ワニ狩り連絡帳2

前世のワニ狩りの楽しい思い出。ネコのニェネントとの暮らし。

『12日の殺人』(2022) ドミニク・モル:監督

   

 ある年の10月12日の深夜3時、ある家でオールナイトで開かれていたパーティーから、女子大生のクララは「ウチへ帰る」と会場をあとにする。帰り道、公園のそばで男がクララに近づき、彼女にガソリンをぶっかけ、ライターで火をつける。
 彼女の焼死体は翌朝発見され、捜査が始まった。彼女の持っていたスマホは無傷に回収され、それで彼女の身元もわかるし、事件の直前に友だちにメール画像も送っていた。
 捜査にあたったのは現地警察署の若い刑事のヨアン(バスティアン・ブイヨン)、ベテランのマルソー(ブーリ・ランネール)らの面々。まずヨアンとマルソーとでクララの家を訪れ、クララが殺害されたことを告げる任にあたるのだが、被害者の家の中に被害者とネコがいっしょに写っている写真を眼にして、ことばに詰まってしまうのだった(映画の冒頭、夜中に家に帰るクララのそばに黒猫がいるのが映っていたし、そのあとも映画の中には随所に「黒猫」が登場する。実は犯人は「黒猫」なのだ、というか、この「黒猫」が見つからない犯人の「暗喩」なのだろう)。

 まず、クララが最近付き合っていた男が参考人で取り調べを受けるが、アリバイがあるようだ。調べて行くとクララと関係のあった男たちが次々に捜査線に浮上し、取り調べが行われるが捜査は進行しない。クララは、何というか「男を求める」タイプの女性だったようで、何人もの彼女と関係のあった男たちの存在があらわになる。参考人の中にはクソみたいな男もいたし、まさに「DV犯」の男もいた。
 ヨアンによる取り調べに、クララの女友達は「なんで彼女は殺されたのだと思う? 彼女が<女の子>だったからよ」と語るし、捜査する警察官の中にはあからさまにクララを侮蔑することばを吐く人物もいて、ヨアンを怒らせる。そんなヨアンも、「取り調べを受けた男性らは全員、犯人の可能性がある」と思う。

 どうもこの映画が描くのは、ジェンダー、性差別、ミソジニーの問題でもあるようだ。ヨアンの同僚のマルソーは自分の妻が浮気して妊娠していて、夫婦関係も泥沼状態にあり、思いっきり自分の個人的感情を参考人にぶっつけたりもする。

 事件は未解決のまま3年の月日が流れるが、そのとき、予審判事(女性)がヨアンが過去に提出した調書を読んで事件に興味を持ち、ヨアンに「もういちど捜査してみないか?」と持ちかける。ちょうど事件から3周年の日も近く、クララの墓のそばに「隠しカメラ」を仕込んでみる計画が実行される。犯人がクララの墓参りをするのではないか、というわけだ。
 このときには警察の捜査陣も一新されていて、ヨアンのもとには「優秀な成績を持ちながらも自分から現場配属を望んだ」ナディーアという女性もいる。彼女が「本部詰め」を望まなないというのにも、本部の中で「女性であることの困難さ」を感じていたらしい。
 ここで、仕込んだ隠しカメラには、クララの墓の前で突っ伏して祈る男の姿が映されていて、捜査陣は色めき立つのだが。

 もちろんその男は「犯人」ではなかったのだが、ここでナディーアは「男と女のあいだの溝は埋まらない」と語り、最後の容疑者の件から「生者」と「死者」という、それまでの「男性」と「女性」という二項対立とは別の考えを語る。ここに、主人公のヨアンの囚われていた問題もあったのではないかと思えたし、映画の視点が拡がった思いがする(この挿話を「無用」と感じる人もいるかもしれないが)。
 ラストの、自転車で公道を走るヨアンの姿には、この事件に囚われてしまっていたヨアンが、事件から解放されたことを象徴していたのかもしれない。
 事件が解決したわけではないのだが、映画の冒頭から「未解決事件」と語られていたわけだから、「未消化感」に陥るわけでもない。

