ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2024-03-05(Tue)

 昨日、「ふるさと公園」からの帰り道、駅の近くの児童公園の向こうの道路に、「サビーネ」がいるのが見えた。道の真ん中にすわり込んで、頭をカキカキしていた。わたしが近くへ行く前に道路を渡って、どこかへ消えてしまったが。

     

 今日はこの地域の、瓶や缶などの「燃えないゴミ」を出す日。この地域の「燃えないゴミ」の出し方は細かく規定されていて、空き瓶は瓶の色で仕分けして出すし、「ペットボトル」「プラスチック類ゴミ」、そして「その他の燃えないゴミ」「電池など」と、細かく出す場所が分かれている。み~んなしっかり仕分けして出していてエライなあ、とかいつも思っているが、特に「ペットボトル」は、皆さん出すときに表面の商品名などのプラシートのラベルをしっかりはがして出していて、もちろんキャップも外して出している。わたしが以前住んでいたところではみ~んな、ペットボトルといってもそのまんま出していたので、さいしょはびっくりした。「そうか、そうやってから捨てるんだな」と納得し、それからはわたしもラベルをはがし、キャップは外して捨てるようになった(わたしは今は、ほとんどペットボトルのゴミは出さないのだが)。
 ゴミを収集される方々の、後工程のことも考えて捨てること。この地に来て学んだことだ。

 この日は内科医から処方されていた薬も切れたので、午前中に「燃えないゴミ」を出したあと、その内科クリニックへ行った。昨日よりはずいぶんと気温も低く、空には灰色の雲が立ち込めていた。午後からは雨も降るらしい。

     

 今日は先月やった「血液検査」の結果を知らせてもらったが、検査したすべての項目で「基準値内」ではあった。どうやらわたしは、「健康」だということらしい。

 そういう「検査」ということで、ひとつ「自慢話」を書いておきたいという誘惑を避けられないのだが、先日、ネット上の「IQ検査」というのをやってみたのだが、これが相当に高い数値だった。その数値をここに書いてもいいが、皆が「それは嘘だ」というだろう(まあ「いちばん簡単なテスト」だったということはあるが、それでIQ数値が上がるというわけもない)。
 昔から、自分のIQがかなり高いということはある程度わかっていたが、そういうことは「記憶障害」などと関係なく維持されるのだな、とわかった。
 ただし、その「記憶障害」のせいで、世の中ではいくらIQが高くっても通用はしないのだ。こうやって、「わたしは自分の才能を活かせずに消えて行くのだ」という思いに囚われることにはなる。まあ生きていく上で「IQの高さ」など、あんまり意味を持たないわけだ。
 実は自分のモティヴェーションも低下していて、ちょっと「元気を出そう」という気もちもあって、記録のために書いたけれども、どうかこのことは忘れて下さい。

 夕方から、昨日観た『十二人の怒れる男』が面白かったもので、「Amazon Prime Video」で何か「法廷モノ」の映画をと探し、アンソニー・マン監督の『偽証』というのを見つけて観てみたのだけれども、コレはまったくそのタイトルに反して、「法廷」とは無関係の「フィルム・ノワール」ものだった。スピーディーな演出で面白かったけれども。

 夜はベッドで横になって、ハイスミスの『贋作』を読み進めたが、むかし読んだことがあるとはいえ、まったく、これっぽっちも記憶が残っていなかったので、「こ~んなことになってしまって、トム・リプリーはどうするのだ?」という興味にひかれる。『太陽がいっぱい』よりも面白くなってきた(もう少しで半分だ)。