、そういう「精神病棟」内での展開で、ストーリーがヒロインの視点から描かれるとなると「何でもあり」というか、まあだいたいはそのヒロインの「妄想」からのストーリーが描かれるのであろうことは想像がつく。まあ観ていても「どうにでもして下さい」みたいな感じというか。
 それで時制が「1966年」ということで、その当時は精神疾患治療もかなり乱暴だったわけで、この映画でも「電気ショック治療」なんか平気でやっていて、「病院側」=「悪」みたいな刷り込みが得られやすくなる。看護婦は三白眼でにらみつけてきて怖いし。

 まあ普通に観ていても、そもそもヒロインは「放火」の罪もあってその病棟に収容されているわけで、冒頭にはその放火のシーンも描かれている。病棟内の描写ではヒロインこそは健全、正常な人物のように描かれてはいるけれども、「じゃあさいしょの<放火>はなぜなんだ?」という疑問はついて回ることになる。
 これらの<理由>は終盤にちゃっちゃっと説明されるわけだけれども、それで「そうだったのか」というカタルシスが得られるというよりは、やはりこの映画の描きたかったのはまさに病棟内の「異常な世界」こそであって、「実はこれこれしかじかのストーリーだったんだよね」ということで「一件落着」してしまうのではつまらないだろう。まあ演出面でも「これで一件落着ではないよ」というエンディングは用意してあるのだけれども。

 ただやはり、映画としてはこじんまりとまとまってしまっていたというか、「これがあのジョン・カーペンターの作品だ!」というインパクトはさほどに受け取れなかったのは残念だった。
 

2020-11-19(Thu)

 リヴィングの窓が、薄く開いていた。どうやらわたしが窓の鍵をかけ忘れていたようなのだが、窓が開いているとニェネントが出て行ってしまうし、わたしはぜったいに窓を開けておいたりはしない。どうも、ニェネントが自分で窓を開けてしまったようだ(鍵さえかかっていなければ、ニェネントが前足の力で窓を開けられるということは知っている)。じっさい、ちょうどニェネントがすり抜けられるぐらいのすき間が開いていた。
 これはどうも、わたしが仕事に出ているあいだにニェネントが自分で窓を開け、(おそらく)外に出てアバンチュール(どんな「アバンチュール」だったかは知らないが)を楽しみ、そのあと「やっぱりウチがいい」と思ったのか、部屋に戻ってきたのだろう。これがわたしが「虐待飼主」だったり、ニェネントがこのウチを気に入っていなかったりしたら、そのまんま戻って来なかったところかもしれない。ちょっとばかり、冷や汗をかく思いがした。

 このあいだ、いつも飼いネコの行動ばかりを解説しているネット記事を読んでいて、その回は「ネコが『家族』と認めた人にだけするしぐさや行動」というコラムだったのだけれども、そこに挙げられていた飼いネコの飼い主に対する「5つの行動」とは、
 1.舐める
 2.近くで寝る
 3.無遠慮に乗ってくる
 4.ご飯を手から食べる
 5.しっぽをピンと立てる
 という5つだった。わたしはニェネントに手ずから食べ物を与えたことがないので「4」はわからないし、まあニェネントがわたしに「無遠慮に乗ってくる」のは、わたしが寝ているときだけなので、「3」もたしかにはそうと言えないところもあるけれども、あとはまるっきりOKだ。まあ前からニェネントはわたしのことを「ただバカでかいネコ」とは思ってる気配は感じていたけれども、「家族だね~」とは思ってくれているのだろう(知ってたけどね)。

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 今日もまた気温が上がった。テレビを見ると今日の最高気温は24.9度になったと言っていた。わたしは朝はジャケットを着て家を出たけれども、帰宅するときはジャケットを脱いで、アンダーとその上のシャツだけでちょうどいい感じだった。
 昨日までは昼間はすっかり快晴で、空に雲など見られなかったのだけれども、今日の昼には久しぶりに青空をバックに空に浮かぶ雲の姿が見られた。なんだか最近は、空に雲が浮かんでいると写真を撮りたい人間になってしまっているので、うれしいことではある。