 先日観た同じフランス映画の『落下の解剖学』も、結末が「真実」だという作品ではなかったが、『落下の解剖学』が「事件」を通じて家族それぞれの「思い」を解体して見せてくれたように、この『12日の殺人』は、捜査にあたる人々の、事件による「ゆらぎ」を捉えた作品だっただろうか(そういえば、『落下の解剖学』も舞台はこの映画と同じく「グルノーブル」だったのではなかったか?)。観客のわたしの心もまたゆるがされるような、インパクトの強い作品だった。
 

2024-03-23(Sat)

 昨日考えたように、今朝はとなり駅の映画館へ『12日の殺人』という映画を観に行こうと思ったのだけれども、やはり「ヤル気」が出ないというか、ギリギリまで「出かけたくな~い、映画観るのやめよう」とかグダグダと考えていた。
 でも「気分転換」も兼ねて映画を観に行こうと考えたのだから、このまままた家でウダウダしていると同じダメダメな気分をいつまでも引きずることになる。
 「よし!出かけよう!」と決め、お留守番をしてもらうニェネントくんに買ってあった「サーモンの切り落とし」をいっぱい出してあげた。ニェネントくん、にゃーにゃー啼いてよろこぶ。そんなニェネントくんをみて、わたしも出かける元気が湧いてきた。

 「さあ出かけよう!」とドアを開けて外に出てみると、予想外に雨がポチポチと降っていて、けっこう寒いのだった。駅へ歩く途中で、映画を観ながら飲もうとホットのカフェラテ缶を買うのだった(これを持って映画館にすわったころにはすっかりヌルくなってしまっているだろうけれども)。
 電車に乗って次の駅で降り、映画館に到着。

     

 けっこう観客は少なかったか。終映後に場内を見渡しても10人もいなかった感じ。しかし、わたしの好きなタイプの映画ではあったし、(こういう映画を観たあとにいうのも何だが)元気にもなった。
 映画館に置いてあったチラシとかで、この映画館でもいずれ『落下の解剖学』も上映されるらしい。うん、もういちど観てもいいな。

 映画館を出ると、もう雨もやんでいた。ちょっと映画館から離れたところにある居酒屋のそばに大きな桜の木が生えているのを、「もう咲きそうになっているかな?」と、見に行ってみた。
 もうつぼみはいっぱい大きくなっていて、先っちょの方はピンクに色づいているようにも見えた。

     

 でもこの日はこんな雨模様で肌寒い天候だし、桜の花が咲くのは来週中ごろ以降のことだろうと思う。

 帰りに自宅駅までのスーパーに立ち寄り、「今日はちょっと寒いしウチにはダイコンもあることだし、夕食は<おでん>にしよう!」と、「おでんセット」とかを買って帰った。

 帰宅して、テレビを見ていたらこの日は高校野球が雨で中止で、代替番組で「ワイルドライフ」という動物ドキュメンタリー、「タスマニアデヴィル」についての番組を放映してくれた。ほとんど生態を知らない動物だったので、興味深く見たのだったが、近年このタスマニアデヴィル間で感染する悪性腫瘍(ガン)が蔓延し、タスマニアデヴィルの数はかなり減少しつつあるという。番組の最後では、タスマニアデヴィルの中でそのガンに対する免疫が出来つつあるようだと、希望的観測が語られていたが、ラストのクレジットを見ると、このドキュメンタリーの製作は2016年だった。「そのあとどうなっているのだろう」とWikipediaを見てみたが、最新データは掲載されてはいないようだった。心配になるところだ。

 そのあとは夕食の「おでん」のための、ダイコンの下茹で作業。前回茹ですぎてダイコンがふにゃふにゃになってしまったりしたので、今日は短めの時間にして、様子を見ながらの作業。今回は成功。さらにゆで卵をつくったり、ジャガイモも先に少し煮込んだりして「おでん」の準備。
 夕方から鍋に材料をぶち込んで「おでん」の製作。ただ煮込むだけでかんたんなのだが、ちょっとばかりつくり過ぎ。これでは明日の分ばかりでなく、あさっての食事も「おでん」になってしまうだろう。

 大相撲の十四日目の中継も見ていたが、ひとり一敗だった尊富士は朝乃山との対戦だった。勝負は朝乃山の完勝で、優勝争いは千秋楽に持ち越されてしまったが、勝負のあとに尊富士は足を痛め、車椅子で退場。そのあと救急搬送されたらしい。明日の千秋楽に出場できるのかどうか、今はまだわからない。
 

