朝、まだ真っ暗なうちに家を出て、歩きながら漆黒の空を見上げていると、その空を南から北に、月の倍ぐらいに見える大きさの真っ赤な「火球(隕石)」が、火花を散らしながら流れて行くのを<幻視>した。「あの隕石が落下したら、きっともう地球には大壊滅の被害があり、とうぜん人類は滅亡してしまうことだろうな」と思った。どちらにせよ、もうロクな未来もない国にいるわけだし、このあたりですべて終わってしまってかまわないだろう。もうすぐすべてが終わると思うと、何か喜ばしいような気分にもなるのだった。そして、やはりその「最後の時」はぜったい、ニェネントといっしょにいなければいけないと、家に戻ろうとしたのはほんとうのことだった。
今日は雨になるという。計画として、仕事のあとに美術館をふたつハシゴしようかと思っていたのだが、じっさいに仕事を終える時間には、外は久しぶりにかなりの雨になっていた。いっしゅん、「どうしようか?」と迷ったのだが、「雨ならば観客も少なくてゆっくり鑑賞できるだろう」と、予定通りに行動することにした。
昼食は、勤務先の駅のそばのハンバーガーの店に行く。この店は、BGMがいちにちじゅうBeatlesだ。今聴くと、後期の曲よりも初期のカヴァー曲などの方に心を持って行かれる気がする。でもこの日は、「Within You Without You」「Only A Northern Song」「While My Guitar Gentry Weeps」と、George Harrisonの曲が3曲続いて、それで「いちにちじゅうずっと、Georgeの曲を聴いているのもいいだろうな」などと思うのだった(ウチにはGeorgeのソロ・アルバムは一枚もない)。
まずは目黒へ行き、すっごい久しぶりの「庭園美術館」へ。駅から美術館への道には岡上淑子の作品がなびいていて、これもまた、街中ではひとつのデペイズマンとして見えるようだった。
美術館到着。雨に洗われた常緑樹の葉の緑色が美しく、庭に敷かれた砂利小石もきれいな色に見える。じっさい予想したように観客も少ないようで、ゆっくりと観ることが出来た。
次は品川に移動し、来年いっぱいで閉館するという「原美術館」へ。この美術館に来たことがないということはないと思うのだが、わたしの記憶からはすべて消えてしまっている。「庭園美術館」からは、タクシーとか利用すれば10分もかからないのではないかと思うが、わたしはそんな(タクシーを使うなどという)ぜいたくはできない。
「品川駅からはかなり距離があるぞ」と覚悟していたわりには意外と早くに到着。なんというか、先ほどの「庭園美術館」とほぼ相似形で、これはほとんど「姉妹館」というおもむき。
こちらの展覧会はソフィ・カルのもので、どうもこのところ、先週観た「サスペリア」以来ずっと、フェミニティ的な作品に縁付いているみたいだ。こういうことは、トータルにちょっと考えてみたい気がする。
ソフィ・カルの作品はひとつの「喪失体験」とその克服、みたいなところもあるのだけれども、実はわたし、このあと品川駅に戻り東京駅へと移動したあいだに、バッグに突っ込んでおいたマフラーを落としてしまった。‥‥けっこう気に入っていたマフラーだったので残念。この日のわたしの「喪失」。これはきっと、「ソフィ・カルの呪い」なのではないかと思った。