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 仕事の帰り、もうウチに米がなくなってきたので、途中駅で下車して駅前のスーパーで「白米」を買う。そのスーパーの「10パーセント割引券」を持っているのだ。さすがに5キロの白米をぶら下げて帰るのは「ひと仕事」で、ジャケットを脱いでいても汗ばんでしまった。
 帰宅してちょっとチェックしてみたのだけれども、つまりわたしは5月以降、45日か50日ごとに白米を5キロ買っていることがわかった。途中で「焼きそば」とか「スパゲッティ」、「インスタントラーメン」や「アルファ米」などをはさみながらの消費傾向で、ずっと「白米」だけでやっていたら一ヶ月に5キロの消費では足りないかもしれない。まあ次に米を買わなければならないのは、ちょうど「年末年始どき」だということがわかった(そのときまで生きていればね)。

 帰宅したあと昼食のあと風呂を沸かして入り、そのあと内科クリニックへ「定期検診(実質は処方箋をもらうだけ)」に出向いた。夏のあいだはCOVID-19禍でクリニックも閑散としていたのだけれども、それが今はロビーも混み合っている。「新規感染者」が増大していることなど関係ないようだ。というか、インフルエンザの流行の季節でもあるし、しょうがないのか。

 クリニックへの道すがら、面白い午後の空の雲が見ることができた。

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 診察を終えて帰るときはほとんど夕暮れ時に近く、またいろいろな雲が見ることができた。

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 帰宅すると、今日のCOVID-19新規感染者数は、東京でついに500人を越えたという報道だった。
 菅首相は、対策も何もへったくれもなく、ただ国民に「静かなマスク会食」をと呼びかけるだけで、「自分もやります」と言ったということ。つまりこれは「Go To トラベル」「Go To イート」をどこまでも継続する、ということで言っているのだろうけれども、つまり「旅行」はせっせとやるように、ただし食事のときはマスクをかけたままで静かにやるのだ、ということだろう。これはつまりCOVID-19感染の原因は「会食」にこそあるのだ、と言っているようなものだけれども、「Go To トラベル」「Go To イート」には、他にもCOVID-19感染の原因となることがらが山ほどあふれているのではないだろうか。たとえば、自分の手がどんなものに触れてしまうのかということもあるし、人混みの中では衣服全体がウィルスを被ってしまうだろう。そういったことをどうするのか。単に「食事」だけのもんだいではないだろう。じっさい、最近の感染者の感染理由には「不明」というのが半数以上を占めている。
 もしもほんとうにCOVID-19感染を抑えようとするならば、まずは感染者の感染原因をしっかり究明する必要があるだろう。その上で、政府として対策を打ち出すべきなのだ。「静かなマスク会食」などというのは、これは「政府の対策」などとは言えるものではない。

 夕方には東京都の小池都知事が会見を開き、「五つの<小>」などということを言い出した。これもまた「会食」に関してのことで、笑ってしまうのだが、つまり極力「少人数」で、「小一時間」、「小声」に抑え、料理は「小皿」に取り、「小まめ」にマスクをしよう、ということなのだ。
 なんか、人間をバカにしてるんじゃないだろうかと思うしかない。というか、そこまでして「Go To トラベル」「Go To イート」を継続しなければならないのか。そこまで神経を使って「会食」しなければならないのなら、「じゃあみんな解散して、それぞれ一人で食事いたしましょう」という方がよっぽど楽なのではないのか。だいたい、春に言っていた「ソーシャル・ディスタンス」ということを、今になってもう誰も言わないというのはどういうことなんだろう。
 わたしは今でもエスカレーターとか乗るときに「前後に人がぎっしり」という状態は避けるようにしているのだけれども、このところずっと、前後の人との間隔を取らないで乗る人ばかりなので、もう(よほど空いているとき以外は)エスカレーターを利用することはやめている。今はエレヴェーターも使わないので、もう階段を使っての「足の運動」ばっかり。
 というか、そんなこと言いながらも、わたしも明日は「プチGo To トラベル」をやらかしてしまうわけだ。「大きなことも言えないな」とは思う今日この頃ではある。

 夕食に久々に「ポテサラ」をつくった。今日はジャガイモをゆでたあと、しばらくそのまま放置しておいたので柔らかく仕上がり、つなぎにマヨネーズを混ぜることもしなかった。このところの体験から、料理の極意は「放置」にあるのではないかと思ったりする。塩加減もうまく行き、おいしいポテサラになった。