『アメリカの友人』(1974) パトリシア・ハイスミス:著 佐宗鈴夫:訳

 原題は「Ripley's Game」なのだけれども、この邦訳が刊行される前にヴィム・ヴェンダース監督による映画化作品『アメリカの友人』が先に公開されて知られるようになっていて、この邦訳も『アメリカの友人』というタイトルになってしまった。映画とちがって、何が「アメリカの友人」なのかということは、この原作本だけではわかりにくいことになってしまっている(映画では、ジョナサンの夫人がジョナサンに「あなたはあのアメリカの友人と仲良くやってればいいのよ!」と語るシーンがあり、「アメリカの友人」とはトム・リプリーのことだとわかるのだが。

 前作の『贋作』にも登場した、トム・リプリーマイクロフィルム(らしきもの)の密輸、転送の仲介を依頼していた、ドイツ在住のリーヴズ・マイノットという人物が、この作品ではおもてに出てくる。彼はハンブルクでマフィアのひとりを暗殺する計画を立てていて、その実行犯に「履歴に傷のない」まっとうな男、いわば「素人(しろうと)」を探していて、リプリーに心当たりを聞いてくるのだ。報酬はかなりの額だという。
 リプリーはそのとき、あるパーティーで出会った額縁職人のジョナサン・トレヴァニーという男のことを思い出す。彼は「リプリー」という名前を聞き、「噂は聞いております」と語ったのだ。そのことにリプリーはカチンと来ていた。「オレの悪い噂は承知しているということだな?」と受け取ったわけだ。
 しかもそのあと、リプリーはそのジョナサン・トレヴァニーという男が白血病を患っていて、長期治療を受けているとの話も聞くのだ。
 リプリーは、ジョナサンの自分へのイヤミな挨拶(とリプリーは受け取った)の意趣返しの気分もあって、リーヴズ・マイノットにジョナサン・トレヴァニーを紹介するのだ。ここでジョナサンが白血病という話を聞いたリーブズは、ジョナサンに「ドイツの専門医の検査が受けられる」ということとセットで「暗殺話」を持ち出す。診断書をすり替えてジョナサンに「白血病は悪化している」と思い込ませたリーヴズは、「高額の報酬を家族に残してあげることも考えてみては?」と持ちかけ、ジョナサンに「殺し」を承諾させるのだった。
 鉄道のホームで後ろからターゲットを射殺するやり方は、証拠も残さずにうまく成功するのだが、リーヴズはさらに次のミッションをジョナサンに依頼するのだった。それは列車の内部で実行する、さらに危険度の高いミッションではあった。
 リーヴズから新しいミッションの話を聞いたリプリーは、「それはしろうと一人では実行は難しい」と思うし、そういうところへジョナサンを追い込んだ自分の行為を悔いるのだった。
 そしていざそのミッションの実行というとき、その列車にはトム・リプリーも乗っていた。リプリーは自分がリーヴズにジョナサンのことを勧めたことも告白し、ジョナサンに「わたしが手伝う」と告げ、二人で一人のマフィア幹部を殺し、一人のボディガードを列車から転落させるのだった。

 リプリーの心配は、殺せなかったボディガードが自分の顔を憶えていて、マフィアの連中が報復に来ることだった。リプリーは妻のエロイーズと家事手伝いのマダム・アネットを屋敷から他所へやり、自分一人では対処できないと考えて、ジョナサンに「手伝いに来てほしい」と連絡をするのだ。
 ジョナサンの妻のシモーヌは夫の銀行口座に大金が振り込まれていることも知っているし、夫がヤバい仕事をやっているのではないのか、そのことにトム・リプリーが絡んでいるのではないのかと思ってジョナサンを非難する(シモーヌも、リプリーの「悪評」は十分承知している)。
 じっさいにマフィアの2人がリプリーの屋敷を襲い、これをリプリーはジョナサンの協力を得て殺すのだが、そのときにジョナサンの妻のシモーヌリプリー邸にやって来て、マフィアらの死体も眼にしてしまうのだ。
 ストーリーはまだまだ続くが‥‥

 まず面白いのは、ここでトム・リプリーが「マフィア」の攻撃を受けることになり、「自分ひとりでは手に負えないだろう」と、初めてジョナサンという「仲間」を求めるということ。これは前作『贋作』でもバーナードに死体を埋めることの手伝いを求めていたけれども、あれは「後片付け」というところではあったし、今回の「共同戦線」というものとは大きく意味合いが異なると思う。
 そもそも、ドイツの列車の中でリプリーがジョナサンを手伝ってマフィアを始末したときも、「互いに協力し合って」というところがあり、ちょっとこれまでのトム・リプリーというイメージがくつがえったわけでもあった。

