ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2023-11-21(Tue)

 昨日「ふるさと公園」に歩いた帰り道、また駅の近くの児童公園のそばで初対面のネコに出会った。最近はもうすっかり「野良ネコ通り」でネコに出会うこともなくなり、この児童公園のあたりの方でよくネコに会うようになった。
 近づいてカメラを向けても逃げようとせず、わたしのことをじっと見つめている。このあたりのたいていのネコがけっこう人馴れしているように、このコも人のことが平気なのか。そしてこのあたりのネコみんなと同じく、とっても美猫ではある。また会えるだろうか。

     

 今朝はまだ夜中という時間にいちど目覚め、それからなかなか寝られなかった。そういうときはネガティヴなことばかり考えてしまい、布団の中で気分は落ち込むばかりだった。
 いろいろ昔のことが思い出されたりするのだけれども、わたしには「楽しかった記憶」というのはほとんど残っていなくって、「いやなこと」ばっかり思い出されてしまう。一度そういうスパイラルに落ち込んでしまうと、次から次へと「いやだった記憶」ばかりが頭の中を駆け巡り、正直生きているのも嫌になってしまったりするのだが、そういう考えに陥ったときには、ニェネントくんの存在がわたしを救ってくれることになる。
 もう少し、一日の過ごし方でポジティヴになれることに打ち込むべきだろうと思う。

 この日はようやく、ニェネントくんを抱き上げて爪を切ってあげた。前回は超いやがってわたしの腕の中で大暴れして逃げて行ったのだけれども、今日はあまりいやがらずにおとなしくしていた。わたしの抱き方、爪の切り方のもんだいだったのだろうか。

 今日は『熊 人類との「共存」の歴史』を読み始めたが、前回は7月に読んだばかりだというのにその内容はすっかり忘れてしまっている。けっこう情報量の多い本で、「こんな例もあるそんな例もある」ということがどんどん並列されて書かれていて、読者はそのあふれる情報をしっかり捉え、自分でまとめなくってはならない種類の本なのだと思う。前回はそういうことを思わずにどんどん先に進んで読んだので、結果として書かれていた情報はすぐに忘れられてしまったのだろう。
 今日読んだのは「世界の神話・伝説の中での熊の存在」のことから、熊というものが人間にいちばん近似した存在として認識され、「半分は熊、半分は人間」であった存在の伝説など。
 特にアメリカの先住民らに顕著なのだけれども、「熊」というのは「神」に近い存在であって礼拝の対象でもあったのだ。もちろん日本でもアイヌ民族らの「イヨマンテの祭」などはまさに熊を礼拝する儀式だったわけだ。
 思ったのだけれども、日本には「熊」の付く地名が各地に残されているわけで、「熊本県」だとか「熊谷市」など枚挙にいとまがないだろう。まあ地名というものにはその地に棲まう動物の名がよくつけられるわけで、それは「熊」に限ったことではないだろうけれども、それらの地域はいったいなぜ、「熊」というものをその地名に生かすことになったのだろう。そのことをもっと知りたいとは思った。

 それでAmazonで、そんな「熊」について書かれた本を検索していたら、「熊」ではなく「象」のことを書いた『象の物語』という本を見つけ、それがマーケットプレイスでやたらと安い価格で出ていたもので、つい注文してしまった。きっと「象」の話もまた、興味深いものではあるだろう。