ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-11-24(Tue)

 昨日書いた「謎の実」の正体がわかった。あれは「チョウセンアサガオ」の実、なのだった。このあたりにチョウセンアサガオの花が多く見られることは前に書いたことがあるけれども、その花が枯れたあとの「実」は見たことがなかったし、それがこんな形をしていたとは意外だった。

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 それで問題なのは、「チョウセンアサガオ」とは毒を持つ植物だということで、わたしもそのことは何となく知っていたけれども、この植物が別名「ダチュラ」として知られているということであれば、それはむか~し読んだ村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』に登場した強烈な幻覚剤なのだった。
 葉っぱを煎じて飲むだけでヤバいことになるらしく、酩酊状態になり妄想、幻覚を見るようになり、それが何日かつづくらしいのである。ネットを見ると、花のつぼみをオクラとまちがえて食べて意識障害を起こしたり、この根をゴボウとまちがえてヤバいことになったりという事例が出てくる。
 「そりゃあ大変だ」と、ニェネントがかじったりしないうちにゴミ袋に放り込んだのでした。

 さて今日でわたしの4連休も終わり、久しぶりの「仕事」になった。この4日間のあいだに日の出はそれなりに遅くなり、わたしが勤務地の駅で降りても外はすっかり暗くなってしまった(写真は「夜景モード」で撮ってしまったのでけっこう明るく写ったけれど、じっさいはほとんどまっ暗である)。

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 空は一日曇っていたし、気温もあまり上がらずに寒かった。こういう日にこそ、買ったパーカーを着ればよかったと思うのだった。
 「野良ネコ通り」には今日もネコたちの姿は見られなかったけれども、この道沿いに小さな畑があって、ここには9月の末にダイコンが種まきされていて、小さな芽がだんだんに伸びてきていたのをわたしもずっと見ていたのだけれども、そのダイコンが今日はすっかり大きくなって地面の上にはみ出してきているのが見られた。ダイコンというのは、ずいぶんと成長が早いのだなあと思った。もうそろそろ収穫の時なんだろう。

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 今日は「GYAO!」で、ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観た。評判になった映画だったけれども、非人間的なイギリスの社会保障制度を問題とすると同時に、人と人との結びつきの美しさを描いた作品だった。
 映画をとちゅうまで観たところでちょっとキッチンに立ったのだけれども、そのときにわたしの足もとにニェネントがやって来て、そこに置いてある器から水をなめ始めた。そのニェネントの姿をみたとき、観ていた映画のこともあって、「ニェネントが生まれてわたしといっしょに暮らすようになってから、どんだけニェネントがわたしの支えになってくれていることだろう」と思ってしまい、急に涙があふれてきてしまった。

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 ときどきわたしは、「わたしはいったい何のために茨城で暮らしたりしたんだろう」と思うこともあったのだけれども、それはもう、まちがいなくニェネントと出会うためのことだったと納得する。わたしは時々「運命論者」になってしまうのだけれども、つまりわたしはニェネントと出会う運命にあったわけで、そのために茨城に転居したのだ。ニェネントは(バカ面してるけれども)わたしを救済してくれて、それで今、わたしは生きているのだと思った。
 「ひとり暮らし」でも、ネコといっしょに暮らしている人は精神的にも肉体的にも「健康」なのだという。まあわたしはそこまで肉体的に「健康」でもないかもしれないが、これがニェネントがいなければいろいろともっと「あかんかった」かもしれないな。そう思う。
 ニェネントはわたしがいなければ生きていけないし、わたしもニェネントがいないと生きていけないだろう。そういうことだ。

 今日の夕食は簡素化して、目玉焼きとトマトのサラダですませた。先日駅のそばのスーパーで、「見切り品」としてトマトが激安で売られていたのだけれども、それはヘタのまわりが黒く変色していて売り物にならないトマトだったのだけれども、下半分はきれいだし、さわってもぐじゅぐじゅしていなかったから買って帰ったのだけれども、じっさいにヘタの周囲の黒いところを切り捨ててしまえばまったく健全というか、普通のトマトよりもおいしいぐらいのものだった。これからはトマトをいっぱい食べよう。