 ここでもうひとつのこの本の「キモ」ともいえるのが、そのリプリーの「グッドフェロー」かという存在になったジョナサンに、シモーヌというしっかりした妻があったことで(ジョルジュという子どももいるのだが)、そのシモーヌが、自分の夫のジョナサンがリプリーのところに行くこと、リプリーと関係を深めることを忌み嫌うわけだ。そりゃあリプリーには悪い噂もたっているし、シモーヌはジョナサンが大金を得たということもリプリー絡みのことだろうと思ってはいる。
 つまり、構図としてここで、ジョナサンをめぐるリプリーシモーヌとの「三角関係」だということがわかる。ここでもトム・リプリーの同性愛的なファクターが生きてくるわけだけれども、特にそういった関係としてみての、リプリーのジョナサンへの執着ということは、表面的には見えてはいない(ジョナサンが自宅に泊まったとき、ジョナサンが使った歯みがきへのちょっとした執着は書かれていたが)。逆にリプリーシモーヌを「しっかりした女性だ」と認め、何とか彼女に自分とジョナサンとの関係を説明できないものかと考えてはいる。
 しかし、ラストの展開のあと、シモーヌは警察とかにトム・リプリーの名前を出すことはなく、ここでもリプリーは無事にこの難関を切り抜けることになる。ただシモーヌリプリーへの憎悪は強く、ラストに街ですれ違ったリプリーに、シモーヌは唾を吐きつけるのである。

 中に興味深いリプリーについての描写があった。書き写しておこう。
 「ジョナサンにたいするシモーヌの気持ちは変わらないだろう、とトムは思ったが、なにも言わなかった。たぶん、家に着けば、その話になるだろう。ほかにどんな話があるか? 慰めるのか、励ますのか、和解させるのか? 実際、どう言ったらいいかわからなかった。女というのは不可解だった。」
 一方のジョナサンは、このときにはもうシモーヌを失ったつもりでいた。

 中盤からは、このトム・リプリー、ジョナサン・トレヴァニー、そしてシモーヌトレヴァニーそれぞれの抱く「不安感」というものの描写が、いかにもパトリシア・ハイスミスらしくもあったが、やはりとりわけトム・リプリーの不安感というものが、単なる「サスペンス小説」という枠を超えている、とは思うのだった。
 ひとつ、前作の延長でトム・リプリー夫人のエロイーズの登場場面を楽しみにしていたのだけれども、リプリーに「じゃまだから出かけてなさい」って感じで、ほとんど登場しなかったのは残念だった。
 

2024-03-22(Fri)

 昨日あたりから、大変に体調がよろしくない。何もやる気にならず、体が重い。下痢っぽい感じでもある。原因ははっきりしていて、先日旧友が送ってくれた野菜などと一緒に「焼酎」の紙パックが含まれていて、ついついそいつを飲んでしまったためなのだ。それで最悪の体調になってしまった。
 酒さえやめればもとに戻るのだろうが、それまでちょっと時間がかかっている。しばらく酒を飲まない生活がつづくうちに、アルコールを受け付けない体になってしまっているようだ(適量のワインとかならば問題はないことはわかっているが)。今回の経験は「やはりもう、強い酒を飲んではいけないなあ」と、強く思うことにはなったわけだ。

 体調が悪いといってもフラフラしたりするわけではなく、午後からちょっとコンビニへ買い物に出たが、逆に外を歩いた方が体がシャキッとするようでもあったのだ。
 コンビニへの道沿いの空き地に、スイセンが雑草のように群れて生えていて、それがいっせいに花咲いていた。生命力の強い植物なのだろうな。

     

 さて、そんな焼酎と一緒に「シイタケ」も送っていただいていて、早く調理して食べないと傷んでしまうのだが、もう長いことシイタケを使った料理などつくっていないので、何をつくればいいのか悩んでしまった。まあネットで検索すればいろいろ出てくるわけで、けっきょく「豚肉とシイタケのオイマヨ丼」というのをつくることにした。炒めるだけで簡単そう。
 「オイマヨ」というのは最近知ったのだが、オイスターソースとマヨネーズとの相性がとってもよくって、この2つを味付けに使うと美味なのだ。
 シイタケをたくさん使い、なかなかに美味しい総菜になった。炊き立てのごはんの上にのっけてかき込むのだった。

