ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『トルーマン・カポーティ 真実のテープ』(2019) イーブス・バーノー:監督

 日記の方にも書いたが、わたしはジョージ・プリンプトンによる評伝『トルーマン・カポーティ』を読んで持っていたし、カポーティの『冷血』も読んだ。カポーティ―の本で読んだことがあるのはその『冷血』だけだが、今わたしの本棚をみると、カポーティ関係の本は何も残っていなかった。評伝『トルーマン・カポーティ』のことは何も記憶していないし、『冷血』は「面白い小説だったなあ」という記憶はわずかに残っている。フィリップ・シーモア・ホフマンが彼を演じた映画『カポーティ』も観た記憶はあるが、その内容はこれっぽっちも記憶していない。

 このドキュメンタリー、さまざまなインタビュー映像、そしてインタビュー音声によって、デビュー作『遠い声 遠い部屋』の華々しいデビューから、スキャンダルになった『叶えられた祈り』のカポーティまで、残された膨大な写真、動画からカポーティの生涯を振り返るもの。
 監督はイーブス・バーノーというアフリカ系の人物で、元ホワイトハウスの次官、ミシェル・オバマ大統領夫人の顧問をつとめたという人物で、彼自身カポーティのようにゲイだったということ。

 
 『遠い声 遠い部屋』のハードカヴァー本の裏表紙には、当時の若きカポーティの横たわる、まさに「クイア(Queer)」なポートレイトが大きく載っていて、「若き天才作家の登場」というにとどまらず、この写真だけでもけっこうスキャンダラスだったのだという。
 この映画からではなくて別に調べて知ったのだが、アンディイ・ウォーホルもまたこのカポーティの写真に衝撃を受け、何とかカポーティと連絡を取ろうとしたらしい。映画でも語られるが、カポーティはウォーホルにさほど興味を感じなかったらしい。多分それはウォーホルが「カウンターカルチャー」の側の存在だったからで、カポーティはまさに「メインのカルチャー」にだけ興味を持っていたのだろう(わたしはそこにカポーティの「失速」の原因を感じるが)。

     

 それがカポーティの戦略だったのか、「背が低くてゲイ」だという、当時は非常にネガティヴだっただろう彼自身のイメージを逆手にとって、文学関係の世界だけでなく、まさに「セレブリティ」の世界へと足を踏み入れて行くわけだ。それだけに彼の登場する映像は1950年代から相当な量が残されているようで、彼の独特の笑い声と共に、このドキュメンタリーでたくさん見ることが出来る。彼は上流社会のセレブ女性らの知己を得ることを好み、そんな「美しいセレブ女性」らを「スワン」と呼び、その関係を大切にしていたようだ(このドキュメンタリーに、そんな「スワン」たちがカポーティを語った音声をたくさん聞くことができる)。

 『ティファニーで朝食を』の映画化でカポーティ知名度はさらに上がったが、1966年に彼のいう「ノンフィクション・ノヴェル」の『冷血』が出版され、大ベストセラーになるのだが、このあたりがカポーティの「頂点」だったのではないだろうか。
 1966年11月28日に、ニューヨークの「プラザホテル」でカポーティの主催で開催された仮装舞踏会、「黒と白の舞踏会」は、この映画でも「20世紀で最も重要だったパーティー」とも語られ、実に多くの参加メンバーの映像が流される。みんな仮面をつけているので誰が誰だかわからないが、参加者は映画界の連中、政治家、ビジネスマン、ジャーナリスト、作家、アーティスト、ミュージシャン、そしてロイヤルティと、すっごい顔ぶれが並んでいる(英語版Wikipediaの「Black and White Ball」に、ゲスト・リストの一部が掲載されている)。
 わたしは、この舞踏会が「1966年」という時制だったからこそ、ここまで盛り上がったのではないかとも思うわけで、アメリカではそろそろヴェトナム戦争への反戦意識が高まり、「メイン」に対抗する「サブカルチャー」、「カウンターカルチャー」が文化をリードする時代へと移行していったのだと思う。そのことゆえにも、「トルーマン・カポーティの隆盛」はここでストップしたのではないだろうか。
 この映画でも『冷血』が実は「ノンフィクション」ではなかったことが示されるし、カポーティが犯人の死刑執行を急がせた経緯も語られる。

 このあとのカポーティは例の『叶えられた祈り』発表をめぐるスキャンダラスな時期へと移っていくのだけれども、どうもわたしは『冷血』で大成功を収めたカポーティが、『冷血』と同じ「ノンフィクション・ノヴェル」として、セレブリティの世界を描こうとしたのではないかと思う。では「ノンフィクション」とは何か? 『冷血』が実は正確には「ノンフィクション」ではなかったように、カポーティはここで大きな過ちを犯してもいるのではないかと思う。アメリカの文化が「カウンターカルチャー」主流へと移行していることへの「あせり」も、彼の中にはあったのではないだろうか。
 
 イーブス・バーノーの演出は、さまざまな証言音声をバックに多くの写真を組み合わせ、まるでグラヴィア雑誌をめくって読むようなタッチがあって、この映画自体が、ある意味で「スキャンダル雑誌」のやり方を踏襲しているように思えるのだった。