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 夕食のあと、久々に「GYAO!」の映画無料配信でジョン・カーペンター監督の『ザ・ウォード 監禁病棟』を観た。しばらくチェックしないあいだに、ダリオ・アルジェント監督の『サスペリア』やボン・ジュノ監督の『グエムル 漢江の怪物』、そしてケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』などの作品が「無料配信リスト」に加わっていた。これからの連休には、家でこれらの映画を楽しもうと思う。
 

2020-11-18(Wed)

 先日買った「柄マスク」を洗濯し、「今日はこのマスクにしようか」と洗濯干しから外してみると、洗濯する前は白地に黒と茶色の格子模様だったのが、茶色の部分がすっかり色落ちしてしまっていてグレーに変身、単なるモノクロ格子になってしまっていた。‥‥なんということだ。あの茶色の色合いが気に入って買ったのだというのに。
 というか、今どき、洗濯して色落ちする布地などというのも逆に貴重だろう。別に中国製品をdisりたくはないが、「やはり中国製品か」という気もちはなくもない。おかげで、わたしの持っている「柄マスク」は、1枚の「迷彩色マスク」(あまり気に入ってない)以外はみ~んな、モノクロになってしまった。

 今朝は、というか昨夜からこの早朝にかけては、「しし座流星群」のピークだったという。「流れ星というのはしばらく観たことがないなあ」と、この季節になって連続する「流星群」のニュースに心躍らせて「観たいなあ」とは思っていたのだけれども、早朝の暗闇に出勤で外に出ると、夜空には薄い雲が拡がっているのがわかり、そのすき間からところどころに星の光が見える。「これでは<流れ星>を見るのは無理だろうな」と思いながらも、夜空を見上げながら歩いた。
 いちおう「夜景モード」で夜空を撮影してみて、あとで明るさを調整してみた。こんな感じの雲だった。

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 電車に乗って勤務地の駅で降り、外に出るとかなり空は明るくなっている。時間も経って場所も変わって、ウチの方の空にあった雲は姿を消し、ちょこっとだけ朝の気分を伝えたいような雲が、横に拡がっているのが見られた。

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 このあとは空はすっかり「快晴」になってしまい、仕事を終えて自宅駅から歩いていても空には雲ひとつ見られない。こういうのは写真に撮っても面白くもなんともない。
 やはり今日も昨日と同じぐらいの気温で、この季節としては暖かい。「野良ネコ通り」のネコたちも、こういう陽気だと日当たりのいいところで「ひなたぼっこ」してるんじゃないかと思ったけれども、今日もネコたちの姿は見られなかった。ずいぶんしばらく、この通りでネコの姿を見ていない。
 先日テレビで、「野良ネコ」あふれるトルコのイスタンブールでも、COVID-19禍のために住民がネコの世話をできなくなっているということで、食事をとれない痩せ細ったネコたちの姿が映されていた。
 町(街)にネコがいなくなると、その町(街)に住む人たちも、わたしのような<ネコ好き>の人間も、寂しくなってしまうな。

 家に帰って日暮れ時、ニェネントが出窓に上がって窓の外をじっと見ていた。「何か見えるんだろうか」と、わたしもニェネントの視線で外を覗いてみたけれども、もう暗くなってきていて、(わたしの目からは)どうっていうこともない風景がみえるだけだった。
 「ネコがセンチメンタルになるなよな」というのは、わたしの愛する伊藤重夫の漫画、『踊るミシン』の終わりの方のセリフだけれども、この夕方、ニェネントを見ながらそんなセリフを思い出していた(この写真はもっと暗くなってから撮ったもので、別に「センチメンタルなネコ」でも何でもなくなってしまったが)。

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 今日はまたCOVID-19の新規感染が拡がり、東京では今までにない500人近い新規感染者があったとの報道があった。毎回言うように、そもそものPCR検査数があまりに少ないので、「どんだけ感染者数があったからどうなのよ」みたいなことは言えないのだけれども、だんだんに「ヤバい」なあということにはなってきているわけだろう。
 だいたい、その前に今日の昼には東京都が独自に定めている「警戒レベル」を、「最も深刻な段階」のレベル4(感染が拡大している)にしたばかりでもあり(これはIOCのバッハ会長が離日したのに合わせて発動させたといううわさが早くも出回っていたが)、今は東京だけでなく全国的に「まん延」が拡大しつつあるという感じだ。