 やはりこの日は映画とかは観る気にもならず、ただ「今はどんな映画が配信されているのか?」とかをチェックするだけで終わってしまった。
 先日、アンソニー・マンの監督作品を連続して観てなかなかに面白かったので、また1940年代とか50年代の映画監督の作品を連続して観てみるのもいいな、などと思ったのだが、そういうのではマックス・オフュルスの作品が数本観られるようで、次はマックス・オフュルス監督の作品など連続して観ようか、などと思うのだった。ほんとうはダグラス・サーク監督の映画が観たいのだけれども、これはもうDVDとか買わないと観られないようだ。

 ウチで映画を観る気にはならないけれども、映画館まで出かけて映画を観るのなら「気分転換」にもなっていいのではないだろうか。
 ちょうどとなりの駅の映画館では、明日からは朝早くの上映で、観たいと思っているフランス映画『12日の殺人』という作品が観られる。ちょっと映画の紹介を読んだ感じで先日観た『落下の解剖学』が思い出されてしまい、わたし好みの映画なのではないかとも思っている。明日の朝、観に行ってみようかと思う。

 夜は何をするでもないので早くにベッドに入り、読んでいるパトリシア・ハイスミスの『アメリカの友人』を読んだ。残りあと百ページちょっとだったのだけれども、読んでいて興が乗ってしまい、一気にラストまで読んでしまった。これはめっちゃ面白かった。ハイスミス作品の中でも「傑作」のひとつだろう。ある種、「三角関係」として読める。
 ヴェンダースの映画も観てみたくなった。今「Amazon Prime Video」で観ようとすると有料になるのだけれども、タマには、有料でも観たい映画をそのときに観よう。
 次に読むのは、『リプリーをまねた少年』だ。
 

『黒猫・白猫』(1998) エミール・クストリッツァ:監督

 「1998年の作品」だったとは、もう前世紀の作品になっているのだなあ。この1年前のクストリッツァ監督の作品『アンダーグラウンド』が好きだったが、当時のわたしの周辺では「フェリーニじゃねえか!」って意見が多かったように記憶している。
 今回、その『アンダーグラウンド』も「Amazon Prime Video」も観ることができるのだけれども、「3時間の大作」なもんだったし、この『黒猫・白猫』を観た記憶もなかったので(『アンダーグラウンド』だって、観たとはいってもな~んにも記憶してないのだが)、今日は『黒猫・白猫』を観るのだった。

 舞台はユーゴスラヴィアのどこかなのかなあ。賭け事や儲け話にばかり夢中になる男たち。きっとロマの一族なのだろう。み~んな口ひげを生やしてフランク・ザッパみたいな顔をしていて、登場人物の区別がつきにくい。なんか知らんけど石油を運ぶ貨物列車を乗っ取ろうとしてるみたいなフランク・ザッパがいるけれども、別のフランク・ザッパに邪魔されてしまうようだ。フランク・ザッパたちにはそれぞれ同じようなオヤジがいて、構図としてオヤジさんたちはゴッドファーザー的な立ち位置で、その息子のフランク・ザッパたちはギャンブル好きのチンピラ。
 一方のフランク・ザッパにはザーレという息子があって、その息子ともう一方のフランク・ザッパの娘のアフロディタと結婚させようという話が進む。その娘は「テントウムシ」というあだ名で、身長1メートルだと言われている(たしかに背は低いけれども、かわいいといえばかわいい)。でも息子のザーレはイダという女性と知り合い、将来を誓い合っていたのだ。しかしいかんともしがたいままに結婚式当日となる。ところがゴッドファーザーのひとりは急死してしまうし、アフロディタはザーレとの結婚をいやがり、「理想の花婿」を探して結婚式場から消えてしまうのだ。急死したゴッドファーザーの死を隠すため、彼の死体は屋根裏部屋に運び、大きな氷を抱かせる。
 ところがさらに、式場へやって来たもうひとりのゴッドファーザーもまた、急死してしまうのだ。

