ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『小説の森散策』(1994) ウンベルト・エーコ:著 和田忠彦:訳

 この書物は、1992年から93年にウンベルト・エーコハーヴァード大学で6回連続して行った講義の草稿記録という。内容はそこまで<専門的>というわけでもなく、別に大学の文学部に籍を置く人らを対象とした講義でなく、一般に「小説を読むのが好き」という人で、ある程度の世界文学の知識がある人なら楽しんで聴講できる内容だろう。じっさい、取り上げられる作品はジェラール・ド・ネルヴァルの『シルヴィー』(わたしも読んでないが、この作品をすでに読んでいる人は少ないのではないか?)からデュマの『三銃士』、アガサ・クリスティーの『アクロイド殺人事件』などと、まあ言ってみれば「純文学」から「大衆文学」まで、多岐にわたっている。

 この講義でエーコが語り明かしたいのは、「小説」というものの中で、作者はどのように作品を読まれたいと意図しているのかということの究明で、そこにエーコは「作者がこの小説を、読者にはこのように読んでほしい」と想定する「モデル読者」という概念を提出し、読者はつまりまずは「モデル読者」であることを目指すべきとし、そこからさらに上位クラスの「中級モデル読者」へと進むべきだろう、そうすると楽しいよ、ということを語るわけである。そこにはまた、作者がその作品の中で提示する「モデル作者」という概念も出てくるわけである。

 つまり、「モデル読者」とは小説を読み進めながら、その小説の<構造>とでもいうものを探りつづける読者のことで、それは読まれる対象が「大衆小説」であろうが、そういう「モデル読者」はそのような読み方をするわけになる。ま、コレに対応するのが「経験的読者」、「経験的作者」というあり方らしく、それは「経験的読者」であれば小説の物語(ストーリー)のみを読み取ろうとし、「経験的作者」はそういう物語(ストーリー)こそを第一義に置こうとする作者のことだろうか。ここではストーリーとプロットというものは同義になってしまうだろう。
 で、エーコは「小説という一冊の書物」とは、どのような世界を示そうとしているのかを究明していくわけで、このあたりはまさに「推理小説」を読み解いて「犯行現場」を再現するような面白さに満ちていて、「まあ、ウンベルト・エーコの評論の面白さはこういうところにあるよなあ」という感じ。
 そしてここに、まあ書かれた順番はよく記憶してないけれども、小説の中の「時間」、そして「空間」をキーとした読み進め方が提示されていただろうか。

 さいごの2章はそれまでの「小説論」というようなところからはちょっと距離を取り、まずはデュマの『三銃士』の中のパリの街描写に勘違いがあるのではないのか、ということを延々と調べ上げる、まさにエーコらしい「探索」があり、「ではデュマの『三銃士』に描かれたパリの街の描写はまちがいなのか?」というとそうではなく、それはデュマの『三銃士』という小説の中での「パリの街」として、決してまちがっているのではないという。

 そしてさいごの章は、その『三銃士』で過去のパリを調べ上げた手腕をもってして、いかにもウンベルト・エーコらしくも、「偽書」の問題を取り上げる。つまりそれは、あの『シオンの議定書』がどのように、誰によって書かれ、世界史を歪めるような影響力を持つようになってしまったかを解き明かす。
 この講義は1990年代のものだが、今げんざい世界には「フェイクニュース」が拡散され、「ポスト・トゥルース」の時代とも言われるようになったとき、20年以上も前に「偽書」の問題を取り上げていたエーコの先見性には頭が下がる思いがする。
 というか、エーコの小説作品はたいてい(わたしはそんなにエーコの小説を読んでいないけれども)、そのような「偽書」の問題を含んでいるように思えてしまう。
 わたしは今でも、あの『薔薇の名前』でのややっこしい冒頭書き出しの部分の構造をそれなりに記憶していて、じつはその後の物語展開にほとんど無関係であったように読めたその構造を、この本を読み終えた今になって、やっぱりしっかりと極めてみたいとも思うことになった。一ランク上の「モデル読者」を目指しますか。

 ということで、つまりはこの『小説の森散策』という講義録、単にストーリーを追いかけるだけではない「小説」の世界の楽しみ方を教授してくれる本だということができるだろう。
 ま、わたしはもちろんウンベルト・エーコのような才人ではない、何でもない「凡人」ではあるけれども、エーコがここで語るような小説の読み方は、いつもしていたような自負はある。特にアレですよ、ジョイスの『ユリシーズ』なんか、ここでエーコの言うような読み方なくして楽しむことはぜったいできないわけだと思うし、そしてピンチョンの『重力の虹』や『V.』のぶっ飛んだ展開を楽しむためには、単にストーリー展開を追えばいいという話ではないだろう。
 うん、やっぱりまた『薔薇の名前』を読んでみようかな。