ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ビッグ・リボウスキ』(1998) イーサン・コーエン:脚本・製作 ジョエル・コーエン:脚本・監督

 日本でもつい先日、同じ町に住む同姓同名の人物(なんと、誕生日も同じだった!)にマイナカードの紐付けを誤り、医療費を間違えた人物に振り込むという、岸田首相の支持率を下落させる「ミステイク」が報道されていたが、これはまかり間違えば「日本版『ビッグ・リボウスキ』」の発端になるところだったろう。

 というわけでこの『ビッグ・リボウスキ』も、そもそもの発端は同じ町に同じ「ジェフリー・リボウスキ」という同姓同名の人物がいたことがいけなかった、という物語であった。
 その2人のリボウスキの一方は裕福な慈善家「ビッグ・リボウスキ」のジェフリー・リボウスキ(デヴィッド・ハドルストン)で、もう一方は「ロスでもいちばんの無精者」である自称「デュード」のジェフリー・リボウスキー(ジェフ・ブリッグス)。
 つまりデュードは「ビッグ・リボウスキ」と勘違いされて、押し入り強盗に襲われ、彼お気に入りのじゅうたんに立ちションされてしまうのだ。
 デュードの趣味はボウリングで、いつもチームメイトのウォルター(ジョン・グッドマン)とドニー(スティーヴ・ブシェミ)とボウリング場で会うのだが、何ごとも過大に考えるウォルターの意見を聞いて「ビッグ・リボウスキ」家に行き、その執事のブラント(フィリップ・シーモア・ホフマン)と交渉し、「間違えられた賠償に」別のじゅうたんをいただいて帰るのだ。
 しかしその後、「ビッグ・リボウスキ」の若すぎる妻であるバニーが誘拐されたといい、ブリーフケースに入った身代金100万ドルを運んで支払う役がデュードに託させることになる。
 ウォルターの考えでは、その誘拐事件はあちこちに借金をしまくっているバニー自らによる「狂言」で、そんな身代金はこっちでいただいてしまえばいいと言うのだが、彼らがボウリングをしているあいだに100万ドル入りのブリーフケースは、デュードの車ごと盗まれてしまうのである。

 いちいち書いているとめんどくさいのだが、ここにさらに「ビッグ・リボウスキ」の娘(バニーよりはずっと年上)の前衛芸術家らしいモード(ジュリアン・ムーア)や、「自分たちがバニーを誘拐しているから自分たちに身代金をよこせ」というニヒリスト・グループ(中にピーター・ストーメアもいる)、さらにバニーに多額の金を貸しているというポルノ業界の王、ジャッキー・トリホーン(ベン・ギャザラ)などなどが登場し、それぞれが独自の「誘拐事件の真相」案を持ち、100万ドルは自分たちのモノだと主張するのである。

 最後にどうやら、遊び歩いていたらしいバニーも家に戻り、つまりは「誘拐事件」すべては「妄想」だったということになるが、ボウリング場の外でデュードとウォルターはニヒリスト・グループと乱闘沙汰になり、そのときドニーは「心臓発作」で死んでしまう。デュードとウォルターは、コーヒー缶に入れたドニーの遺灰を海岸へ持って行き、ウォルターの長い演説のあと、ドニーの遺灰をぶちまけるのであった。

 「バニーがいなくなった」というときに皆が考えるのは、それぞれの欲と都合によってでっち上げた「事件」で、こういうところは『ブラッド・シンプル』で登場人物らが誰も、事件の本当のことを知らなかったことに似ている。
 それでやたら「ヴェトナム戦争」の頃のことを教訓的に語るウォルターは、その狂った「暴力性」からも、『バートン・フィンク』の「カール・ムント」のような人物なのではないかと思う。また、「狂言誘拐」の「身代金」をめぐる展開ということでは、やはりあの『ファーゴ』を思い浮かべてもしまう。
 主人公のデュードは誰か?って考えるのもあんまり意味がない気もするが、やっぱり「アメリカン・ウェイ」から道を踏み外してもしぶとく生きているアウトサイダー野郎かと思える。
 そして、いつもデュードとウォルターと3人でつるんでいたというのに、口を出そうとするとウォルターに「黙ってな!」と仲間外れにされていたドニー。まあ確かにいつも見当外れなことを言い出そうとしていたようだけれども、かわいそうだ(ボウリングの腕は3人でも1番だったのかもしれない)。

 おっかしいのは、ジャッキー・トリホーン邸に呼ばれたデュードがジャッキーに何かクスリを盛られて気を失い、そこで「GUTTERBALLS」と題された、デュードとモードとが踊る短篇ダンス映画(なぜかサダム・フセインも出て来る)が始まるのだが、そこでの1930年代ハリウッドのミュージカル映画みたいなダンスもいいのだけれども、そこでかかるのが、あのケニー・ロジャースの1968年にヒットした(彼の最初のヒット曲)「Just Dropped In (To See What Condition My Condition Was In) 」という曲なのだった。
 わたしもこの時代のアメリカのヒット曲には詳しいのでこの曲も知っていたが、後には「カントリー歌手」として名を成すケニー・ロジャースも、この時代はロックの時代、サイケデリックの時代ゆえ、こ~んな変な曲を歌っていたのだった(歌詞はけっこうこの映像にフィットしてる感じ)。

 コーエン兄弟の作品でも、そういうのではいちばん「遊び心」にあふれた作品というか、難しいことを考え始めたらキリがないだろうけれども、ここはひとつ、笑って楽しみたい作品。
 ‥‥この映画の中の「名言」、「人は時にクマを食うが、クマに食われる時もある。」