ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999) 金子修介:監督 樋口真嗣:特撮監督

 もちろん「ガメラ」という怪獣のことは知らないわけもなかったけれども、そんな「ガメラ」の映画を観るのは、これが初めてのことでした。
 このあたりの作品は「平成ガメラ3部作」とか言われているようで、そもそもの昭和の時代の「ガメラ」との連続性はないらしい。さらにこの『ガメラ3』は、先行する「平成ガメラ」の1,2から継続するストーリーではあるようで、観ていても「何やねん、その<ギャオス>って?」とか、いろいろしょっぱなから面倒ではある。まあとにかくは、いろいろと世界を攻撃してくる「ギャオス」という鳥類らしい怪獣がいて、それに対峙して「ガメラ」という巨大カメがいるのだ。世界中のあちこち、とりわけこの日本で「ガメラ」と「ギャオス」が闘ったらしく、そんなガメラとギャオスの闘いで、多くの人が死ぬだね。
 それで、両親をそんな「闘争」で失った娘が、「わたしはガメラを許さない!」との意思を固くする。日本内部でも、「ガメラのおかげでウチらヒドい目にあっちゃっただね」という、「ガメラ排撃」の動きが大きいのだ(じっさいにはガメラは、ギャオスの攻撃から世界秩序を保とうとする「善玉」らしいのだが)。

 両親を失った少女は奈良の親戚に引き取られているのだけれども、彼女はその地の古い祠の奥に「勾玉」と卵らしきものを発見する(あまりに強引なストーリー展開!)。
 一方、ガメラとギャオスとの宿命的な戦いはなおも続き、東京は渋谷周辺で街を壊滅させるような激しいバトルを繰り広げ、ギャオスは倒されるものの、周辺では多くの犠牲者を生むことにもなる。しかも、ギャオスというのは何羽も何羽も、というか何匹も何匹もどこかから、まるでウジ虫のように、台所のゴキブリのように湧いて出るのだ。
 少女の発見した卵は孵化し、彼女によって「イリス」と名付けられるのだが、彼女の抱く「ガメラへの憎悪」を受け継ぎながら成長し、ついには村人を殺して自分の成長の栄養分にするのであった(彼女の見つけた「勾玉」がどういう役に立っていたのかまったくわからないけれども、いちおう『天空の城ラピュタ』の飛行石みたいに、ムスカ的悪役のつけ狙う目標にはなっているようだ)。

 観ていて、時代的にもこれはモロに『新世紀エヴァンゲリオン』の影響を受けちゃいましたね、と想像もつくのだけれども、けっきょく、そういう「古代神話」とかのオカルト的な事象の引用がへったくそである。というか、身勝手すぎる。
 例えば「エヴァンゲリオン」であれば「セフィロスの樹」であるとか、「使徒」らの出自の中にユダヤ神秘主義に通底することもあって、ひんぱんに出現する「十字架」的イメージと共に「原始キリスト教」へと思いを馳せられるのだけれども、この『ガメラ3』では基本、それらの「古代神話」的な事象はだいたいはこの作品独自の「創作」なわけで、その「イリス」が「柳星張」であり「朱雀」だというのだが、けっきょく「イリス」に「エヴァンゲリオン」での「使徒」的な性格を持たせたいだけだろうし、その「イリス」というネーミングもギリシア神話の「虹の女神」に結び付けたいのかしらんけど、説得力もない。ヴィジュアル的にも「使徒」を思わされるけれども、いったい何がどうなってるのかわからないし、「少女の意志」を受け継ぐのであれば、せめて『ゴジラvsビオランテ』のビオランテ的なものを期待したかったな。

 ただ、この作品で主導的にストーリーを牽引するのはみんな女性たちで、男らはただ口先だけの無能者だったり、ガメラへの畏れから世を捨てたような人物だったりするのは興味深かった。しかし、さっきまで入院していた少女をちゃっちゃか自分で歩かせて電車に乗るのは、どうなんだろうか?
 日本政府もいつまでも「ガメラ」を敵視して攻撃目標にしていたのを、さいごに「そうじゃない、敵はギャオスだ!」となるあたり、現在のスカ政権の場当たり的政策を思わせられてしまう。

 映像的に、たしかに市街地で暴れっちゃう怪獣らの犠牲になってしまう人々にスポットを当てているだけに、序盤の渋谷周辺での惨劇の描写はかなり強烈ではあった(っていうか、「ボケっと見てないで早く逃げろよ」と、この映画での渋谷周辺の人々に言いたい。これはラストの京都駅周辺の人にも同じこと言うね)。
 ただ、ガメラだかイリスを見つめる少女の、場はちがえどもおんなじアングル、おんなじフレーム(構図)、おんなじ表情の絵は何度も何度も何度も何度も出てきて、きっとこの映画の監督はそんな彼女の表情に惚れ込んでいたのかとは思うけれども、わたしはちっとも惚れなかったので何度も何度も何度も何度も「またかよ~!」とは思ってしまうのだった(いいかげんにしろよ!)。
 というか、一本の「映画」として観たとき、あんまりにも「セリフ」でのストーリー説明が多すぎる。だから俳優たちは演技する必要も動く必要すらないのだ。一種「紙芝居」映画ではあったのだ。映画として、わたしには「問題外」ではあったかな。

 それで、なぜかラストにはガメラもイリスも京都駅の建物の中に入っちゃって「屋内競技」になってしまうのだけれども、それまで京都市街で暴れまわってたイリスが、とてもあの京都駅の中に納まりそうには見えなかったんですけれどもね。というか、由緒ある「古都」京都で暴れるのはやめて下さい!
 あと、さいしょに書いたように、わたしは映画で「ガメラ」というのを観るのは初めてだったのだけれども、そのガメラの咆哮する声がどうしても「ぜんそく持ちの老人が唸っている」声にしか聞こえず、「まずはイリスやギャオスと闘う前に病院へ行って、<ぜんそく>を治療してちょうだいね!」とは思ってしまうのだった。
 もうひとつ。造形的に口が大きすぎで「あり得ない」レベルで、あれじゃあ頭殴られたらかんたんに、上あごから上が吹っ飛んじゃいますね。あと、「牙」の生え方も微妙で、上あごからの「牙」というのは現実に存在する動物でも「闘争武器」としても役立つけれども、こういう「下あごからの巨大な牙」というのは何の役にも立たないし、そもそもの「生え方」が、ぜったいに機能的におかしいですね(ものすごく野暮な意見、感想だ)。