ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ザリガニの鳴くところ』(2022) ディーリア・オーウェンズ:原作 オリヴィア・ニューマン:監督

 原題は「Where the Crawdads Sing」。「鳴くところ」というよりも「歌うところ」というニュアンスだろうか。原作小説は2018年から2022年までの長期間ベストセラーになり、「史上最も売れた本のひとつ」といわれている。こういうのってどこか、ソローの『森の生活』を思わせられるところもあるようで、アメリカ人の琴線に触れるのだろうな。きっと。
 著者のディーリア・オーウェンズは動物行動学の博士号を持つ動物学者で、長い期間アフリカで野生動物の行動、生態を研究されていた。この「ザリガニの鳴くところ」は、彼女が69歳になって発表されたデビュー小説なのだ。
 現在アメリカに戻っている彼女は、「グリズリー・ベアの保護活動」に参加しているという。また、彼女がザンビアに住んでいた時期に、彼女と当時の夫とは彼女の義理の息子の関与が疑われた「密猟者殺害事件」に巻き込まれており、その体験がこの「ザリガニの鳴くところ」にも反映されているらしい。

 この映画の舞台はアメリカのノースカロライナ州の「湿地帯」で、町の人たちから孤立してその湿地帯でひとりで生き、「Marsh Girl(湿地の娘)」と呼ばれた主人公カイア(デイジーエドガー=ジョーンズ)が、独学で湿地帯の動物の生態を研究して「独り立ち」する話でもあるし、「自然保護」の話でもある。しかし映画でメインとなるのは、カイアをだまして彼女の恨みを買った男の「謎の死」をめぐるミステリーであり、カイアの家族の崩壊をもたらした、父親のDVの話でもある。

 父親のDVのために、まずはカイアの母親が家を出て行き、2人の姉も1人の兄も時をおいて家を出、カイアは7歳の時から湿地帯の中でたったひとりで生活を始める。沼でムール貝を採取して湿地帯に近い雑貨店を経営するジャンピン夫妻のところに売りに行き、親切な夫妻の助けもあってカイアは学校にも行かずに生活をつづける。
 あるとき、沼地でボートに乗るテイトという、兄の友だちだった男性とめぐり合い、カイアは彼から読み書きを教わる。テイトとの友情は強かったが、時を経てテイトは大学進学のために「湿地帯」を出て行く。
 20代になって美しくなったカイアは、町のチェイスという男と出会い恋心を抱いて性的関係も結ぶが、チェイスには町に婚約者があるのだった。そのことでチェイスとけんかにもなるが、チェイスはカイアにひどい暴力を振るうような男だった。チェイスは執拗にカイアに迫りレイプにも及び、カイアの家をめちゃめちゃにしたりもする。
 テイトに「動物の生態」を描いた絵を出版社に持ち込めば本になるよ、と言われていたカイアは、サンプル的な絵を出版社に送り、好反応を得て出版社に出かけて行く。その夜、湿地帯の「火の見やぐら」の下でチェイスの死体が発見される。
 カイアが第一容疑者とされ、その裁判の弁護人にトム・ミルトン(デヴィッド・ストラザーン)があたることになる。誠実で理詰めのトムの弁護の力もあって、カイアは無罪放免される。
 カイアは湿地帯に戻って来たテイトと結婚し、その後もずっと湿地帯に暮らしつづけ、何冊もの「湿地帯の生き物」の本を出版する。
 二人で年老いたテイトとカイアだが、先にカイアがみまかり、テイトがカイアの遺品を整理していると、その古い日記帳に思いもかけない記述を見つけるのだった。

 ‥‥まずは、その湿地帯の撮影はとっても美しく、まるで「ナショナル・ゲオグラフィック」のドキュメンタリーを見ているみたいだ(撮影監督はポリー・モーガンという人)。
 映画のほとんどにおいて、たとえその背後には「殺人事件(?)」があるとはいえ、雑貨店のジャンピン夫妻や弁護士のトム・ミルトン、そしてさいごに結ばれることになるテイトと、主人公のカイアの周囲には「善意あふれる人」ばかりが登場し、その湿地帯撮影の美しさもあって、まるで「おとぎ話」をみている気分である。カイアへの周囲からの「悪意」は、例えば一日だけ通った小学校の生徒らや町の人々、福祉事務所の人らとそれなりにあるのだけれどもその描写は短く、ほとんどチェイスひとりが受け持っている感がある。
 また、「湿地帯」の奥で一人暮らしをし、「湿地の娘」と呼ばれるにしては、カイアはあまりに美しく、服装もしゃれているのだ。「カイアの本を出版する」という話も、あまりにもトントン拍子に進んで行くわけで、全体に映画としての「リアリティ」はあまりにも希薄だった(まあ「おとぎ話」だからしょ~がないが)。
 あとやはり、これは「作家」の話でもあるのだから、カイアが「湿地帯の生き物」を観察し、それを描いて行くような描写がもうちょっと欲しかった(終盤の、木に留まる蛾の映像、それを観察するカイアの様子の描写は良かったが)。

 しかしそういう「おとぎ話」が、「残り1分」ってなったときに、急に今まで隠されていた「ミステリー」の真相があらわになるわけで、これは驚かされた。わたしも「おとぎ話」感覚でぼんやり観ていたもので、「やっぱ、そうだったのか!」と、ちょっとびっくり。おそらくは、原作小説はとても面白いものなんだろうな。多分この映画、原作をちょっと「別物」にしてしまってるんじゃないかな?と、原作を読んでもいないのに言ってみたくなるのだった。
 まあネタバレになるからあまり書けないけれども(「書いとるやないか!」と責めないで!)、前にもこういう、誠実な弁護士が被告の弁護を行って「無罪」を勝ち取るが‥‥、という映画は観たことがある気がするのだけれども、それが何という映画だったのか、どうしても思い出せなくってもどかしい。『アラバマ物語』だったのかなあ?