ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-11-02(Tue)

 今週は週の真ん中の水曜日の、つまり明日に「文化の日」という祭日があるので、2日出勤すれば休みで、そのあとまた2日出ればまた休みという、なかなかに素敵なカレンダーではある。3連休とかもいいけれども、飛び石というのもいい。こういう祭日が毎月一度ぐらいずつあればいいのだけれども。つまり今日仕事に出れば、明日は「休み」なのである。

 早朝のまだ真っ暗闇の中を駅へと歩くが、この朝はけっこう薄い雲が空をふさいでいるところが多いようだ。南の空にはひとつだけ明るい星が見えたけれども、それ以外にはわたしの視力では星を見つけることは出来なかった。晴天であれば先日のようにオリオン座も見えることだろうに。
 東の空の雲のあたりが黄色くぼんやりと明るく見え、「ああ、あの雲の向こうに月があるのだろうな」と思うのだったが、歩いているうちに雲が流されて、月が姿をみせた。細い、もう新月になろうかというような月で、こういう地平の方に月の弦が見られるのを、「月の舟」と呼んだらしい。この舟の上にはきっと、うさぎが乗っているのだろう。

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 ついにまた、職場前の歩道の並木から、枯れ葉がいっぱい道に散らばるようになってきた。そのうちに本当に枯れ葉が道に積もるほどになってしまう。みんなで総出で道路清掃にとりかかることになるのだ。設備の人と「そろそろだね」と話をする。「晩秋」なのである。
 わたしが仕事を終える頃には晴天になり、気温もけっこう上がっているようだ。朝にネットの予報を見て、気温が高くなりそうだと思ったのでちょっと薄着で出勤したのだけれども、それでもまだちょっと暑い。帰りにビールでも買って帰ろうかとも思ったけれども、我慢した。

 「野良ネコ通り」を歩いて、「ヒゲ殿下」がいつもの定位置の車の上でお休みになられているところに出くわした。「ヒゲ殿下」にお会いするのも3週間ぶりだ。今日は暖かいから、目を細められて気もち良さそうであられる。

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 帰宅して、「レバニラ炒め」をこさえて昼食。テレビやネットでは「総選挙」の結果の総括を盛んにやっている。夕方には立憲民主党の枝野代表が議席減の責任を取って辞任されるとの報道もあった。ひとつには、立憲民主党日本共産党との「選挙協力」(これは「小選挙区」での立候補者の調整ということだけれども)が良かったのかどうかという問いがある。
 改めて投票結果をみると、まあ衆議院選挙には「小選挙区」と「比例代表」とのふたつの投票様式があるのだけれども、実はその「小選挙区」では立憲民主党は「善戦」というかほとんどそれ以上の結果を出し、多くの自民党候補者に競り勝っている。ところが「比例代表」の方で、なんと20議席以上も失ってしまっているのだ。

 わたしは専門家ではないからいい加減なことも書けないけれども、そういうことを表面的にみた感じでは、それぞれの「小選挙区」ではたいていの選挙区で(日本共産党との協力もあって)「立憲民主党」対「自民党」という1対1の構図を実現し、その中で立憲民主党が競り勝ったケースが多いのだ(わたしが投票した選挙区でも、自民党の「元大臣」にかなりの大差をつけて立憲民主党議席を確保した)。それがつまりは、「比例代表」の投票では「立憲民主党」に票を入れた人が相当に減少したということなんだろう。
 これはつまり、皆の中で「自民党批判」という意識はそれなりに強く、特に「小選挙区」での個別の選挙戦では「アンチ自民」の票を統一して集めることに成功したのではないかとも思える(自民党が圧勝した地域もあるようだし、これが関西では「日本維新の会」への票の集中ということになった)。それで、「じゃあそのことが立憲民主党を支持することなのか」というと、これがまるで違っていたということだろう。それは「日本共産党」と協力関係をとったことへの「ノン!」なのだろうか。投票前には確かに「立憲民主党」と「日本共産党」との協力をバッシングするような、主に自民党からの発言は多かったと思うし、今、いろいろなところから「反共」発言は多く拡がってきているようだ。
 わたしは積極的な共産党支持者ではないし、じっさいのところの自分の考えは最終的には共産主義にまったく同意するものではない。しかし、現実的な政策として、今「日本共産党」の打ち出す政策案には合意するところが多い。だから個人的には今回の「共闘」は支持するのだが、つまり前回の選挙で「立憲民主党」に投票した人たちは、個々の「小選挙区」では立憲民主党の候補者を支持しても、共産党と連動した立憲民主党に「比例代表制」に投票したくはなかった、ということなのだろうか。
 日本共産党議席を減らしたとはいえども、立憲民主党ほどの減少ではなかったというのも、もともと日本共産党を支持する人が「どんなことがあっても共産党」という、強い支持者が多かったせいでもあるかな、とは思う。けっきょく、立憲民主党には「どんなことがあっても立憲民主党」という盤石の支持者が、そこまでにいなかったということだろうか。

 それで、関西での圧倒的な「日本維新の会」の強さをどう考えればいいのか。わたしにはまだ考える材料は足りないけれども、今思うのは、ネットのニュースサイトに投稿される「反動的」な意見とリンクされているようでもあり、これは今の世間の「嫌韓、嫌中」意識、「自己責任」意識、「福祉の切り捨て」意識に結びついているようにも感じられる。
 前にも書いたが、そんなニュースサイトへの投稿で目立つのは「<権利>を主張する前に自分の<義務>を果たせ」という声で、それは象徴的なところでは「税金を払ってるのかどうか」というところに集約されるところが大きい。
 今、皇族の結婚問題が異様なバッシングにさらされているけれども、そこでニュースサイトの投稿をみると「自分たちの税金で暮らしてるくせに」、「自分たちの税金の使いみちをはっきりさせろ」という意見が多い。それでもちろん「生活保護受給者」に対しても、「お前らの生活保護費はオレたちの税金だ」という意識があってのバッシングのようだ。
 これらの意識が即「日本維新の会」支持に結びつくということを、短絡的に書くわけにはいかないだろうけれども、素直に書けば「極めて近接している」のではないかと思う。
 まだまだ、「日本維新の会」への圧倒的な支持は関西地域に限定されているようで、それ以外の地域までは拡がっていないようだけれども、それは来年夏の「参議院選挙」のときにどうなってしまうことだろう。