ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『大怪獣ガメラ』(1965) 湯浅憲明:監督

 この「ガメラ」公開時の1965年、怪獣映画ではるかに先行していた東宝はすでに10本に及ぶ「怪獣映画」、そして同類と言える「特撮空想科学映画」を製作、公開していて、すでに初期の「リアリズムSF路線」から外れ、はっきり言えば「子供向けファンタジー映画」への舵切りを行っていた時期であり、にもかかわらずかなりの観客動員を得ていた。
 それでこの『大怪獣ガメラ』を製作した後続組の大映は、さいしょの『ゴジラ』のようなリアルな怪獣映画にすべきか、又は例えば1962年の東宝の『キングコング対ゴジラ』のように、「もうリアリティなんてど~でもいいよ」ということにしちゃうのか、迷ったのではないかと思う。

 わたしもこの「ガメラシリーズ」は初めて観たのだが、特にこの第一作は、「ゴジラ」第一作のシリアスさを残そうとしながらも、けっきょく「リアリズム」というものは捨ててしまったような作品になっているようで、まあこの後の「ガメラシリーズ」が「子供向けファンタジー」になって行くらしい、その原点をも思わせられる作品だろうとは思った。

 だいたい、冒頭のガメラ登場シーンで「国籍不明機」が撃墜され、搭載されていた原子爆弾が爆発してガメラの目覚めを誘うというのは、原爆実験で覚醒したという設定の「ゴジラ」第一作を思わせるのだけれども、そ、そ、そ、そんな「国籍不明機」が原爆を搭載していたのが北極圏に墜落して原爆が爆発してしまうなどというのは、「ガメラ」登場以上に国際的な「大・大・大問題」であり、世界平和のためにも放置しておいていい話ではない。
 辛口なことをもう少し書いておけば、その「原子爆弾」というものについても、『ゴジラ』のように「反核反戦」というメッセージを含み持つものではなく、「あららら、原爆もガメラのエネルギー源になっちゃうだよね~!」てなモノではある。この導入部をみても、「原子爆弾はいけない!」という視点はなく、あったとしてもそれは「ガメラのエネルギー源になってしまうから」というものである。また、国籍不明機が原子爆弾を搭載していたという「とんでもない」問題も、ガメラ登場の前にかんたんに忘れ去られてしまうのだ。

 ついでに書いておけば、この『大怪獣ガメラ』では「亀を愛する」ある少年がいつまでもガメラの行き先についてまわるのだが、ま、見ていれば、少年のまわりの大人らはその少年がそういう風に勝手に動き回るのを止めるべきだと思うのだが、どこまでも少年は勝手気ままに動き回るのだ。しかもこの少年、当初は「ガメラは悪くないんだ!」「ガメラ、そっちへ行っちゃやられちゃうよ!」と、ガメラの行動を必死で止めようとしてるようなのだが、いつだかわからないある瞬間から、少年はガメラの行動を止めようとしなくなり、ラストに「Zプラン」とかでガメラが宇宙(火星)へ打ち上げられるとき、「行ってらっしゃ~い」とエールを送るのだ。

 まあ「少年」が登場するとなると、どうしようもなく「ファンタジー」に近づいてしまうのはしょうがない。大まかなストーリー展開としては『ゴジラ』をなぞっているし、その後の東宝映画『大怪獣バラン』や『モスラ』のストーリー展開を踏襲しているようなところもある。

 観ていて面白いところもあったのだけれども、最後にまたまた疑問(?)を書いておけば、ガメラが裏返ってしまったとき、手足を引っ込めてそこから火炎を噴射し、空に舞い上がってしまうというのはアレだよね。このガメラというのはいわゆる地球上の動物ではなく、宇宙のどこかで建造された「カメ形ロボット」ではないかと思われる。
 だいたい地球上に住む動物が、自分の足を引っ込めてそこからジェット噴射(?)するなんて、地球の動物の身体構造、生物科学上ありえないではないか。な~んてね(ヤボなことを書いてしまったか)。