ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『異端の鳥』(2019) イェジー・コシンスキ:原作 ヴァーツラフ・マルホウル:製作・脚本・監督

 英語タイトルは「The Painted Bird」で、過去に日本ではこの原作本が「異端の鳥」のタイトルで翻訳・刊行されていたことから、この映画の方もこのタイトルでの日本公開になったのかと思う(現在は「ペインテッド・バード」のタイトルで邦訳されているようだ)。

 原作のイェジー・コシンスキという方はユダヤ系のポーランド人なのだけれども、この方はのちにピーター・セラーズ主演で話題になり、今は忘れられた映画『チャンス』(Being There)の原作者でもあるけれども、いろいろとその評判には紆余曲折のあった方で、この『異端の鳥』原作にも「盗作」の疑いがかけられもしていたというし、けっきょくこの方は1991年に自殺されてしまったらしい。

 Wikipediaでこの人の項をみると、その経歴に「第二次世界大戦中は両親と別れ、片田舎でカトリック教徒を装いホロコーストをのがれる。このときのトラウマのために5年間、彼は口がきけなくなった」とあり、先に書いておくと、それはこの『異端の鳥』の主人公の少年の遍歴と同じではある。

 観ていて、自分としてはこの映画はチェコや東欧(Wikipediaをみると、チェコウクライナの合作となっているが、ポーランドその他の国も協力しているようである)の映画人が結集してつくった映画という認識はあったのだけれども、とちゅうで登場した俳優がハーヴェイ・カイテルにそっくりで、「東欧に行くとこういう俳優さんもいるんだなあ」と思っていたし、さらに「この俳優さんって、ジュリアン・サンズみたいだなあ」という変態男も登場してくる。それで映画が終わってエンド・クレジットを眺めていると、それらの俳優さんはまさにハーヴェイ・カイテルであり、ジュリアン・サンズだったりしたのだ(あと、ウド・ギアも出演していた)。

 映画はモノクロで、舞台はおそらくはロシアに近い東欧なのだろう。観始めたときにはこの時代はわからなかったが、そのうちに帽子に「鎌と槌」のソヴィエトのシンボルマークをつけた男らが登場するし、ナチスの十字マークをつけた飛行機も空を飛び、時代背景がようやっとわかる。

 主人公の男の子は年配の女性といっしょに生活していたようだが、不意にその女性が急死してしまい、住まいも火事を出して焼けてしまう。そこから男の子は流浪の旅に出るというか、さまざまな人たちの生活に絡み、ある人らとはいい関係もつくれそうにはなるが、ある人らには虐げられて酷い目に遭い、命からがら別の地へと移って行く。
 映画はその都度出会う人の名前を、そのシークエンスのタイトルとして進行して行くが、わたしが印象に残ったのは、そのシークエンスごとに何らかの動物が登場して来ることだった(最後にはそういう動物の登場はなくなるが)。

 そもそもこの映画のファーストシーンが、主人公の男の子が子犬を抱いて走っていたシーンで、男の子はそのときまわりの男の子らに襲われ、なんと抱いていた犬は火をつけられて火だるまになって転げ回って息絶えるのである。
 けっこうインパクトの強い衝撃的なシーンだったが、この作品にはそんな「眼を背けたくなるような」シーンがけっこう続く。そういう動物たちは時には主人公の男の子の精神状態のアナロジーでもあるが、いつもすべてがそういうわけでもない。

 原題の「The Painted Bird」でいえば、主人公はある鳥を飼っている男のもとでしばらく暮らすのだが、男が自分の飼っている鳥の羽根を白く塗って空に放つ。空にはたくさんの鳥が群れて飛んでいるが、その中に入った「塗られた鳥」は、まわりの鳥の攻撃を受けて死んで主人公の前に落ちて来るのである(この鳥の群れるシーンの撮影はすごかった)。この鳥はどこかで確かに、主人公の「何か」を象徴していただろう。
 また、森の中で足にケガをした馬に出会った主人公は「助けてあげるからな」と連れて歩くのだが、これがロシア人コサックの一隊に見つかり、馬は残酷な殺され方をするし、このあたりから主人公の旅はあまりに残酷な、悲惨な流浪の旅へとシフトする。
 主人公は外見からもユダヤ人で、ロシア人らによってドイツ軍の駐屯地に連れて行かれる。列車で収容所へと輸送されるユダヤ人らの描写もある。
 まだ映画の最初の頃には笑いもし、話すことも出来た主人公は、もう終盤には表情も凍り付き、言葉を発することもなくなるのだ。
 終盤には主人公はもう「やられっぱなし」ではなくなり、自分を「性のおもちゃ」にした男には反撃して「ネズミの穴」に落とし込んで殺すし、同じく「性のおもちゃ」にした女性が大事にしていた羊の首を切り落とし、女性の寝室に投げ込みもする。さいごには、彼に親切にしてくれ拳銃を渡してくれたドイツ兵からの拳銃で、彼を「ユダヤ人」と侮蔑して殴り倒した商人を撃ち殺すことになる。

 映画のラストは「癒し」の時であり、「希望」へと向かう時である。おそらくは戦争は終結したのだろう。おそらく主人公はラストに、まだことばは発せられなくても、人との感情の共有が出来るように成長したのではないかと思う。それははっきり書けば、ついにめぐり合った父親もまた、腕にユダヤ人収容所の入れ墨をしていたことから、主人公は父親もまた自分のように、自分以上に「悲惨」な歳月を送っていたのだろうと、気もちを巡らせるのである。
 いちばんラスト、主人公の父親へのメッセージが泣かされる(そこで流される女性ヴォーカルの歌曲でまた泣かされる)。
 そのラストまでまったく音楽の使われない作品であるし、モノクロ撮影の画面がすごく美しい。ひとり全篇に登場する主人公の男の子を演じる子の存在感が素晴らしいし、近年観た映画で、もっとも心を揺さぶられた映画だったと思う。