ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2020-11-30(Mon)

 夢を見た。夢の中でわたしは古い知人らと何か音を使っての「実験的」なことを試みようとしていたようだけれども、遅くなって終電の時間が迫って、わたしは皆と別れて駅に向かった。駅は地形的には新宿駅の南口に酷似していたけれども、周囲の建物はもっと、ちょっと昔の三軒茶屋みたいな雰囲気だった。
 地下のトンネルのような通路を抜けて地上に出るとすぐに駅なのだけれども、そこで地上に出たところでわたしには記憶のない若い女性に声をかけられた。灰緑というか灰青っぽい色のスーツを着た女性で、20代後半ぐらいかなと思った。わたしをみて「お久しぶり! お元気ですか?」と声をかけられたので、わたしの記憶にはないけれども知り合いだったらしい。わたしは適当に話を合わせてしばらく彼女といっしょに歩いたが、終電の時間が近いのではないかと思い、「すいません、電車が!」と早足で先に行く。
 なんとか電車に乗ってみると、さっきの女性もちゃんとついてきていて、電車のとなりの席に座っているのだった。わたしは「この電車はわたしが行きたい駅まで行かないのではないのか」と心配しているのだが、となりに座る女性と何か会話をはじめていた。そのあたりで目覚めてしまった

 夜中に目覚めてその夢を思い出し、夢を反芻して、「その女性というのは<ミイ>ではないのか」と思い当たった。

 わたしはそういう<霊的>な思考などまるで持ち合わせていないのだけれども、あの女性が<ミイ>だと考えることにすべてがしっくりいく。もちろん、<夢>などというものは、夢をみる存在のある意味で<妄想>ではあることも承知しているが、わたしは夢の中で彼女の名前を思い出せなかったので、適当に「やあ、ミイちゃん、久しぶり」と言っていた記憶もあるのだ。わたしはその夢の中で、彼女とどんな会話をしていたのだろうか。すべて記憶から消えている。

 ミイが自分の没後十周忌の夜にわたしの夢の中に人間の姿で現れて、「お久しぶり」と語りかけてくれたのなら、それがわたしの脳内幻想であろうとも、こんなにうれしいことはない。そしてわたしは、また早朝からポロポロポロポロと涙をこぼすのだった。

 涙を拭いて仕事のために真っ暗闇の中を外に出ると、思いがけず空には明るい満月が浮かんでいた。この写真では光が拡散してしまってわかりにくいが、中央の左上で丸く輝いているのが「月」。この満月は「ビーバームーン」と呼ばれるらしい。

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 仕事を終えて帰るときには、青空にクラゲが触手を伸ばしているような雲が拡がっていた。

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 帰宅して、「さて昼食は何にしよう?」と考え、焼きそばの麺は残っているし、トマトもたくさんあるし、「トマト焼きそば」というのもありではないかとレシピを検索すると、まさにそのものが見つかった。ただ、書いてあるレシピでわたしの解釈では「それはちがうな」というところがあり、味付けは自分なりのレシピでやってみた。完成。こ、こ、これはウマい! 自分でもこれは傑作だと思う。これからときどきやってみようと思う。資金があれば「トマト焼きそば」の店を出したいぐらいだ。

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 今日はあまり書くこともないので次は夕食のことを書くが、今日はアルファ米をお湯でもどして炒めて、原価のほとんどかからない「オムライス」をつくった(ウチにはいただいた「アルファ米」がいっぱいあるのだ)。あまり美的な写真でもなくちょっとブレてしまったが、こんなものである。

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 昼食と夕食のことを書いたので、そんな「食事」がらみのことを書くけれども、わたしはだいたい毎日、仕事をしながら「今日の昼食は何にしようか」、「夕食は何にしようか」みたいなことばっかり考えている。それは「何を買うか」ということよりも、今冷蔵庫にどういう食材がストックされているかを思い返し、そんな食材を組み合わせてどんな料理がつくれるだろうかということを考えるのである。
 前にもちょっと書いた記憶があるけれども、わたしの食生活での「食品ロス」は極めて少ないと自慢している。まだ食べられたはずの食材を傷めたりしてしまって捨てるということはほとんどなく、農林水産省から表彰されてもいいのではないかと思っている(だから昨日買った「刺身の盛り合わせ」についていた「刺身のつま」のダイコンを食べ切れずにゴミ袋に放り込んだときには、ホントに心が痛んだ)。
 それはつまり、冷蔵庫の中の食材のストック量を記憶していて、「そろそろアレが傷んでしまうな」と思いながら、仕事中に献立を決定することが重要なのだ。例えば今日の「トマト焼きそば」などはいい決定だった。

 詳細はよく知らないが、つい先日、あるOLが一ヶ月の食費に5万円かかるというのが「多すぎる」とかなんとか、SNSで話題になっていたらしい。わたしゃそんなことどうでもいいわと思う。ある人が一ヶ月に食費を5万円かけて、それで生活が成り立ってるのならば人がどうこういうことではない。そんなこと言ったらアレよ、毎回すっごい額の外食を繰り返しているという安倍晋三とか麻生太郎はどうなのよ、ということになる。彼らの一回の食事代はわたしの一年間の食費以上だったりもするわけだ。
 まあSNSというのは一面でお互いの足の引っ張り合いをしているようなところもあり、「不毛だね」という感想しかないのだけれども、「食品ロス」だけは最小限にいたしましょうよ、ということは思う。

 だいたい外に出て働くようになれば、自炊ということもままならぬようになるだろうし、外食に頼るケースも多くなるだろう(わたしは勤務時間も短かいから昼食も夕食も「自炊」が基本だけれども)。そんな「外食」も、女性一人であれば「サイゼリヤ」とか「吉野家」とか「日高屋」に日参というわけにもいかないだろうし、まあ女性に限らずとも「せっかく外で食べるんだからちょっとはおいしいものを食べたい」とは思うだろう。自炊だって、「もやしさえあれば」みたいな食生活はわたしだってしたくない。カップ麺は塩分過多だし。
 別にわたしは自分の食生活がうまくいっているとか自慢したいわけではなく、そもそもの「金」がないから節約をこころがけているだけのことで、「あの人は月に5万円食費をかけているらしい」などとうらやむ気もちはないですね。そういうことで、人の食生活をうらやむとか、「金かけすぎ」とか難癖をつけたりするのは不毛だと思います。