ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2021-05-20(Thu)

 昨日、くしゃみや鼻水が出たりして、ちょっとばかり心配な気もちはあったのだけれども、今朝起きて体調に問題はないようだったし、測った体温も35.9度だった。ひと安心。

 このところしばらく天候が悪く、陽の光を見ることもなかったのだけれども、今朝はずいぶん久々に雲が薄く、透かして青空も見えるのだった。早朝の電車に乗っていたら東から陽が昇ってきて、まぶしい朝の陽光が電車の中にも射し込んできた。でも、また明日は雨になるらしいが。

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 この頃、仕事帰りは「野良ネコ通り」を歩こうか、それとも「ふるさと公園」まで足を伸ばしてみようかと迷うのだけれども、今日は「野良ネコ通り」を歩いてみた。
 先日、雨が降っている日にこの「野良ネコ通り」で、ずいぶん久しぶりに「ヒゲ殿下」と思える野良ネコに出会ったけれども、最近はめっきり野良ネコの姿を見なくなって淋しい。もう新しいデジカメを入手して一ヶ月になるのだけれども、いまだに新しいデジカメで野良ネコを「パチリ!」と撮ってはいないのだ。いいかげん出会いたいものだと思っていたら、ついに出会えました。それも2匹。
 さいしょは車の上で休んでいる「ヒゲ殿下」に気づき、ついに写真におさめたのだけれども、気がつくととなりの車のボンネットの上にも別のネコがのさばっていたのだった。

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 わたしはてっきり、「ヒゲ殿下」は三毛猫だと思い込んでいたのだが、あらためて近くで見てみると、黒白のブチネコなのだった。そうすると、先日見かけたネコは三毛猫のようだったから、あれは「ヒゲ殿下」ではなかったのだ。

 もう一匹、ボンネットの上で寝ていた初対面のネコはやはり黒白のブチで、これは「ヒゲ殿下」と親子だとかきょうだいだとか、血縁関係があるのかもしれない。
 近づいてカメラを向けるとわたしに気がついて顔を上げてくれたけれども、別に警戒して逃げようとするわけでもないのだった。
 なかなかに「野良ネコのボス」的な面構えというか、このあたりの野良たちはみんな不敵な顔をしておられる。

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 「ヒゲ殿下」にもカメラを寄せて撮影してみたが、横眼のするどい目線で睨みつけられてしまった。こわいなあ。

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 今日は2匹のネコの姿を間近に見ることができて、けっこういい気分になった。野良ネコとして生きるのは苦労も多いだろうし、わたしはただ歩きながらそんなネコたちの姿を見つめる以上のことも何もできないけれども、つらい目に遭わないで生きていってほしい、どうか子孫だけは残さないでおくれ、とは思う。

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 帰宅すると、玄関前にニェネントの固形食と、新しいキャットタワーの段ボール箱とが届いていた。キャットタワーの箱はさすがにちょっとデカい。今日箱を開けて組み立て始めると部屋の中がたいへんなことになりそうで、明日仕事を終えればそのあと日曜日までは休みだから、明日以降にセットすることにしよう。
 一時期、食事を食べ残すことの多くなっていたニェネントだけれども、今はまったく食欲旺盛で、朝も夕も食事を出してあげるとすぐに完食してしまうようになった。

 通勤時間とかに読んでいた、ジョイスの『若い藝術家の肖像』の本編をようやく読み終わり、あとは巻末の翻訳者の丸谷才一氏のエッセイ(これがそれなりに長い)と、解説とを残すだけになった。明日には読み終えよう。

 夕方に、ネット上におどろいたニュースがアップされていた。それは自民党がこの日、LGBTなど性的少数者に対する理解増進に向けた法案の審査を行ったというのだが、「理解増進を目指す」はずの審査会で、LGBTを否定するような意見が続出したようで、「了承は見送られた」というのである。
 そもそも、この法案の目的は「性的指向および性自認を理由とする差別は許されない」社会を実現することにあったはずなのに、「法を盾に裁判が乱発する」とか「道徳的にLGBTは認められない」「人間は生物学上、種の保存をしなければならず、LGBTはそれに背くもの」などという、「いったいこの人たち、何のためにこの法案を考えたのだろうか?」と思ってしまうし、まさに「LGBTなど性的少数者に対する理解」どころか、この審査会で差別をあらわにしているではないか、という感じだ。
 特に山谷えり子という参議院議員は、「女子の競技に男性の身体で、心が女性だからっていって競技参加して、いろいろメダル取ったり、そういう不条理なこともあるので少し慎重に。社会運動化・政治運動化されると、いろんな副作用もあるんじゃないでしょうか」などとのたまったという。
 ‥‥呆れてものも言えないというか、「開いた口が塞がらない」とはこのことである。競技うんぬんの件なんか、「この人、あたまおかしいんじゃないだろうか?」と思ってしまうし、そもそもこの法案はそういう「副作用」をなくすためにつくろうとする法案なのではないか。根本の考えがまちがっている。ここまで反動的な差別的な発言というのも久々に読んだ気もするし、これは大きな「反対運動」をまきおこすことになるのではないか。わたしだって、そんな「反対運動」には参加したい。