ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『それでも恋するバルセロナ』(2008) ウディ・アレン:監督

それでも恋するバルセロナ [DVD]

それでも恋するバルセロナ [DVD]

  • 発売日: 2015/12/16
  • メディア: DVD

 アメリカの女性ふたり、ヴィッキー(レベッカ・ホール)とクリスティーナ(スカーレット・ヨハンソン)がスペインのバルセロナに旅行に出かける。旅行の目的、モティヴェーションはそれぞれ異なっていて、ヴィッキーはアメリカに婚約者がいて、ガウディとかの論文を書きたい。クリスティーナは短編映画を撮り終えたところで気分転換をしたい。ふたりはヴィッキーの親せきの家に滞在するが、その親せきにパーティーに招かれる。そのパーティーにファン・アントニオ(ハビエル・バルデム)という画家がいて、ふたりのところに来て「週末にオビエドにいっしょに行こう」と誘う。「いっしょに寝てもいい」という男の露骨な誘いにヴィッキーは反撥するがクリスティーナは「行ってもいい」といい、けっきょくふたりはファン・アントニオと共にオビエドへ行くのである。
 「彼と寝てもいい」と思っていたクリスティーナは、その直前に胃潰瘍で寝込んでしまう。しょうがなくファン・アントニオの相手をしたヴィッキーはだんだんに彼に惹かれ始め、ついには一夜を共にしてしまうのだ。
 バルセロナに戻った三人、ヴィッキーは婚約者がアメリカからやって来て、とにかくは(式はアメリカでやるとして)結婚するのではある。クリスティーナの体調も回復し、ファン・アントニオと同棲し始めるのだが、そこにファン・アントニオの元妻のマリア・エレーナ(ペネロペ・クルス)が乗り込んでくるのだ。

 ま、このあたりは人生経験も豊かで(?)、映画製作にも熟練(?)のウディ・アレンの手腕というか、こういう自分の孫ぐらいの年齢の若い女性らの人生観みたいなものを巧みに作品にするものだ。意外とテーマは大きくて、「人生の目的は何? そしてその中で<愛>の役割は?」みたいなことを描くという契機も感じる。ちょっとヨーロッパ映画的な題材ではあるけれども、今はヨーロッパでもこういう題材と億面なく四つ相撲をやらかす監督もあまりいないだろう(わたしが知らないだけか?)。

 「ヨーロッパ映画」ということで考えてみると、実はこの作品の後半で、ファン・アントニオと元妻のマリア・エレーナ、そしてクリスティーナとが「男1:女2」で「それはいい関係ではないか」という共同生活をやってのけるところがある。それで、この作品ではけっこう過剰なぐらいにナレーションに語らせてもいるわけで、ここでわたしは、これはトリュフォーの『突然炎のごとく』の「男2:女1」関係の「男1:女2」への入れ替えではないのかと思った。ちゃんと三人でのサイクリング・シーンもあったし。
 この作品では不意にクリスティーナが「こんなのはムリ」と3人の関係に終止符を打つわけだけれども、ご承知のように『突然炎のごとく』ではジャンヌ・モローが不意に運転する車を川に転落させて三人の関係を終わらせる。このクリスティーナの「や~めた!」という決断は、悲劇的展開を避けたようにもみえる。
 この『それでも恋するバルセロナ』はそういう「悲劇的な展開」になだれ込む契機はいくらでもあったと思うのだが、ウディ・アレンはそういうことを避けながらも、ヴィッキーとクリスティーナが空港でエスカレーターに乗るというシーンで閉める。

 考えてみればこの映画の原題は「Vicky Cristina Barcelona」というもので、『突然炎のごとく』の原題は「Jules et Jim」と、ふたりの男性の名前そのままなのだった。そういうところでもやはり、『突然炎のごとく』を意識していたのかと思わせられるのだが。
 この映画での「男1:女2」とは主にファン・アントニオとマリア・エレーナ、そしてクリスティーナと読めるのだけれども、ファン・アントニオとヴィッキー、クリスティーナの三人でもある。「バルセロナでわたしたちは同じ男性を愛しちゃったわね!」というのが、あのラストシーンだろうか。けっこう軽いノリだこと。
 けっきょく、ウディ・アレンの映画というのは「悲劇」を避けて温和的に終わってしまうのか、というのがわたしの印象ではあるのだが、例えば前に観た、同じスカーレット・ヨハンソン出演の『マッチポイント』でも、投げた指輪の落ちた先は「ハッピーエンド」側であったりする。まあわたしは今、ほかのウディ・アレンの作品をまるで思い出せないので何とも言えないのだけれども(いい加減なこと書いているかも)。

 けっこう全篇に流れるスパニッシュ・ギターの音色も効果的だったと思うけれども、「これがスペイン!」という風土感は希薄だったように思う。あと、ヴィッキーがスペインで知り合ったアメリカ人青年といっしょに映画を観に行き、それがヒッチコックの『疑惑の影』だった、というのがよくわからない。