ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

2019-04-11(Thu)

 『ロリータ』を読み終えた。感想は別に書く。次はやはり『淡い焔』を読もう。可能ならこの新しい森慎一郎訳と、古い(つまり『青白い炎』の)富士川義之訳とを続けて読んでみたい。富士川義之訳には誤訳が多いと聞くけれども、どうなんだろう(ま、誤訳がどうとかいうことはわたしが読んでもわからないのだが)。

 日本という国への絶望感は、日増しに強くなる。去年の後半からそんな思いが強くなっていて、それが今年になっていっそう強まっていたのだけれども、この4月になって加速度的に酷い状況になっているように感じられる。特に先日の「新元号発表」からの騒ぎには呆れるところもあるのだけれども、それで安倍内閣への支持率が50パーセントを越えたというのだから、もう泣くこともできない。それはもちろん安倍首相自らがテレビなどに出て、新元号の意義、新元号に抱く抱負などを、さもかし新元号を自分が決定したかのごとくに語ったことも大きく影響していることだろう。
 そしてこの月末からは現天皇の退位、新天皇の即位という行事がつづくわけだけれども、もちろん安倍首相はそのような行事が目いっぱい利用できることを学習したわけだから、おそらくはふたたびみたびテレビにしゃしゃり出てきて、まるで自分こそが<天皇>だとでもいうように、「この日本を支配しているのは<私>なのだ」というアピールを行うことだろう。そしてメディアや多くの国民はそのことを賛美し、現政権の支持率はさらにアップするのだろう。もう誰も、この秋の消費税率のアップに異を唱えることもなく、福祉政策はどんどん切り捨てられ(消費税アップは福祉の充実のためというのだが、そんなこと信じられない)、弱者=マイノリティはより一層弱者にされ差別され、軍事費ばかりが異様に増強され、憲法の改変への道を突き進むだろう。
 すでに日本はさまざまな面で「先進国」から滑り落ちつづけていて、「没落国家」の道をたどろうとしている。それはわたしのような若くもなく資産もない人間に対して、国が「もう死んで下さって結構ですよ」といっているように思う。いや、そういう丁寧な言葉づかいではなく、ダイレクトに「死ね!死ね!」といわれている気がする。
 今の政権は、資産を持たない低収入の国民のことを、ただ税金を搾り取るだけの存在と思っているみたいだ。それで昔だったら「ご隠居さん」として仕事をやめて余生を楽しんでいた世代にも年金額を抑え、「生涯労働」を強制する。非正規労働者の賃金は異様に低い水準に抑えられたままで、それで労働者が不足すれば海外(つまりアジア諸国)からの労働者を招き、信じられないような低賃金、過酷な労働で奴隷のようにこき使おうとするのが今の日本。
 これは今の安倍政権下で進行している「没落」への道なのだけれども、仮に安倍政権が終わり、安倍政権の行った罪悪が告発されたとしても、今の日本が<せいぜい30年前の、まだ希望があった日本に復活するには、少なくとも50年、おそらくは100年ぐらいの年月が必要なのではないかと思う。つまり、この5年ぐらいの動きの中で、この日本は<壊滅>したのではないかと思うのである。

 かつて、1930年代のアルゼンチンもまた、<先進国>から強烈な<没落>を体験した国だと思うが、しかしアルゼンチンにはヨーロッパからの亡命者らから受け継いだ<文化>があり、特に文学の面でその存在をアピールした。フランコ政権下のスペインにも、そのような文化面からの抵抗はあった。
 果たしてこれからの日本で、そのような文化面からの抵抗が存在できるかどうか、そこにこそ、この日本を<沈没>から救うものがあるはずなのだが。

 わたしは自分の日記にこういう、ある意味<政治的>なことは書こうとは思わないのだけれども、こうやって今の日本で生きていれば、自分の<生>ということで、スルーすることは出来ないと思うことになる。