 となると、わたしは明後日にはのんきに「お出かけ、お出かけ」という予定なのだけれども、こんなときに「行楽気分」になっていいものだろうか?とは思ってしまう。まあ都心へ向かうような電車に乗るのではないけれども、いちおう朝の8時から9時にかけて、普通に考えて「通勤時間」という電車に乗るわけだし、「空いてるね~」とはいかないだろう。はたして、どのくらい混み合うのだろうか。乗ってみないとわからない。そして、博物館もまたどのくらいの観客になるのか、行ってみないとわからない。やはりいちばん心配なのは「昼食」になるだろうかな。
 ちょっとだけ、「行くのはやめようかな」とも考えたけれども、せっかく今年初めての、おそらくは今年一度だけの「プチ旅行」なのだから、やはり実行しよう。昼食も最悪の場合、コンビニでサンドイッチとか買って公園とかで食べるということも考えたけれども、それはあまりに寂しい。まあ外から見て「ここは大丈夫だろう」というところで、美味しい食事をしたいものだ。
 

2020-11-17(Tue)

 金曜日に有給を取って、この日に日曜日に予約を取ってある佐倉の「国立歴史民俗博物館」に行くことにした(したがってもちろん、日曜日の予約はキャンセルする)。会社に電話で有給休暇を申請して了解を得たけれども、電話口の返答の声はちょっと不快そうに聞こえた。これで土曜日からの3連休とつづけての4連休になる。

 行くつもりの国立歴史民俗博物館の『性差(ジェンダー)の日本史』展は、土日・祭日はネット予約で入場者数を制限していて、平日はそのような予約制ではないのだけれども、しかし入場者数の制限がないだけに、かえって土日・祭日よりも混み合ってしまう可能性もあるのではないか。こればっかりは行ってみないとわからない。

 今日は昨日の「暑さ」に懲りて、だいぶ薄着で出勤した。さすがに昨日ほどの気温にはならなかったけれども、それでもかなり暖かかった。天気予報ではわたしが有給を取って出かける予定の金曜日は「異様なほど」気温が上がり、「夏日」にもなっちゃうのではないか、などと言っている。それはたいへんだ。

 さてそれで、今日は買ったショルダーでを下げての初出勤になった。だいたいいい具合なのだけれども、勤め先のカードキーをしまっておくポケットを考え直さないと、今日は他のものを出すときにいっしょにカードキーがついてきて、落っことしそうになってしまった。

 今は通勤時間などに文庫の『ロリータ』を読んでいて、今週中、その佐倉にお出かけするときぐらいで読み終えたいと思っているのだけれども、どうも読書ペースが上がらず、「今週中に読み終えられないのではないか」というところで、「何とかしよう」と、仕事から帰宅してからも読み進めた。ニェネントにじゃまされながらも、どうやら予定通りに読み終えられそうなところまで読んだ。
 ニェネントは暖かいのでゴキゲンで、リヴィングをうろちょろしたりするのだけれども、出窓に置いた段ボール箱の中が居心地がいいらしく、中にはまりこんで気もちよさそうにしていた。

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 アメリカではトランプ氏がその証拠も示さずに「選挙に不正があった」と言いつづけていて、もういいかげん出さねばならない「敗北宣言」を出さないままである。そして首都ワシントンでは、そんなトランプ支持者たちによる「敗北を認めない」抗議デモが行われ、数万人が参加したという。
 どう騒いだって、次の大統領がバイデン氏であることが覆るわけもないのだが、バイデン氏はトランプ氏がいつまでもダダをこねて政権譲渡を遅らせるなら、「危機的状況」にあるCOVID-19対策がそれだけ遅れてしまうことになるとの懸念を表明している。

