ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『アメリカの友人』(1974) パトリシア・ハイスミス:著 佐宗鈴夫:訳

 原題は「Ripley's Game」なのだけれども、この邦訳が刊行される前にヴィム・ヴェンダース監督による映画化作品『アメリカの友人』が先に公開されて知られるようになっていて、この邦訳も『アメリカの友人』というタイトルになってしまった。映画とちがって、何が「アメリカの友人」なのかということは、この原作本だけではわかりにくいことになってしまっている(映画では、ジョナサンの夫人がジョナサンに「あなたはあのアメリカの友人と仲良くやってればいいのよ!」と語るシーンがあり、「アメリカの友人」とはトム・リプリーのことだとわかるのだが。

 前作の『贋作』にも登場した、トム・リプリーマイクロフィルム(らしきもの)の密輸、転送の仲介を依頼していた、ドイツ在住のリーヴズ・マイノットという人物が、この作品ではおもてに出てくる。彼はハンブルクでマフィアのひとりを暗殺する計画を立てていて、その実行犯に「履歴に傷のない」まっとうな男、いわば「素人(しろうと)」を探していて、リプリーに心当たりを聞いてくるのだ。報酬はかなりの額だという。
 リプリーはそのとき、あるパーティーで出会った額縁職人のジョナサン・トレヴァニーという男のことを思い出す。彼は「リプリー」という名前を聞き、「噂は聞いております」と語ったのだ。そのことにリプリーはカチンと来ていた。「オレの悪い噂は承知しているということだな?」と受け取ったわけだ。
 しかもそのあと、リプリーはそのジョナサン・トレヴァニーという男が白血病を患っていて、長期治療を受けているとの話も聞くのだ。
 リプリーは、ジョナサンの自分へのイヤミな挨拶(とリプリーは受け取った)の意趣返しの気分もあって、リーヴズ・マイノットにジョナサン・トレヴァニーを紹介するのだ。ここでジョナサンが白血病という話を聞いたリーブズは、ジョナサンに「ドイツの専門医の検査が受けられる」ということとセットで「暗殺話」を持ち出す。診断書をすり替えてジョナサンに「白血病は悪化している」と思い込ませたリーヴズは、「高額の報酬を家族に残してあげることも考えてみては?」と持ちかけ、ジョナサンに「殺し」を承諾させるのだった。
 鉄道のホームで後ろからターゲットを射殺するやり方は、証拠も残さずにうまく成功するのだが、リーヴズはさらに次のミッションをジョナサンに依頼するのだった。それは列車の内部で実行する、さらに危険度の高いミッションではあった。
 リーヴズから新しいミッションの話を聞いたリプリーは、「それはしろうと一人では実行は難しい」と思うし、そういうところへジョナサンを追い込んだ自分の行為を悔いるのだった。
 そしていざそのミッションの実行というとき、その列車にはトム・リプリーも乗っていた。リプリーは自分がリーヴズにジョナサンのことを勧めたことも告白し、ジョナサンに「わたしが手伝う」と告げ、二人で一人のマフィア幹部を殺し、一人のボディガードを列車から転落させるのだった。

 リプリーの心配は、殺せなかったボディガードが自分の顔を憶えていて、マフィアの連中が報復に来ることだった。リプリーは妻のエロイーズと家事手伝いのマダム・アネットを屋敷から他所へやり、自分一人では対処できないと考えて、ジョナサンに「手伝いに来てほしい」と連絡をするのだ。
 ジョナサンの妻のシモーヌは夫の銀行口座に大金が振り込まれていることも知っているし、夫がヤバい仕事をやっているのではないのか、そのことにトム・リプリーが絡んでいるのではないのかと思ってジョナサンを非難する(シモーヌも、リプリーの「悪評」は十分承知している)。
 じっさいにマフィアの2人がリプリーの屋敷を襲い、これをリプリーはジョナサンの協力を得て殺すのだが、そのときにジョナサンの妻のシモーヌリプリー邸にやって来て、マフィアらの死体も眼にしてしまうのだ。
 ストーリーはまだまだ続くが‥‥

 まず面白いのは、ここでトム・リプリーが「マフィア」の攻撃を受けることになり、「自分ひとりでは手に負えないだろう」と、初めてジョナサンという「仲間」を求めるということ。これは前作『贋作』でもバーナードに死体を埋めることの手伝いを求めていたけれども、あれは「後片付け」というところではあったし、今回の「共同戦線」というものとは大きく意味合いが異なると思う。
 そもそも、ドイツの列車の中でリプリーがジョナサンを手伝ってマフィアを始末したときも、「互いに協力し合って」というところがあり、ちょっとこれまでのトム・リプリーというイメージがくつがえったわけでもあった。

 ここでもうひとつのこの本の「キモ」ともいえるのが、そのリプリーの「グッドフェロー」かという存在になったジョナサンに、シモーヌというしっかりした妻があったことで(ジョルジュという子どももいるのだが)、そのシモーヌが、自分の夫のジョナサンがリプリーのところに行くこと、リプリーと関係を深めることを忌み嫌うわけだ。そりゃあリプリーには悪い噂もたっているし、シモーヌはジョナサンが大金を得たということもリプリー絡みのことだろうと思ってはいる。
 つまり、構図としてここで、ジョナサンをめぐるリプリーシモーヌとの「三角関係」だということがわかる。ここでもトム・リプリーの同性愛的なファクターが生きてくるわけだけれども、特にそういった関係としてみての、リプリーのジョナサンへの執着ということは、表面的には見えてはいない(ジョナサンが自宅に泊まったとき、ジョナサンが使った歯みがきへのちょっとした執着は書かれていたが)。逆にリプリーシモーヌを「しっかりした女性だ」と認め、何とか彼女に自分とジョナサンとの関係を説明できないものかと考えてはいる。
 しかし、ラストの展開のあと、シモーヌは警察とかにトム・リプリーの名前を出すことはなく、ここでもリプリーは無事にこの難関を切り抜けることになる。ただシモーヌリプリーへの憎悪は強く、ラストに街ですれ違ったリプリーに、シモーヌは唾を吐きつけるのである。

 中に興味深いリプリーについての描写があった。書き写しておこう。
 「ジョナサンにたいするシモーヌの気持ちは変わらないだろう、とトムは思ったが、なにも言わなかった。たぶん、家に着けば、その話になるだろう。ほかにどんな話があるか? 慰めるのか、励ますのか、和解させるのか? 実際、どう言ったらいいかわからなかった。女というのは不可解だった。」
 一方のジョナサンは、このときにはもうシモーヌを失ったつもりでいた。

 中盤からは、このトム・リプリー、ジョナサン・トレヴァニー、そしてシモーヌトレヴァニーそれぞれの抱く「不安感」というものの描写が、いかにもパトリシア・ハイスミスらしくもあったが、やはりとりわけトム・リプリーの不安感というものが、単なる「サスペンス小説」という枠を超えている、とは思うのだった。
 ひとつ、前作の延長でトム・リプリー夫人のエロイーズの登場場面を楽しみにしていたのだけれども、リプリーに「じゃまだから出かけてなさい」って感じで、ほとんど登場しなかったのは残念だった。