ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-10-12(Mon)

 今日からまた仕事。朝、「そろそろ出ようか」と立ち上がると、それまで近くで伏せっていたニェネントが起き上がり、わたしを見上げて「にゃお~」となく。「出かけるのかよ!」と言っているのだ。玄関で靴を履いていると近くまできて、グルグル回りながらにゃんにゃんなく。ニェネントとわたしとの、8時間のつらい別れのときである。

 今日は仕事の帰りに、「野良ネコ通り」でネコをみた。この通りでネコに出会うとやっぱりうれしい。このネコは「殿様」だ。たたずまいに威厳があるのだ。

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 そして、その「野良ネコ通り」のそばの菜園で、モンシロチョウをみた。うまく花にとまっているところを撮れたけれども、「もうちょっとカメラを下から撮った方がいいな」とわたしが動いたら、飛び立って行ってしまった。
 「モンシロチョウ」としては色が黄色っぽいのだけれども、黒い紋のかたちがやはりモンシロチョウのものだし、これが「モンキチョウ」だと翅の周囲が黒くなっていることだろう。わたしの中のナボコフ先生が、「これはモンシロチョウである」とおっしゃっておられる。

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 帰宅すると、注文していたナボコフの『マルゴ』が郵便受けに到着していた。きゃーっ!すっごい帯の宣伝文句、そしてカヴァーの絵。
 「官能美の世界」って、そんな小説ぢゃないですし、背表紙には「大人のための愛のメルヘン」な~んて書いてある。

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 この本が日本で河出書房によって刊行されたのは1967年で、1959年に大久保康雄翻訳の『ロリータ』が同じ河出書房から刊行されて8年、ようやく2冊目のナボコフの翻訳本だった。まあさいしょの『ロリータ』翻訳も「ちょっと扇情的な書物」的な翻訳のされ方、売られ方、買われ方をしたわけだけれども、そのことが「あれはちょっとひどい」と言われるようになったのは、ずいぶんとあとになってからのことで、実はじっさいに翻訳したのは大久保康雄氏ではなかったらしくもあり、1974年になって大久保氏による改訳版が刊行される。そのあたりから『ロリータ』という本やナボコフという作家の「復権」がはじまるのだけれども、この『マルゴ』の表紙絵とか帯とかをみると、このとき(1967年)にはまだまだポルノグラフィック路線で売ろうとする出版社の営業方針が透けて見えるだろう。
 しかし、この本を翻訳したのは篠田一士氏であって、(わたしはこの人をそんなに評価しないというか、好きではないのだけれども)まともな文芸評論家であり翻訳家であり、ナボコフという作家の重要性ももちろんわきまえていらっしゃる。そういうところで訳文には信頼をおいてもいいのではないかとは思っているが、それでもこの表紙絵、帯の文章。もしもナボコフが生前にこれを目にしていたならば怒り狂われていたのではないか、「この表紙絵は外してくれ!」と要求されていたのではないかと想像してしまうのだ。ナボコフを怒らせると怖いよ。
 とにかくはまずはこの『マルゴ』を読み、『カメラ・オブスクーラ』ではなくてこちらから映画化した「Laughter In The Dark」を、早く観てみたい。

 ニェネントは今日も和室の布団の上で寝ていて、かわいいのだ。

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 今日の夕食は、ダイコンと鶏肉の煮物にした。特に手間のかかる献立でもないが、いっぱいつくりすぎてしまって、明日もまた今日の残りでの食事になることだろう。