 おかしいのは、この日本でTwitterやYahooニュースのコメントで、トランプ氏を応援する連中がけっこう存在すること。要するにこれらのトランプ氏を応援する諸氏は「ネトウヨ」とか呼ばれている人たちで、もともと「事実を見ない」ということでトランプ氏と共通する精神をお持ちなわけで、「陰謀だ」とか「フェイクニュースだ」などと、この日本から憶測でごちゃごちゃ言う。
 彼らはトランプ氏が「Black Lives Matter」運動を抑えようとしたことにも共鳴しているわけだし、そもそもがトランプ氏の対中国政策の「強硬姿勢」が「お気に入り」のようだ。そしてバイデン氏のような「リベラル」はもちろん、大嫌いなのだ。
 まあ「ネトウヨ」と呼ばれる人たちは人種差別、女性差別の大好きな人たちだから「Black Lives Matter」はアフリカ系の人たちによる「暴動」だから抑え込むべきだという認識なのはよくわかる(ここに、彼らの共通項である「報道の一面的理解」ということもあるのだけれども)。

 しかし、はたしてトランプ氏の対中国政策がどうだったのかというと矛盾だらけで、習近平主席を「わが友人」と呼んだりしてるし、その経済制裁アメリカ国内でマイナス要素になっている。ただ、トランプ氏在任中にアメリカ国内での中国への「好感度」はかなり大きく落ち込んだらしく、まあこういうところで、表面的にネトウヨ諸氏はトランプ氏に喝采をおくっているのだろうか。
 そういう意味で、トランプ氏という人物は国籍こそ違えど「ネトウヨの親玉」みたいな人物で、まあネトウヨ諸氏としても今の日本の菅義偉首相は「我らがスガ!」と担ぎ上げれるような存在ではなし、景気づけにトランプ氏を担ぎ上げようという「気分」なのではないだろうか。
 別に国内の事象ではないし何の影響力もないし、こういうネトウヨ諸氏の動きはただ放置しておけばいいのだけれども、だんだんといろいろな側面で無視してはおけない存在になってきているようで、困ったことにならなければいいと思っている。
 

2020-11-16(Mon)

 購入したショルダーバッグが早々と到着した。写真だと青っぽくなってしまったが、じっさいはもっとグレーっぽい。

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 「ブラック」ということで注文したのだが、色あせた感じでちょびっと貧乏くさい色ではある。「エリート」と呼ばれるような人たちは決して身につけないだろう。「ベージュ」もいいかとは思ったのだけれども、どうも汚れが目立ちそうなのでやめたのだったが、この「ブラック」はつまり、さいしょっから汚れきっている感じだ。
 ただ、やたらにたくさんポケットがあって、ちゃんと入れるところを決めておけば便利に使えそう。あれこれいじってみて、多少使用感の悪いところもあるけれども(例えば前面の、上に開くふたを留める左右の金具が開閉しにくいのだ)、全体としてOK。これから愛用しよう。
 今まで使っていたバッグは、あの交通事故に遭ったときも持っていたバッグで、側面にはその事故のときについた「すれあと」もいまだに残っているのだけれども、「長いあいだありがとう」という気もちをこめて、処分させていただこう。

 しかし、今日は「暖かい」を通り越して「暑い」日になった。わたしはアンダーシャツに長袖シャツを着て、その上にパーカーをはおって仕事に出たのだけれども、仕事を終えて帰るときには汗が噴き出してしまった。「冬」用のあったかいパーカーが仇となった。空には雲ひとつなく、けっこう強い陽射しがどこまでもわたしを追ってくる。帰宅して服を脱ぐと、アンダーは汗でぐっしょりになってしまっていた。まるで真夏のような汗のかき方だ。
 ニェネントはこういう、室内でエアコンを入れるほどの暑さではないような「暖かさ」がいちばん過ごしやすいだろう。リヴィングでわたしのそばをうろちょろしているニェネントをつかまえ、ひざの上に抱いて写真を撮ったら、あんまりかわいくない(おばあさんみたいな)すっとぼけた顔をしてくれた(ニェネントは抱かれるのがきらいなのだ)。

