ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ノー・カントリー』(2007) ジョエル&イーサン・コーエン:製作・脚本・監督

 この作品は、コーエン兄弟には珍しくはっきりと、コーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』(今年になって、原作と同じタイトルの『ノー・カントリー・フォー・オールド・メン』として再刊されたらしい)という「原作小説」がある。

 映画は、この作品の主役と言っていいだろう、殺し屋のアントン・シガー(ハビエル・バルデム)が、一度勾留された警察から保安官を絞殺し、彼独特の凶器である家畜屠殺用の圧搾空気ボンベでその他の人らを殺しながら去って行く。
 このアントン・シガーという殺し屋の存在は圧倒的で、『羊たちの沈黙』のレクター博士に匹敵し、ゴジラ映画でいえば「キングギドラ」みたいな存在、ワグネルのプリゴジンもかなわないことだろう。

 作品としては、砂漠地帯で「エダツノレイヨウ(枝角羚羊)」のハンティングをしていたルウェリン・モス(ジョシュ・ブローリン)が偶然「麻薬取引」の抗争あとの現場を見つけることから始まる。そこにはトラックに積まれた大量の麻薬とブリーフケースに詰められた200万ドル、そして何人もの死体があるのだった。ただ一人、ひん死の重傷の男がいて「水をくれ」という。ルウェインはその200万ドルを自分のモノにするのはヤバいだろうと思いながらも持ち帰り、やましい気もちもあったのか男に水をやろうと、水を持って現場に戻る。しかしそのときには別の男らがいて、ルウェインはかろうじて逃げ戻る。現場に戻らなければよかったのだ。
 「自分は当分追われ続けることになるだろう」と思ったルウェインは、妻のカーラ・ジーン・モス(ケリー・マクドナルド)に母の家に行くように言い、自分は単独で逃げることにする。

 しかし、ルウェインを追うことになるのは、アントン・シガーなのだった。彼は一度はルウェインの家に踏み込むが、すでに家には誰もいなかった。
 しかし、200万ドルのブリーフケースの中には「発信機」が仕込まれていて、アントンは受信装置から200万ドルの行方を知ることが出来るのだった。
 襲われたルウェイン家を調べた保安官のエドトム・ベルトミー・リー・ジョーンズ)はその特異な押し入り方や周辺で起きた殺人事件から、「どのような事件なのか」を想像出来るのだった。彼は追われている人間を助けたいと思う。
 一方、「アントン・シガーを知っている」というカーソン・ウェルズ(ウディ・ハレルソン)という男がルウェインの前にあらわれ、「金をよこせばお前の命は守ってやる」という。
 アントン・シガーの顔を知ったものは皆殺されてしまうという「伝説」のもと、カーソンのようにアントン・シガーの顔を知っている人間はほとんどいないのだ。

 ルウェインは「どうしていつも追手が着けてくるのか」と考え、ブリーフケースの中の発信機を発見し、追って来たアントン・シガーに重傷を負わせる。ホテルで傷をいやすアントンのもとにカーソンがあらわれるが、けっきょくアントンに殺されてしまう。ルウェインはカーソンと交渉するつもりで電話するが、電話に出たのはアントンで、ルウェインが金をよこさない限り、ルウェインの妻のカーラをも殺すと告げる。
 ルウェインはそのことを逆手に取って、カーラと母親を呼び寄せるのだが、エドトム・ベルはカーラに会い、ルウェインとカーラを守ると約束する。しかしカーラの母親は不用意にルウェインと落ち合う場所をあたりの人間にしゃべってしまう。
 エドトム・ベルがルウェインのいるモーテルに向かうと銃声がし、モーテルにはルウェインの死体が転がっているのだった。遅れて到着したカーラも、エドトム・ベルの表情からルウェインが死んだことを悟る。

 エドトム・ベルは自分はこのような事件には対処のしようがないと思い、保安官を引退することを決める。
 一方、カーラが自宅に戻ると、そこにはアントン・シガーがいるのだった‥‥。

 映画はコーマック・マッカーシーの原作とほぼ同様の展開を見せるらしいが、実はラストのアントン・シガーとカーラ・ジーン・モスとの対峙するシーンは、原作とは異なっているらしい。
 この映画、つまりは「モンスター」じみたアントン・シガーという男と出会う、出会ってしまう人物のその反応、対し方を描くもので、それはそのまま大げさに言えば、「この地上の災厄」に人々はどう立ち向かうのか、ということでもあるかと思った。そこには「あの200万ドルは誰のものなのか」とか「誰がアントン・シガーに依頼したのか」などということはもう「どうでもいい」ことなのであろう。
 そしてこの作品、コーエン兄弟作品としては『ブラッド・シンプル』『ミラーズ・クロッシング』そして『バーバー』などのように、「ユーモアのかけらもない種類の作品」ではあるけれども、やはりこのアントン・シガーというモンスターにはどこか、『バートン・フィンク』の「カール・ムント」を思わせられるところがあるだろうか。

 音楽はいつものようにカーター・バーウェルの担当なのだが、エンディングに流れる素晴らしい曲以外に劇中にBGMは流れず、音響操作のみの仕事だったようだ。