ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『推し、燃ゆ』宇佐見りん:著

推し、燃ゆ

推し、燃ゆ

 単行本ではなく、「芥川賞発表」の『文藝春秋』で読んだ。著者の宇佐見りんは1999年生まれの現役大学生で、2年前発表の第一作『かか』は「文藝賞」、「三島由紀夫賞」を受賞したらしく、この第二作で「芥川賞」受賞ということ。

 ヒロインのあかりは、アイドル・グループ(と言っていいのだろう)の真幸(まさき)の大ファンであり、いまどきらしくもSNSで彼のことを追い、彼のことを書く。あかりの全生活は真幸に捧げられている。この小説の中であかりはずっと、真幸のことを「推し」と呼ぶ。その「推し」がファンの女性を殴ったということからSNSで炎上し、それが「推し、燃ゆ」ということではある。この事件から作品は始まる。このときあかりは高校二年生。

 あかりが「推し」の存在を知ったのはあかりが4歳のとき、舞台でピーターパンを演じた(当時12歳だった)彼を観てのこと。あかりはその舞台のDVDを大切に持っているが、ここで「推し」が演じたのがピーターパンだったということが、あざといぐらいに象徴的ではあろう。

 読んでいくと、どうやらあかりは学習障害なのかどうか、ある種の発達障害を抱えているらしいことがわかる。漢字が覚えられない、掛け算の九九が覚えられない。しかし知能に遅れはなく、「推し」のことをめぐってブログをずっと書いていて、フォロワーもけっこういる。リアルな友だちは少ないようだが、成美という子と仲がいい。
 あかりの家庭は姉と母がいて、父は海外に単身赴任している。祖母が近くに一人で暮らしているのか。っつうことで、この作品には男性がほとんど登場しない。「推し」以外では高校の教師と父親だけなのだが、この、あかりへの指導的役割のはずの男性二人の、あかりへの「無理解」が、痛い。だからといって母や姉が「推し」のことばかりに熱中するあかりのことを理解してくれているというわけでもない。
 けっきょく、あかりは高校二年から進級できなくなり、高校を中退する。祖母が亡くなり、あかりは祖母が住んでいた家で「早く就職すること」と言われながら援助を受けて一人暮らしを始めるのだ。

 アイドルを追っかけるファンの心理というものは、何かで読んだり見たりした記憶もあって、「こんなものだろう」とは思うのだけれども、まずはネットのSNSの世界になってのファン心理というものがあり、さらにその子が実生活で独立して生きることが困難そうな、精神的な障害を抱えているということがこの作品の「独自さ」ではあるだろうか。

 二年ほど経過して、「推し」は引退を発表して引退ライヴを行うという。引退記者会見のとき、「推し」の左手薬指には指輪がはめられていた。SNSでは、「推し」の相手はかつて「推し」が殴ったという女性ファンだとのうわさが立つ。あかりは「推すことはあたしの生きる手立てだった。業(ごう)だった。最後のライブは今あたしが持つすべてをささげようと決めた。」と述べる。
 ライヴが終わった空虚を抱え、あかりはネットの「推し」のプライヴェート映像を頼りに彼の住まいを推測し、そこへ出かけていく。そのとき、推測したマンションの一室の窓から、一人の女性が洗濯物を抱えて出てくるのをあかりは見る。それが「推し」の部屋だという断定はできないが、あかりにはそれは決定的なことだった。「もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない」とあかりは思う。
 このあと、自分の住む家に戻ったあかりは、「自分を葬る行為」を行うのだった。

 面白い小説だった。文章にもリズムがあり、やはり才能を感じる。そして、「あかり」の造形に惹き込まれるところはあっただろう。そんな「うまく生きられない」あかりの周辺の家族、教師など、先に書いたが特に高校の教師とそして祖母の葬儀で帰国した父親との、まるであかりのことを親身に考えていない態度が、この二人の短い登場シーンで際立つ。
 そしてやはりラスト。部屋で綿棒をぶちまけ、その飛び散った綿棒を、あたかも「骨」を拾うかのように拾うヒロイン。これは一篇の小説のラストとして、相当にみごとなラストではないかと思った。
 やはり、文学に身を投じてしまった若い女性というのは、時に「無敵」だなあと思わせられる作品だった(こういう書き方は偏見か?)。