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 今日はIOC会長のバッハ氏が来日し、菅首相小池都知事東京オリンピックパラリンピックの組織委員長の森氏らと会談をした。「これはてっきり<中止>の決定、発表か」とは思っていたのだけれども、そうではなかった。やるのだという。そして「観客を入れての開催に確信を持った」という。
 菅首相はまたまた「人類がコロナウィルス(COVID-19)に打ち勝った証として、東京オリンピックパラリンピックを実現する」などと、以前語った言葉とおんなじ言葉を繰り返したのだけれども(だから「壊れたレコード」といわれる)、この発言が世界に紹介されたとき、はたして全世界の人たちはどう思うだろうか。来年の7月には「COVID-19に打ち勝つ」って、今の段階で言ってしまえる人間は地球上にこの菅義偉しかいないだろう。それも、「打ち勝つ」という意思の表明ではなく、「打ち勝った」という未来形での「決定」として言ってしまっている。誰が聞いても「おかしいだろう」と思わざるを得ない発言ではないだろうか。ましてや今げんざい、合衆国やヨーロッパでは異様な数で感染が拡大し、これから先どうなるかも読めない状態ではないのか(それは日ごとに感染者数が増加しつづける日本でも同じことが言えるが)。

 どうやらこの日に会談した連中は「ワクチン」の開発にすべての希望を託しているようなのだけれども、その口調はもう、すぐにでも「ワクチン」は完成すると言っているようだ。このことは前にも書いたけれども、こういったウィルスへのワクチンはそんなにすぐに完成するものではなく、いちおう完成されたとしたあとも、その副作用の研究にかなりの時間が必要で、「完成したよ、さあさっさと皆で接種しよう」というわけにはいかないものではないのか。

 まあ「観客を入れての開催」といっても、「国民総動員」みたいにむりやり観客をこさえるわけにもいかないだろうし、行かなきゃいいだけの話ではあろう(特に海外からの観客なんて来日するのかいな?)。それにその前に、いったいどれだけの国が参加するのかという問題もある。そして、そんなにまでして開催したオリンピックのせいで感染が拡大したら誰が責任を取るのか。今の政府は「すべて国民に投げて何ひとつ責任を取ろうとしない政府」なのだけれども、これが「国際競技大会」となると、国内の問題ではなく「国際問題」になるのである。国際的に「責任問題」が起きるのである。
 まあ、どう考えても「中止」こそ最善の選択だとは思うのだけれども、ただ奇々怪々な解決策を持ち出し、強引に「開催」に突入ということは堪忍していただきたいのだ。

 さて今日の夕食は、しばらく前に買ってあった1/4ほどのダイコンを使って、「豚バラ大根」をつくった。ダイコンを使った料理は、そんなにめんどくさくはないのだけれども、ただダイコンに味を染ませるのに煮込み時間がたっぷりかかる。まあ、そんな感じで時間さえかければ、それなりの味には仕上がるのだ(おいしかったぜ)。

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 今年は春以降、「Stay Home」で家にこもって料理に凝ったりしたので、(安価であることにもポイントをおいて)今まで素材としてまるで使わなかったダイコンやナスをいろいろ使った料理を楽しんだ。これからも、わたしの食卓にはダイコンやナスが上がってくることだろう。
 

2020-11-15(Sun)

 2年前だったかの近所の教会のバザール(たしかクリスマスのバザールだった)で入手したショルダーバッグ、まあ100円ではあったし、「ちょっと一時的に使っていようか」と思っていたのが、特に気に入っていたわけでもないのにいつしか2年近くも使いつづけることになってしまった。前から「新しいのを買おう」とは思っていたけれども、そういう店をのぞいてみてもどこか気に入らなかったり、価格が高過ぎたりして、なかなか新しいのを買うことにならなかった。
 ついに「やっぱり買おう!」と決めて「こんどはヴィニールじゃなくって帆布製のがいいな」と思い、某Amazonで検索かけてみると、13,399円のが2,799円とかで売られていた。「それはダンピングしすぎじゃないか」とも思ったし、しばらく前にこのAmazonの偽サイトでダイソンの掃除機がすっごいすっごい安値で売られていて、「じゃあ」と注文したら、「掃除機」ではない中国製のサングラスとかが送られてきちゃったのだという「事件」があったばかりで、「コイツもそういうのじゃないのか」といっしゅん考えてしまったが、いま目の前に開いているサイトはまちがいなくAmazonのサイトなわけだし、いろいろとヤバいマーケットプレイスからの出品ではなくってAmazonからダイレクトに送られてくるようだった。
 商品の説明や商品写真を見てもポケットもいっぱいあるし、買いたかった「帆布製」だし、大きさも十分なようだったのでついつい買ってしまった(とにかく安いことだし)。

