ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-04(Fri)

 仕事をしていると、それが単純作業のせいもあって頭の中ではいつも何かの曲がひゃっぺん返しにリピートされているのだけれども、ときどき「何でこの曲を思い浮かべたのだろう?」ということがある。それで今日はリトル・フィートの(というかリンダ・ロンシュタットの)「All That You Dream」が、ずっと頭の中で再生されていた。

 何年も思い浮かべたこともない曲だったのに、どうして今日この曲が思い出されたのだろうか。

 ちょっと面白いことを考えた。「死者の霊魂」というものは、確かに存在するのだ。しかし、その霊魂が宿っていた人が死ぬと、肉体に依存していた記憶はすべて消え去ってしまい、やはり肉体に依存していたあらゆる思考もなされなくなる。つまり、すっかり空っぽになってしまった「霊魂」だけが、死者の肉体から抜け出してさまようことになるのだ。
 もう、その「霊魂」は何も所有してはいないのだけれども、それは根源的なものとして残るのだ。おそらくはその容積も限りなく「無」に近しいものではないかと思うが、それが死んだ人のものだったということは残存し、おそらくは無限に存在をつづけるのではないかと思う。
 その根源的な霊魂には、それでも何らかのレッテルが貼られているというか、より大きな存在(「神」なのか?)がその霊魂を確認すれば、「これは誰それの霊魂だ」と確認し得るのかもしれない。ただし、確認し得たとしてもその中身は「空っぽ」なのだ。「無神論的霊魂の世界」というか、けっこう気に入っている。

 今日も暑かった。週間予報をみるとまだ来週いっぱいは気温も30度以上の日がつづくようで、やはりニェネントくんのためにエアコンはつけっぱなしで仕事に出る方がいいみたいだ。
 空はこのところ、毎日のように同じような積雲が見られ、この積雲の位置関係で驟雨に見舞われたりするわけだろう。

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 「ひかりTV」の処置は今日は考えないことにして、映画も観ずに暑さに耐えた。仕事の帰りに駅の近くのスーパーで韓国のインスタント冷麺を買い、「入れるといいよ」と書かれていたので、ついにきゅうりを買ってしまった。安かったのだ。
 冷麺は手軽につくれたが、思ったよりボリュームもあり、思ったより辛かった。しかし、買ったきゅうりがたくさんあるのだが、とりあえずはポテトサラダに加えるとしても使う量などタカが知れている。「さて、きゅうりを使ってどんな料理が?」と検索するが、あんまり食指の伸びるような献立が出てこないのだった。

 昼食で腹いっぱいになったので夕食はかんたんに「かけそば」にして、早めにベッドに行き、読みさしのハイスミスの『黒い天使の目の前で』を読んだ。今日は2つ。
 ひとつは『ローマにいる時は』という作品で、原題は「When in Rome」。このタイトルは向こうのことわざの「When in Rome, Do as the Romans do」から来てるのだろう。主人公のイザベラはまだ40歳前で、14歳になる娘がいる(彼女はスイスの学校の寄宿舎にいるようだ)。夫のフィリッポは公務員として重要な地位にある(ひんぱんにパーティーに出席し、自宅でもやはりパーティーが催される)が、イザベラのみるところ浮気をしているようだ。イザベラはかなりの「自意識過剰」というか、周りから注目の目で見られることによろこびを感じている。じっさいに美人で魅力的らしい。
 それでイザベラの家のシャワールームには「覗き屋」が出没しているのだが、イザベラは街でその「覗き屋」と出会い、なんと彼にある計画を持ちかけるのだ。それは夫のフィリッポを誘拐し、身代金を要求してほしいというのである。
 ‥‥これはね~、作品としてかなり無理があると思う。だいたい、その「身代金」はどこの馬の骨ともわからない「覗き屋」にくれてしまうつもりなのか、彼女の計画の仔細がわからないし、そもそもそんなことで夫のフィリッポに「一泡吹かせてやる」ということがどうもわからない。「そりゃダメだろ!」と思った通りにイザベラの計画は破綻し、「なんというおバカさん!」みたいな結末になる。
 この作品はもっと「長編」にでも仕込んで、彼女の計画をもう少し緻密に築き上げてやれば、それはそれで面白くなるかもしれないけれども、これでは「バカ女!」というだけみたいだ。
 「バカ!」というのは次の『どうにでもなれ!』という作品でも言えるのだけれども、こっちは笑かしてもらった。原題は「Blow it」。
 主人公のハリー(独身)はマンハッタンのアパートメントに住んでいて、まあ安定した仕事に就いていてそこそこの収入があり、そこそこの男性としての魅力もあるようだ。これがふたりの彼女を持っていて、その存在をもう一方に隠しながらうまいことやっている。どっちも美人である。ハリーは「そのうちどちらかと結婚することになるだろうか? さて、どちらの女性が結婚相手にふさわしいだろうか?」などとは考えるのだが、結論は先延ばしにしてふたりと付き合いつづけている。
 そこに、親しい友人が「郊外のわたしの知り合いが西海岸に転居するので持ち家を売りたいという。すっげえいい家で格安だから買わないか?」と持ちかける。「うん、すばらしい家だし格安だ。こりゃあオレも年貢の納め時で、その家を買って結婚すべきだな」とハリーは思うのだが、どうしてもふたりの女性のどちらを伴侶に選ぶか決められない。家を買うかどうかの最終判断を少し待ってもらって、とにかくはふたりの恋人それぞれにその家を見てもらって、「この家であなたと暮らしたいわ~ん!」と言ってくれた方と結婚しようと思うのだ(ふたりともそう言ったらどうするか?ということは考えていないようだ。「先着順」かよ?)。ところがふたりの恋人のスケジュールが折り合わず、「同じ日の、同じ時間」に家を見に行くことにバッティングしてしまう。ハリーはその最悪の事態を「最悪」とは捉えず、「ここでオレにはあんたのほかにも付き合ってる女性がいた」とバラしてしまうのもいいんじゃないか、その上で「この家であなたと暮らしたいわ~ん!」と思ってくれる方と結婚しようと思うのである。
 ‥‥バカ、である。バカ。結末は書かないが、誰もが想像する通りの結末。ここはハイスミスがこの男のバカぶりをしつっこく書いて読者を楽しませてくれる。もちろんこの作品はその「バカ」ハリーの視点からだけ書かれているので、楽しさ倍増である。前に読んだ『妻を殺したかった男』の主人公の「バカ」っぷり、再来。もう、後半は「おまえはバカか!」「どれだけバカなんや!」という展開がつづき、ページをめくるとさらにダメ押しが押し寄せる。「ワハハハ」と笑いながら読むしかない。
 ハイスミスはこういう「ドジ男」とか「バカ男」を書くのがほんとうに得意というか、これで延々と男のバカぶりで笑わせてくれる「コメディー小説」を書いてくれてもよかったのにな~、などと思ってしまう。彼女は『女嫌いのための小品集』というミソジニー作品もあるのだから、一方のミサンドリー(男性嫌悪)な作品も、もっと残していただきたかった!