ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『十二人の怒れる男』(1957) シドニー・ルメット:監督

 この作品、まずはレジナルド・ローズの脚本でフランクリン・J・シャフナー(彼も映画界でも名匠である)が監督して、テレビドラマとして1954年に放映され、高い評価を得る。これを観たヘンリー・フォンダが感銘を受けてプロデューサーを引き受け、脚本のレジナルド・ローズと共に映画化を目指した。それまでテレビドラマの監督をやっていたシドニー・ルメットが監督に抜擢され、この作品がシドニー・ルメットの映画監督第一作になった。
 当時としても相当の低予算で、短期間に映画は完成して1957年に公開されたが、当時の興行収入は伸びなかったらしい。しかし映画はベルリン映画祭で金熊賞を受賞し、その後テレビで何度も放映されることになった。
 アメリカの映画批評サイト「Rotten Tomatoes」では今でも100パーセントの支持率を維持しているし、ヘンリー・フォンダの演じた「陪審員8番」は、「映画史上最も偉大なヒーロー」のリストの28位にランクインしているのだ。

 映画は「法廷ドラマ」というか、法廷の外の陪審員控室の中でだけドラマは進行し、そういう意味では「密室ドラマ」でもある。
 ここで、18歳の少年の被告が父親殺害の容疑で裁かれようとしていて、12人の陪審員が裁判のあと審議をする。何であれ「全員一致」の結論を出すことが必要だが、まず評決の投票をすると11人が「有罪」としたが、ただひとり、陪審員8番(ヘンリー・フォンダ)だけが「疑問があるから考え直すべきだ」という。皆が「どういうことだ?」と彼に問うが、陪審員8番の理にかなった意見で、まずは年配の陪審員9番が「無罪だ」と意見を変える。
 この錯綜のバックには、法廷選出弁護人の「やる気のなさ」と、スラム街出身で前科のある少年への「偏見」とがあった。
 陪審員8番の、法廷弁護人の無能さを補うサポートと、観察眼の鋭い陪審員9番(ジョセフ・スウィーニー)が法廷内で見た証人の様子の的確な分析などから、だんだんと「それもそうだ」と、「有罪」をひるがえす陪審員が増えてくる。
 ついに、なお残る「有罪」を唱える陪審員は3人にまでなる。
 陪審員4番(E・G・マーシャル)は冷静に偏見もなく、意見ではなく「事実」のみから考えていて、それでもやはり「有罪」としているが、陪審員9番の鋭い観察眼の前に「事実」が崩れ去り、「有罪」をひるがえすことになる。
 陪審員10番はもともと貧困者、前科者への偏見を持つ「差別主義者」で、皆の前で自分の差別意識の演説をぶつのだが、あきれた陪審員らは、ひとり、ひとりと席を立って陪審員10番に背を向け、彼は孤立する(この場面の、皆がこの男に順に背を向けて行くシーン、なかなかに感動的)。彼は皆の前で、自説を捨てざるを得ない。
 最後に残った陪審員3番(リー・J・コッブ)は、実は被告と被害者父との関係と同じく、自分の息子との確執があって息子が家を出ていて、その自分の体験をこの事件に投影していることが皆の前であらわになり、そこで突っ伏して泣き崩れ、「有罪」を撤回するのだ。

 長くなるから書かなかったが、陪審員ひとりひとりが、段階を経て「有罪」という意見を捨てて行く過程が、それぞれに面白い。また、広くはない陪審員らの詰める部屋の扇風機が回らず(設定は真夏のことらしい)、ヘンリー・フォンダなどたいていの男が額に汗を浮かべ、シャツにも汗がにじんでくるけれども、ずっとジャケットを脱がないE・G・マーシャルが、ほとんど汗をかいていなかったのも印象的(さいごに汗かくのだけれども、これもいい)。

 シドニー・ルメット監督は、撮影のボリス・カウフマンジャン・ヴィゴの『アタラント号』とかを撮った名カメラマンだ)と共に、映画のさいしょの方では広角レンズを使い、そのあとだんだんに焦点距離を長くし、終わりには望遠レンズを使って被写界深度を浅くし、「閉所恐怖症」的な感覚を視覚的に作り出したのだという。

 このドラマ、たとえば「集団リンチ」の解明という面もあるようで、考えれば関東大震災のときに「デマ」によって朝鮮人を虐殺したとき、この冒頭のほとんどの陪審員らのように、「ヤツらは火を放ち、井戸に毒を投げ入れたのだ」と思い込み、彼らを虐殺したわけだ。そんなとき、この映画の「陪審員8番」のように、「ちょっと待て、そんな証拠はどこにもないぞ」と言えたならば。
 今げんざいのX(旧ツイッター)などSNS上でも、この映画の「陪審員10番」のような、ただ「差別意識」で暴言を吐く連中のいかに多いことか(ただ、そんなヤツに「背中を向ける」人らが少ないのだ)。

 この映画を観て、わたしはいつも心の中に陪審員8番の精神、そして陪審員9番の公平な観察眼を持っていたい、とは思ったのだった。