 購入手続きをして、もういちど商品を確認すると、「剣呑」の中国製のようだったので心配になる。どうもさいしょ見たときは明日明後日ぐらいまでの「期間限定」の特価品みたいに書かれていたように思えたのだけれども、「ユーザーレビュー」をじっくりと見てみると、何のことはない、いつでも常時この価格で販売しているようだった。縫製の弱い箇所もあるようで、「すぐに壊れてしまった」というレビューもある。心配だ。
 意外とスピード対応で、明日にはもう届くようなので、まずは「現物チェック」だ。

 今日は日曜日なので、いつもの日曜のように午前中に買い物に出かけた。このごろは一週間分の朝食代わりのバナナと、仕事先で飲むコーヒー飲料(わたしの好物のマウントレーニア)、それと「肉まん」もしくはハンバーガーみたいなパンのまとめ買いをする。
 まずはバナナで月曜から金曜までの5日分、5本の房を選ぶのだけれども、どうも最近は4本の房のものばかりになってしまって、ようやっと5本のを見つけてもずいぶんと小ぶりなのである。
 そして問題の「肉まん」だけれども、このスーパーは最近、何日か置きに勝手に欲しい「肉まん」5個セットの値段を40円ぐらいの幅で値上げしたり値下げしたりの繰り返しで、毎週肉まんを買おうとしている客としては非常に「不愉快」である。「お客さまのご意見箱」みたいなものがあれば書いて投稿してやろうと思うのだが、このスーパーにはそういうのは見当たらない。値段が高いときには「肉まん」はやめてハンバーガーっぽいパンにしたりするのだが、しかしこの日は安い方の価格に設定されてはいたので、「これなら文句はない」と買って帰ったのだった。

 スーパーのとなりのドラッグストアに寄ってみると、黒のニット帽が一個だけ売れ残っていたので、前にここで買ったカーキ色のニット帽は今ではいちばんのお気に入りだし、「柄マスクもいろいろと買ったから、ココは合わせてニット帽もコレクションしてみようか」と、買うのだった。

 今日は抜けるような青空で、これは「小春日和」といっていい暖かさだと思う。青い空には、誰かがちょっと描くのに失敗したような、下手くそな筆跡の雲が浮かんでいた。

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 外の暖かさのせいなのか、持ち前の怠惰のせいなのか、一日なんにもしなかった。午後からベッドに横になって読みさしの『ナボコフ伝』を読もうとするのだけれども、5ページも読むと眠くなってしまって寝てしまう。寝ているとニェネントがわたしのからだの上にのぼってくるのがわかるけれども、好きにさせておく。ちょっと重たい。

 2時間近くの午睡のあと目覚め、パソコンでネットをチェックしてそのあとテレビで大相撲を観る。今場所は2人の横綱はさいしょっから休場しているし、3人の大関のうち2人までも途中休場を決めている。先場所につづいて盛り上がらないことはなはだしい場所である。こういう場所こそひいきの栃ノ心とかがんばってほしいけれども、前半で負けがこんでしまって残念。それでもこの2~3日は力づくの相撲を見せてくれるようになったのだ。

 夕食にはこのあいだ「きゅうり」を買ってあるので、まだ1本残っているはずの「なす」と合わせて豚肉と炒めようと思っていたのだが、「いざつくろう」と冷蔵庫をみると、どこにも「なす」の姿は見当たらなかった。急きょ、「きゅうり」と豚肉、そして卵の炒めものに変更するのだった。なかなかの味だった。

 さて、COVID-19の新規感染者は東京でも相変わらず200人を越えているのだけれども、この千葉県でも過去最高の88人の感染者が出たという。しかも、となりの柏市(というか、ココも柏市みたいなものだが)での感染者が19人なのだ。この「感染者数」というのは、そもそものPCR検査の実施数が「おそまつ」といっていい少なさなのだから、ぜったいに「たった19人」などとは言えないのである。わたしはこの数は何百倍の値で考えないといけないと思っているし、柏市で以前は一日数人の新規感染者だったのがこの数なのだから、これは「危険水域」に達したと考えていいと思う。「都心に出かけるのは控えよう」、というのと同じぐらいに、「となり駅の柏にお買い物に行ったり、映画を観に行ったりするのもやめよう」と思うのだった。