 いやはや何とも、大騒ぎのお祭り騒ぎ。ここにロマの民族音楽の演奏が加わるし、タイトルにある黒猫と白猫、それからあちこちにあふれるガチョウ、車をかじりつづけるブタ、それからヤギとかの動物たちにあふれる、楽しい映画である。
 これがしっちゃかめっちゃかのようでいてストーリーはぶっ壊れてしまわないし、観ていてもニコニコと楽しくなる映画ではあった。
 

2024-03-21(Thu)

 今日もおだやかな天候のようだった。でもまだ朝はけっこう寒くって、電気ストーブのお世話になる。ニェネントくんも、ストーブのすぐ前に置いたペット用のクッションの上で丸くなっているのだ。
 9時をちょっと過ぎたところで、地震がきた。小さな余震があって、そのあとに大きめの揺れがあった。机の上に置いてあったスマホが「地震です!地震です!」とわめいてうるさい。んなことは知らせてくれなくっても「地震」だということはわかる。じっさい、いったい何のための通知なのだろうとは思ってしまう。

 こういうときはニェネントくんが驚かないように、落ち着かせてあげなくってはいけない。「ニェネントくん、どこだっけ?」と思ったら、わたしのうしろで丸くなっているのだ。特に揺れに驚いている感じでもなく、平気な顔をしていたので安心した。まあこのあたりの震度は3ぐらいかな?とは思った。

     

 テレビを見ると震源はいつもの茨城県南西部で、地震の頻発するスポットだ。栃木と埼玉では「震度5弱」という場所もあったらしい。このスポットでの地震としてはちょっと大きいかな。ウチのあたりは「震度4」だったみたい。先日までの千葉県での地震は千葉南東の海が震源だったから、ちょくせつの関係はないだろうと思った。でもテレビでは、今後一週間ぐらいは「震度5弱」ぐらいの地震に注意するように、ということだった。

 そんな地震のあと、北のスーパーへと買い物に出かけた。陽射しは暖かいのだけれども、空気がひんやりと冷たい。外を歩いても、こういう感じは気もちもスッキリして快適だ。
 道路の脇の、わずかなすき間にタンポポが根付いていて、花が咲いていた。こういうのを目にするのも気もちがいい。

     

 そんなせいか、「ニェネントくんに好物を買ってあげよう」という気分になってしまい、「サーモンの切り落とし」とか買ってしまった。わたしの買う食材よりもずっと高い。

 帰宅してテレビを見ていると、今人気沸騰中の大リーグの日本人選手(つまり「大谷翔平」だが)の通訳(テレビにもよく顔が映る著名な存在だった)が、「違法スポーツ賭博」に関与したとして、球団から解雇されたというニュースが流れた。
 これはけっこう大ニュースで、さいしょは彼はその借金のことを大谷氏に相談し、大谷氏がすべて承知して立て替えて胴元に支払ってくれたという報道だったのが、そのあとの報道では、その通訳氏は大谷氏の資金を「盗んだ」ということになっていた。その額も半端な額ではなくって450万ドルにもなったというんだから、「びっくり」であった。
 これは当然大谷氏も了解した上で「450万ドル」を払ってやったのだろうが、そうすると大谷氏にも賭博の嫌疑がかかるわけで、そうなることを避けるためにストーリーをつくったのだろう。場合によっては大谷氏も球団解雇、追放という事態にもなりかねないだけに、たいへんなニュースだったと思うのだった。

 この日は午後から、エミール・クストリッツァ監督の『黒猫・白猫』を観た。はじけ飛んだ感じの楽しい映画だった。

 映画を観たあとは大相撲の中継だが、ネットで見たところでは十両の碧山も玉正鳳も星を持ち直し、共に5勝7敗にまでなっていた。まああと一つ負ければ「負け越し」という、キビしいところではあるが。
 新入幕ながらひとり全勝をつづけていた尊富士は、この日は大関の豊昇龍との勝負が組まれ、ここはさすがに豊昇龍が勝ち、大関の面目を保った。それでも尊富士はただ一人1敗でトップだということで、もう2敗の力士はいないのだ。彼が優勝争いのトップであることには変わりはない。
 

2024-03-20(Wed)

