ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』阿部謹也:著

 さいしょに個人的なことから書き始めると、わたしがこの「ハーメルンの笛吹き男」について知ったのは、イギリスのシンガーChrispian St. Petersによって歌われ、1966年にイギリスおよびアメリカでかなりのヒットになった「The Pied Piper」という曲によってのことだった。まあその曲を聴いただけでそんな背後事情までわかるわけないのだが、当時の音楽雑誌に短かく、その「ハーメルンの笛吹き男」伝説にふれられていたことによる。*1
 せっかくだから、ここでその「The Pied Piper」を久しぶりに聴いてみましょう。
  

 ‥‥キャッチ―でいい曲でしょ?(あんまり発展のない曲だけれども) まあ英語のヒアリングが苦手でも、サビのところで「Come on baby, Follow me, I'm the pied piper」と唄っているのはわかるかなと思うのだけれども、つまり「さあ、わたしについておいで! わたしは笛吹き男だよ!」というわけである。

 さてそれで、日本版のWikipediaで「ハーメルンの笛吹き男」の項をみると、「日本での受容」について、「この物語は、ドイツ国外にはグリム童話とともに伝わっていったと思われる。日本でも翻訳され子供を含む幅広い層に知られている」とあるのだけれども、この記述には疑問がある。
 わたしはこの冬に『グリム童話集』全巻を読み、今も手元にその本もあるのだけれども、『グリム童話集』には、この「ハーメルンの笛吹き男」は収録されていない。このあたりのことはこの阿部謹也の『ハーメルンの笛吹き男』にも書かれているのだけれども、この話はグリム兄弟のもうちょっと「堅い」書物、『ドイツ伝説集』の中に「ハーメルンの子供たち」として収録された、文庫本のページ数でも3ページほどのみじかいものであり、文体も「童話」のかたちを取ってはいない。この『ドイツ伝説集』は日本では現在「人文書院」から翻訳が刊行されてはいるけれども、これは「子供を含む幅広い層」に読まれるような書物ではなさそうだ。まあ過去においてどのような翻訳が出ていたのかはわからないのだが。
 それで、わたしの勝手な推論だけれども、日本でこの「ハーメルンの笛吹き男」の物語が「童話」としても広く知られるようになったのは、ロバート・ブラウニングの詩「The Pied Piper of Hamelin」の翻訳によってではないだろうかと思う。このブラウニングの詩は映画『スウィート ヒアアフター』の中で、サラ・ポーリーが子どもたちに読み聴かせていたものでもある。阿部謹也氏が書いている、「一人とり残されてしまった子供の悲しみ」は、まさにブラウニングの詩に書かれているものである。
 今でこそロバート・ブラウニングの名を知る人も少なく、「そんなに読まれたはずはない」と思われるだろうけれども、かつては上田敏によって訳されて『海潮音』に収録され、夏目漱石もブラウニングの詩を愛したというし、やはりブラウニングを愛好した芥川龍之介は、ブラウニングの詩によって『藪の中』を書いたともいう(以上、Wikipediaによる)。そういうわけでわたしは、日本でのブラウニング翻訳史も知らずに、勝手に「ハーメルンの笛吹き男」イコールブラウニングの詩、という風に解釈したいのである。

 って、阿部謹也氏の本のことを書く前にほとんど無関係なことばかり書いてしまったけれども、この「庶民の中世史」入門書ともいえる、まことに面白くも興味深い本を読んで、わたしがいちばん心惹かれたのは、「放浪の楽師」、「放浪の芸人」の歴史についてだった。
 中世ドイツに「小国家」にも擬せられる都市が成立し始め、その都市へのキリスト教の影響が増大したとき、「キリスト教以前」の原始的、あるいは官能的な旋律とリズムを奏でる放浪の音楽家がそういった都市の庇護を受けえず、最下層の流浪の民として都市から都市へと放浪するというのは、まさにイメージとして受け入れやすいし、わたしの知る「トラディショナル・ミュージック」の起源として納得のいくものではあった。
 以後、その音楽性を変化させながら都市の中に居場所を見つけ、定住するようになる音楽家から「クラシック音楽」が興隆したということだろう。今でも世界の大都市がそれぞれ「交響楽団」を抱えているという事情も、そんな中世以降の音楽家~都市との関係の賜物ということなのだ。

 この本に関して書きたいことは山ほどあるのだけれども、書く時間もないし、無理をして「ハーメルンの笛吹き男」の真実を求めてもせんないこと。さいごに、阿部氏の次の文章を引用しておきたい。

(‥‥)そのはじめ単なる歴史的事実にすぎなかった出来事はいつか伝説に転化してゆく。そして伝説に転化した時、はじめの事実はそれを伝説として伝える庶民の思考世界の枠のなかにしっかりととらえられ、位置づけられてゆく。この過程で初発の伝説はひとつの型(パターン)のなかに鋳込まれてゆく。その過程こそが問題なのであって、こうして変貌に変貌を重ねてゆく伝説の、その時その時の型をそれぞれの時代における庶民の思考世界の次元をくぐり抜けて辿ってゆき、最初の事実に遭遇したとき、その伝説は解明されたことになるかもしれない。

 ‥‥そういうことなのだ。
 

*1:今、英語版Wikipediaでこの曲を調べたのだけれども、意外な、というか驚いたことに、この曲の作者はあのWoodstockのプロデューサー、Artie Kornfeldなのであった。