ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-09-05(Sat)

 安倍氏の「病気による辞任」というのは、いつまでもつづく彼の「ウソ」のひとつでしかなかったわけで、つまり彼は菅氏を擁立して体のいい「院政」を敷いたわけだ。このことで国民の支持率は回復してしまい、わたしの気分としては「No Future!」というしかない。

 8月が終わったので、例によって一ヶ月の「金銭出納帳」を精算してみた。それがおかしなことに、前の7月の精算とほとんど同じ、という結果になってしまったのだ。
 缶コーヒーなどのドリンクを含む「食費」は2万円強で、7月の2万1千円より6百円ほど少なかった。その他の雑費では異なる点はいっぱいあるものの、税金、公共料金以外の支出をトータルすると、7月とは5百円も差がないのだった。まあほとんど「同額」であろう。
 これはちょっと「びっくり」で、わたしは放置しておけば毎月このくらいの支出で生きていくのだという「値」なのだろうか。たかが2ヶ月、偶然にも支出額がほぼ同じだったからといって、「これからもこうなるだろう」などとは考えてもしょうがないのだが、いちおうあまり過不足を感じずに何も意識しないで(節約しようとか思わないで)生活して(そりゃあ贅沢しようと思えばキリがないわけだが)、結果としてこのくらいの支出になるという参考にはなるだろう。

 今日は昼前に、となり駅前の量販家電店に行ってみた。探している「S端子ケーブル」がどのくらいの価格で売られているかチェックして、安ければ買って帰るつもりだった。店の人に置かれている場所を教えてもらい、みてみると930円。たしかAmazonでは500円台で売られていたはずなので、ここで買うことはパスした。
 帰りに自宅駅そばのスーパーに寄り、また「ナス」が安かったので買ってしまった。このところ毎週のように「ナス」を買っていて、「ナス」を使った料理(たいていは手間がかからないのでいい)ばかりつづいている。
 店内を見ているとレトルトパックの「ミートソース」、1.1キロ入り(中途半端な量だ)が198円で売られていて、ちょうど「これからはもう少しパスタを消費しよう」と思っていたところなので、これも買って帰った。
 帰宅してちょうど昼どきで、買ったミートソースでスパゲッティをつくった。今までの経験でいうとこういうレトルトパックのミートソースはおいしいものではなく、自分で調味料や具を足して調理し直さないといけないのだけれども、これは意外と濃厚な味で、そのまま何も足さないで十分に食べられる味だった。これで当分はスパゲッティがつづきそうだが、これだけの量があると7~8回分はありそうだ。夕食はナスやきゅうりでしばらく「倹約食」になりそうだし、今月は食費がかなりセーブできるかもしれない。

 午後からはもう外出もしないのだが外は快晴でギラギラ太陽が照っていて、室内にいても暑さが浸透してくる。週の初めには「これで夏も終わりか」とも思ったのだけれども、やはり「夏」は当分終わりそうもない。
 ニェネントはエアコンも効かせているので「快適」に過ごしているようで、けっこうのびのびと室内を闊歩していたりする。ニェネントがしっぽをまっすぐに上にあげてゆっくりと歩くさまをうしろから見ていると、セクシーに腰を振りながら歩いているようにも見えて、「それはモンローウォークかよ!」とか思ってしまう。
 今日は珍しく前に買ったシェルターの中で横になり、エビの「けりぐるみ」をだっこして寝ていた。かわいい。

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 わたしはこれからは「ひかりTV」で録画してある映画を少しずつ観ていこうと思っているけれども、それでこの日は『ルーム』という作品を観た。男に誘拐され狭い納屋に7年間拉致監禁され、男にレイプされて産まれた男の子とも5年間共に暮らし、ようやく機知をはたらかせて脱出する女性の話。ただ脱出したからいいのではなく、その後の話もつづく。いい映画だった。

 夜はハイスミスの『黒い天使の目の前で』から、『凧』を読んだ。
 主人公のウォルターは11歳で、両親と妹との4人家族だったのだが、二ヶ月前に妹は肺炎で亡くなってしまった。妹の死のときの対応もあって、両親はケンカすることが多くなった。ウォルターは妹が生きていたころからいっしょに凧をつくり、いっしょにその凧を揚げるのが楽しみだったのだが、今は「特大の凧」をつくることに熱中していた。
 完成した凧を妹の墓の近くの草原で揚げる。ウォルターは凧に妹の名前を書きつけた。おりしもの風に乗って凧は高く揚がり、ウォルターの身体もいっしょに空に揚がるのだ。ウォルターは先にタコ糸の途中に木の横棒をつけていて、そこにつかまっているから危険は感じない。どんどんと凧は風に流されていき、ウォルターの遥か下方の地面では人々がウォルターの方を指さして騒いでいる。
 そのうちに、空中のウォルターのそばに「スカイパトロール」と書かれたヘリコプターが近づいてきて、ウォルターに「地面に降りるように」と伝え、さらにウォルター、凧に接近してくるのだ。
 ちょうど先日、ニュース映像で台湾での「凧あげ大会」で、大きな凧の尾につかまっていた幼女がそのまま地上に揚がってしまい、10メートルもの高さに持ち上げられてしまう映像を見たばかりだった。このハイスミスの短篇は、子供の抱くファンタジーが(様々な意味で)「死」に近接していくことを描いていると思う。残酷な「ファンタジー」だろう。
 この『黒い天使の目の前で』も、あと一篇になった。明日にも読み終わるだろう。