ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『EO イーオー』(2022) イエジー・スコリモフスキ:製作・脚本・監督

 ポーランド出身の映画監督イエジー・スコリモフスキは、名の知られた監督ではあるけれども、実はわたしはこの監督の作品を観た記憶がない。そもそも20年ぐらい映画を撮らなかったブランクがあるし、その前の作品は日本では未公開だったのではないかと思う。2010年のヴィンセント・ギャロが主演した『エッセンシャル・キリング』は観ているかもしれないけれども、記憶が何もないので観ていないのと同じである。
 ただ、ポーランド出身ということで、ロマン・ポランスキー監督の長編デビュー作『水の中のナイフ』の脚本に協力していたということで、この映画は最近観たので記憶している。それから俳優としても活動されているそうで、何と、『マーズ・アタック!』のどこかに出演されているらしい。びっくり!

 この『EO イーオー』は前作『イレブン・ミニッツ』(2015)から8年のブランクを経て撮られた作品で、総合プロデューサーは監督がこのところずっと組んでいるジェレミー・トーマスである。
 そしてこの作品、スコリモフスキ監督が「わたしが唯一、涙を流した映画」と語る、ロベール・ブレッソン監督の『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされたものだという。
 
 『バルタザールどこへ行く』で、ロバのバルタザールは田舎でマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)に可愛がられていたのだけれども、マリーとバルタザールは別れ、マリーに悲劇が訪れ、バルタザールもまた、人間たちのさまざまな悪行の犠牲になるように、受難の生命を終わるというようなものだった。どこまでも悲しい映画で、わたしもスコリモフスキ監督のように泣けるだけ泣いたものだった(わたしは他の映画でもずいぶん泣いたが)。

 『EO イーオー』でもやはり、ロバのEO(イーオー)が主人公で、EOはサーカスのロバ。演技のパートナーのカサンドラといっしょに舞台に立ち、観客の喝さいを浴びる。カサンドラはEOを愛おしみ、大切にしている。サーカスの団員がEOに荷車を引かせてムチをふるうときも止めようともし、仲良くやっているようだ。

 ところが動物愛護のための法律が成立し、サーカスで動物を見世物にすることは禁止されてしまう。動物運搬トラックが来て、EOはカサンドラと悲しい別れをし、サーカスのラクダなどといっしょに施設へ連れて行かれる。
 EOが連れて行かれたのは馬たちを収容する新しい厩舎で、EOも厩舎のオープニングにはニンジンで出来た首飾りを賭けてもらったりするけれども、でもEOは馬のための「下働き」で、荷車を引かされてばかり。EOはそういう扱いがイヤだったのか、勝手に荷車を引いて棚にぶっつけ、棚に飾ってあったものも何もぶちまけてしまう。

 これで厩舎を「お払い箱」になったEOは、次に田舎の農場に送られる。その農場には別のロバたちがいて、EOもそんなロバと仲良くすればいいように思ったが、どうも相性が良くなかったみたい。でも、ある日その農場にサーカスのカサンドラがボーイフレンドのオートバイに乗せられてやって来て、今日はEOの誕生日だと言い、カサンドラ手作りのニンジンのマフィンをプレゼントする。でもボーイフレンドに「オレを取るのか、ロバを取るのか」と言われて、帰って行く。まだここまでは調べればEOの行き先はわかったけれども、このあとはもうカサンドラはEOを捜せないだろう。これが最後のお別れになる。
 EOはそのあと、まるでカサンドラを追うように農場の柵をこわして外に出てしまう。道を進むうちにEOは森に入って行き、そこでいろいろな動物たちを目にする。

 そのあとEOは野原のサッカー場でローカルな試合をやっているところに出くわす。ちょうどゴールキックのところでEOは鳴き声を上げ、ゴールキックは失敗してそのチームは負けてしまう。EOは「勝利の女神」みたいにもてはやされ、勝ったチームの皆が連れて行く。チームが皆で祝賀会を開いているところに負けたチーム連中が車でやって来て、乱闘になる。EOはそのとき外にいたのだけれども、気付いた連中が「負けたのはあのロバのせいだ」とEOをボコボコにする。

 もちろん警察沙汰になり、大けがをしたEOも獣医のところに運ばれる。何とか一命をとりとめたEOだが、このあとも荷車を引く仕事をやらされることになる。
 荷車引きはEOのいちばん嫌いな仕事だろう。テコでも動かなくなり、EOのうしろに来た男を思いっきり蹴っ飛ばして倒してしまう。

 どうやらこれで持ち主もEOを見限ったようで、殺処分する馬を乗せるトラックに乗せられてしまう。
 ところが途中のサービスエリアで、トラックの運転手が殺されてしまう。また警察沙汰になり、トラックの馬は別に運ばれるようだが、EOはそのあたりにつながれっぱなし。
 そこに男が通りかかり、「オレは実家に帰るところだ。いっしょに行くか?」とEOを連れて貨物車に乗っての旅。

 大きな屋敷に着いて中に入ったEOは、そこでカサンドラの声を聞いたように思って門の外に飛び出して行く。
 またさまざまなところを彷徨したEOは、そのうちに牛の群れといっしょになるのだが、それは屠殺される牛たちだった。
 屠殺場の向こうには広い草原があり、屠殺人がEOを「牛ではないから」と草原に放逐してくれればいいのだが。そこで映画はおしまいで、屠殺するような鈍い音が響く。

 せっかくのカサンドラとの安住の地だったサーカスを、「動物愛護」などという名目で追い出されることには告発の気もちはあるだろう。
 自然から隔離された動物たちが人間たちの中で生きざるを得なくなったとき、そんな動物たちと親身になっていっしょに生きる人の存在は大きい。
 例えば「動物園」とは動物らを見世物にしているではないかと、動物園を閉鎖してそれまで動物園にいた動物たちを自然に戻しても、たいていの動物らは生きていけないだろう。ペットのような動物らも、飼い主から切り離してしまうことほど残酷なことはない。

 EOもそんな思慮のない「動物愛護」の犠牲になったとも思えるけれども、サーカスを出てからのEOのことはひたすら人間を非難するようなものではなかっただろう。たしかに、人間の虐待や悪事によって彷徨うを得なくなるEOだけれども、わたしはそこまでにそういうことを「告発」する映画とは思えなかった。逆にそんな登場人物ら人間の行動は「滑稽」に思えもする。
 この映画はもっとニュートラルに、道路やトンネルを行くEO、早朝の人のいない街中のEO、森の中でいろんな動物を目にするEO、そういうことの中に、EOというロバからの視点というものから一篇の詩的な映画をつくり上げたものだと思える。それもまた、今までに読んだことのないような「詩」ではあった。
 それは演出の上での映画としての「実験」というか「冒険」でもあり、感情移入を排した映像は「かわいそうなロバだ」という同情からはちょっと距離があると思った。クールで、それでいて斬新な映像は魅力的で、それでもその奥に「動物」や「自然」、そして「人間の営み」、その望ましいあり方を見つめる監督の眼が印象に残るのだった。映像体験としても、またもう一度観たい映画だった。