 今日は「春分の日」。まさに桜の花も咲きそうな陽気になり、春だね、という感じでもある(まだちょっと寒かったけれども)。
 そしてこの日、クルドの人たちが新年を祝う祭り「ネウロズ」が、さいたま市の公園で開催されたとのニュースがあった。一部ジャーナリストや報道機関の「クルド人排斥」のムーヴメントの中、開催も危ぶまれていたお祭りだったけれども、日本からの参加者も交えて1300人が集まり、楽しいイヴェントになったようだ(わたしも行きたかった!)。

     

 またこの日上川外務大臣は、「ネウロズ」を祝う諸国民にメッセージを発信したという。この件に関しては「Good Job」だと思う。政府や外務省、一般のジャーナリズムが「産経新聞」や「ネトウヨ諸氏」の挑発に乗らないということはいいことだ。
 ただ、川口などでのクルド人問題を偏見なく公平に取材を続けるテレビ局員などもいるのだが、放映する時間枠が取れないのだという(当然、「産経新聞」などの主張とは正反対の現実があるだろう)。
 一方、日本クルド文化協会代表理事ら11人のクルド人らは、SNSへの差別的な投稿で名誉を傷つけられたとして、フリージャーナリスト石井孝明氏に慰謝料など500万円を求め、東京地裁に提訴したと発表した。
 この石井孝明という人物は「誹謗中傷」の専門家で、今までは主に「反原発」の立場の人たちへの攻撃を行っていたが、近年はネトウヨ的スタンスから多くの人々に対して誹謗中傷を行い、何度も告訴されて自分の発言を通り消すということを繰り返している人物で、現在は標的を「在日クルド人」に絞って罵詈雑言を行っていた。この報道では彼は自分の発言にクルド人の子どもの写真を引用し、「放置されて平日からうろうろしている」との投稿もしたという。現在、クルド人の子どもたちは学校で「いじめ」の対象にもされている。
 この訴訟、以後の成り行きが気になるところ。

 皆は、わたしがクルドの人々らを応援、サポートすることに驚かれるかもしれないが、わたしはまず第一に、クルドの人たちが川口や蕨で市民らに迷惑をかけているという証拠を、しかと得ることが出来ない。逆に、川口の人たちは外からやって来る「クルド人排斥」を訴える連中を迷惑に思っていることの方が確かだ。そうすると、真実を伝えるはずのジャーナリズムがそのあたりをごまかして虚偽のニュースを伝えていることになる。
 この構造はまさに、百年前の「関東大震災」のときに、流されたデマのために朝鮮の人々が虐殺されたことの繰り返しであり、そんなことに唱和してはいけないとの思いがまずは強い。そして現実に、今わざわざ他所から遠征して川口などにやって来て「ヘイトスピーチ」を繰り返す連中は、元は川崎駅前で「韓国人排斥」の「ヘイトスピーチ」をやっていた連中で、それが規制で川崎での「ヘイトスピーチ」が禁止されたものだから、「次の標的」として蕨・川口のクルド人に狙いをつけているだけ。そしてそのバックには、現在の日本の、人権を無視した「出入国管理法」や「難民認定」の問題がある。さらに「ほんとうのことを書かない」差別主義の新聞やジャーナリズムの問題があり、人々はじっさいの蕨や川口の現状を見てもいないのに、ただ「新聞に書かれていたから」と、クルド人らがコンビニ周辺にたむろし暴力事件を起こし、一般市民の恐怖の的になっていると信じ込んでしまっている。だから誰も、そんなクルド人が街を闊歩したり暴れたりしている姿も見たことがないというのに、「クルド人は危険だ」と排除しようとしているのだ。こんな事態は、ストップされなければならない。それがわたしの考え。

 今日は何をするでもなく時が過ぎて行った。昼からは「にっぽん百低山」という再放送の番組を見ていた。この番組はけっこう見ることが多いのだが、この日の回のナレーションは池田伸子アナウンサーだった。「硬」も「軟」もどちらもこなされる方なのだな。声だけ聴いても「いい声」のお方だ。
 夕方からは大相撲を見ていたのだが、幕内でただひとり全勝の平幕の尊富士はこの日は大関琴ノ若との対戦が組まれ、「まさか琴ノ若が負けることはないだろう」と思っていたのに、しっかりと尊富士が勝ってしまっておどろいた。
 これで11日目が終わって尊富士が全勝、そして2敗で大の里と、平幕の2人がリードするという展開。なんか、新入幕の力士が優勝してしまうというようなことが、現実に起きてしまいそうな感じである。