ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-11-19(Fri)

 勤務先の駅に近い商業ビルのエントランスには、十日周期でいろいろな出店が出ているのだが、今は陶器瀬戸物類の店が出ている。そこに売られていた鳥の描かれた皿が「かわいいな」と毎日見ていて欲しくなり(とにかく、今は「鳥」に夢中ですからね)、ついに今日、仕事の帰りに買ってしまった。しかし、帰宅して包装を解いて出してみると、「なんだ、そんなに良くもないじゃないか」と、ちょっとがっかりしてしまった。
 売られていた場所の明るさとかの条件で、良く見えたのだろうか。

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 でも、テーブルの脇に放っておいて、たまにふっとその皿に目をやると、「あら、かわいい~!」とか思ってしまう。じっくり眺めたりしないで、ちらっと見るぐらいがちょうどいいのだろう。やはり、これはこれで「いい買い物をした」と思うことにした(それなりの値段がしたのだ)。これからも、部屋のどこかに置いておいて、ときどきちらっと視線をおくるようにしようか。

 早朝に家を出ると、昨日の夕方に東の空に見た月がぐるっとめぐって、西の空にかかっていた。駅への道を歩きながらカメラを出して、「夜景」モードで街灯のそばの月に向けてシャッターを切ってみると、ちょっと非現実的な面白い写真が撮れた。

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 真ん中で明るく輝いてるのは街灯の光で、撮ろうと思った月はそのちょっと右上にかかっていたのだけれども、写真ではどこに月があるのかわからない。両側の建物の黄色い色彩と空の青、道路の明るいグレー、そして奥へと導く街灯の明かりとが、ひとつの世界を表している感じだ。
 カメラというのはこうやって、「眼に見えている世界」とはまるで異なる世界を定着してくれるから面白い。

 この日は夕方に「ほぼ皆既月蝕」が見られるということで楽しみにしていたのだけれども、仕事の帰りにその月が見られるはずの東の空を見ると、薄い雲に覆われているのがわかった。これでは「月蝕」もクリアに見られないだろうかと思う。

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 夕方になって5時ぐらいに「どうだろう」と、近くの国道をまたぐ歩道橋に行ってみた。
 東の空に、そんな半分欠けた月が見られたけれども、やはり薄く雲がかかっているようで、そこまでにクリアに見られたわけでもない。

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 写真では、地球の影になって欠けたところもぼんやりと明るくみえるようだけれども、じっさいに目で見た感じではほとんど見えないのだった。
 昨日の月を撮ったのと同じ露出などの条件で撮ってみたのが下の写真。やはり月自体の光量が少ないので、暗い月になってしまう。それでも赤みが強くなり、月蝕の神秘的な雰囲気は出ているだろうか。

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 いちどウチに帰り、そのあと月の影が最大になるという6時ごろにまた外に出てみたが、おそらくは月自体も明るさが失われていただろうし、薄い雲の向こうに欠けた月があるとはわからない、ただ真っ暗な空が見られるだけだった。今日の「月蝕観測」は、これでおしまい。

 今日は歯科医の予約日でもあって、「今日の治療は長くなるぞ」というつもりだったのだけれども、どうも新しくつくる土台の形成がそう簡単ではないらしく、あとで時間をかけてやるということで、今日もまた短時間の処置で終了してしまった。
 この日はこのあとの予定もあったので、どちらにせよ外食するつもりではいたのだけれども、昼食にずいぶんと久しぶり(何年ぶりか)に吉野家へ入って「牛丼」を食べた。
 牛丼、イージーだなあ。ただタマネギと牛肉をつゆで炒めて煮込んで、ちゃっちゃっとご飯の上にのっけただけ。これはカレーライスと並んで「外食の王様」だろうけど、カレーライスはやはりどこか調理がめんどうなのか、今は牛丼が「王様」であろう。まあカレーライスは「自分ちでつくるよ!」ということも多いだろうけれども、牛丼を自分でつくる人もあんまりいないだろう。そんなあたりにも牛丼が勝利者になった理由もあるのだろうか。どこかチープな「すき焼き」モードもあるというか、外食でカレーライスを食べようと思わなくっても、やはり「牛丼にしようか?」という心理はどこかにあって、これはわたしには「立ち食いそば」に近いモノがあるのだろうか。